プロレスの日~♪( ´θ`)ノ


1953(昭和28)年、力道山が中心となり日本プロレスリング協会が結成されました。
力道山は1952年(昭和27)年2月3日、プロレス修行のためハワイへ出発します。
その後、アメリカ太平洋岸を転戦し、300戦295勝5敗の成績を残して帰国、同協会を設立しました。
力道山偉大なり
ちなみに、7/28一昨日は
プロレスの神様
カールゴッチが天に召された日
【2007年7月28日】
享年82歳。数々の若手レスラーを育てた最高の指導者が逝く
“鉄人”ルー・テーズの最大のライバルと謳(うた)われたものの、カール・ゴッチの知名度は、アメリカ国内では低かった。
レスリング技術を主体とする、派手さのない”正統派ストロングスタイル”は興行的に盛り上がらず、一部のプロモーターに煙(けむ)たがられていたからだ。
しかし、自分を律して技術を磨くゴッチの生き方は、日本のプロレスラーから尊敬を集めた。
1961年に初来日し、のちに代名詞となる”ジャーマン・スープレックス”を披露すると、初めて目にした技に、日本のレスラーたちは驚愕した。教えを乞いにゴッチのもとに選手が訪れると、なんらためらいもなく技術を伝授。
『ゴッチ教室』から、多くの若手レスラーが巣立った。アントニオ猪木の卍固め、藤波辰爾のドラゴン・スープレックス、長州力のサソリ固め……。ゴッチ教室から、数々の必殺技が生まれた。
そのほかにも、坂口征二、キラー・カーン、アニマル浜口、藤原喜明、佐山聡、前田日明、高田延彦、船木誠勝、鈴木みのる……。”ゴッチイズム”を継承するレスラーは、枚挙にいとまがない。晩年になっても熱心な指導はまったく変わらず、その生涯を閉じるまで、すべてをプロレスに捧げた。
「もし私が生まれ変わることができても、やはりレスリングをやるだろう。そのときには、ただひとつだけ望みがある。
できることなら、現在の私のような師に巡り合いたい。そうすれば、イチから始めなくてすむからだ」
“神様”になってもゴッチイズムは、今も弟子たちの中に生き続けている。
スポルティーバ●文 text by Sportiva
っつ~感じ
iPhoneからの投稿



1953(昭和28)年、力道山が中心となり日本プロレスリング協会が結成されました。
力道山は1952年(昭和27)年2月3日、プロレス修行のためハワイへ出発します。
その後、アメリカ太平洋岸を転戦し、300戦295勝5敗の成績を残して帰国、同協会を設立しました。
力道山偉大なり
ちなみに、7/28一昨日は
プロレスの神様
カールゴッチが天に召された日
【2007年7月28日】
享年82歳。数々の若手レスラーを育てた最高の指導者が逝く
“鉄人”ルー・テーズの最大のライバルと謳(うた)われたものの、カール・ゴッチの知名度は、アメリカ国内では低かった。
レスリング技術を主体とする、派手さのない”正統派ストロングスタイル”は興行的に盛り上がらず、一部のプロモーターに煙(けむ)たがられていたからだ。
しかし、自分を律して技術を磨くゴッチの生き方は、日本のプロレスラーから尊敬を集めた。
1961年に初来日し、のちに代名詞となる”ジャーマン・スープレックス”を披露すると、初めて目にした技に、日本のレスラーたちは驚愕した。教えを乞いにゴッチのもとに選手が訪れると、なんらためらいもなく技術を伝授。
『ゴッチ教室』から、多くの若手レスラーが巣立った。アントニオ猪木の卍固め、藤波辰爾のドラゴン・スープレックス、長州力のサソリ固め……。ゴッチ教室から、数々の必殺技が生まれた。
そのほかにも、坂口征二、キラー・カーン、アニマル浜口、藤原喜明、佐山聡、前田日明、高田延彦、船木誠勝、鈴木みのる……。”ゴッチイズム”を継承するレスラーは、枚挙にいとまがない。晩年になっても熱心な指導はまったく変わらず、その生涯を閉じるまで、すべてをプロレスに捧げた。
「もし私が生まれ変わることができても、やはりレスリングをやるだろう。そのときには、ただひとつだけ望みがある。
できることなら、現在の私のような師に巡り合いたい。そうすれば、イチから始めなくてすむからだ」
“神様”になってもゴッチイズムは、今も弟子たちの中に生き続けている。
スポルティーバ●文 text by Sportiva
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