慢性骨髄性白血病の治療
白血病には大きく分けて4種類あリます。
・慢性骨髄性白血病[CML]
・慢性リンパ性白血病[CLL]
・急性骨髄性白血病[AML]
・急性リンパ性白血病[ALL]
私の場合
2012/10/23
会社の健康診断を受けました。
病院から何も連絡は無かった。
結果を紙で受け取ったのが12月4日だった。
血液検査の結果、白血球数が16800だった。
白血球数の基準値は4000〜8000
2012/11/28
東京出張中に体調を崩し、病院に行くと
採血の結果、あなたの白血球数が42000です。
これは白血病ですと診断された。
このまま入院して貰います。
会社と家族に電話しました。
検査をします。と言われ担架に乗せられて
薬品庫で骨髄穿刺《マルク》検査をしました。
✴️4回やり直した。医師が初めて?
急性リンパ性白血病の疑い?だった。
地元の病院への転院を希望した。
受け入れ可能か確認しOKなら明日転院。
転院OKの場合医療用の車で移動する。
NGならここで最低2ヶ月入院して貰います。
白血病は名前は夏目雅子さんや本田美奈子さんのニュースで聞いた程度だった。
よく分からないまま入院した。
この病院、血液内科が無い。
大部屋で普通の病室だった。無菌状態ではない。
その後、
レントゲン、心エコー、心電図等の検査をした。
検査結果の説明はなかった!
心臓の異常に気が付いているはずだが?
見落とし? たぶん見ていない。
女医ともう一人がイチャついていた。
人の生死がかかっているのに!
この病院で治療していたら死んでいた可能性があった。(この病院は最近都立病院になった)
病気について知識が無いから分からないで済んだけど、もし知識があればとてつもない恐怖だ!
1泊で6万円以上取られた。
2012/11/29
朝になって転院OKなので、タクシーを呼んでありますから新幹線で地元の病院に16時までに入って下さい。と言われ、レントゲン結果等を持たされました。どういうこと?
新幹線の中で具合が悪くなりました。
地元の病院の総合受付に着いた時にはフラフラだった。
転院先で全身を再度検査しました。
レントゲン、心エコー、CT検査、耳鼻科、口腔外科検査、採血、骨髄穿刺(マルク)検査、体温が38.5℃、意識がボーッとしてました。
白血球数は 66500 になっていた。
病名は専門機関で調べる為時間がかかる。
白血病の場合、他に病気がないか、いろんな検査を行う。
白血病の治療中は免疫力が下がるので体を全てチェックされる。虫歯もダメ!
病室は血液内科病棟の個室だった。(無菌室)
家族が呼ばれ説明を受けた。
私の場合、肺炎、肺血栓塞栓症、肺動脈が狭くなっている等が見つかった。
足の血管に血栓が出来てそれが心臓に飛び心臓の壁に塊が突き刺さってぶら下がっていた。
(血栓は、エコノミークラス症候群です)
担当医の説明で、この塊が外れて肺動脈に飛んだら即死の可能性があります、心電計を24時間着けてもらいます、と言われました。
画像には血の塊が風船のようにぶら下がっていました。
🤩東京の病院は同じ心エコー検査をしているのに?
移動中に血の塊が飛んだら死んでるよ‼️
⭐血栓は薬[ワーファリン]で溶かします。
この時点から治療が開始される。(薬物療法)
✨出会う病院、出会う医師、その診断と対応で生死が決まると強く感じた!
2012/12/05
スプリンセルを開始
2012/12/10
骨髄穿刺(マルク)検査結果等で病名が決まる。
慢性骨髄性白血病の急性転化状態です。(芽球が80%以上)
病気と進行度(ステージ)によって治療内容が変わるようだ。
私の場合、慢性骨髄性白血病の最終ステージ、急性転化状態なので何が起きてもおかしくないので骨髄移植を考えて下さい!と言われた。
どれほど大変なことなのか理解できていなかった。
最近、健康診断を受けてますか?はい、
1ヶ月前に会社の診断がありました。
結果を見せて下さい。
と言うので取り寄せてみたら、白血球数が16800だった。
✨健康診断時点で異常だったが何も連絡が無かった。健康診断の意味がない
他の人のブログを見ると15000ぐらいでも検査当日に直接電話があり、専門の病院を紹介された人が何人もいる。
ガン化した白血球の増加を抑えるために分子標的治療薬(スプリンセル)を使用した。
これで白血球数が基準値まで下がった。
心臓の血の塊は小さくなった。
2012/12/29
ステージが慢性期に戻ったので退院して自宅療養生活になりました。
疾病手当の申請をして1ヶ月だけ受け取った。
この時は疾病給付の制度をよく知らなかった。
2013/01/21
スプリンセルを毎日飲む事で復職した。
二週に一回通院し、血液検査、マルクを行う。
検査の結果、スプリンセルが効いている間はそのまま。
2013/03
マルクの結果、細胞遺伝学的完全寛解まで来た。
2013/03/25
担当医からスプリンセルが効いていない可能性がある。
骨髄移植を進められた。
2013/04
スプリンセルが効いていない。
他の分子標的治療薬も合わないので骨髄移植を考えて下さい。と言われた。
家族のHLA型をチェックして合わないことが分かった。
骨髄バンクにお願いした。
通常合う人を見つけるのに一年かかります。と言われた。
担当医から体温が38度を超えたら直ぐ病院に連絡して下さい。と言われていた。
2013/06/16
夕食後体温が38度を超えたので夜11時頃病院に行きそのまま入院した。
CVカテーテル装着した。これで点滴が楽になる。
そこから骨髄移植まで2ヶ月化学療法を受けた。
骨髄移植部屋に移った。
2013/08
放射線治療を1日2階、3日間受けた。
骨髄移植経験者が来て話をしていただいた。
どうだったか、何を注意するべきかなど。参考になった。
歯磨きが大切!
飲み薬が全て点滴に変わったので、点滴ラインが10本位繋がった。
好中球がほぼ0になる。
身体中の毛が全て抜けた。
2013/08/08
夜9時ごろ骨髄移植を行った。
10分ぐらいで終わった。輸血より早かった。
血圧が高くなっただけだった。
私は依頼して移植まで4ヶ月と早かった。
ドナーに大感謝😃
移植を受ける側よりドナーの方が大変だ!
2週間経っても好中球があまり増えない?
薬[フィルグラスチム]を注射した。
キメリズム検査を行った。
結果、ドナー由来の定着率が低い69%だった。
このままであればドナーリンパ輸注を行うしかない。
実施日まで決めたところで再検査を行った。
結果、ドナー由来の定着率が98%まで上がったのでドナーリンパ輸注は中止になった。
2013/09
部屋が変わり飲み薬に変わった。
順調に好中球が回復してきた。
退院に向けて外泊が許された。
入院中に亡くなったおじさんのお参りに行った。
2013/10
その後、体調が良くなかった。
最初の入院から毎日日記を書いていたが、文字を書く手が震え気力が弱くなりほとんど読めない字になっていた。
会社の上司が来て話をしたが何を話したか全く覚えていない。
(後で分かったがこのまま休職が続くと3月に退職になる事を伝えに来たようだ)
その翌日意識不明になった。(3週間弱)
2013/11
意識が戻ったとき、見たことのない風景だと思った。
ナースステーション横の部屋に移されていた。
〇〇さん今日何日かわかる?と聞かれた。
よく見るとベッドの周りに医師と看護師さんがいた。
何日ってそんなのカレンダー見ればいいじゃんと思っていた。
自分が意識不明になったことは分からないから理解するのに時間がかかった。
その後回復していき、体力をつけるためにリハビリをした。
2013/12
来週退院と決まったところで、
どこか気になるところがあるなら言って、
外来だと大変だから、と言われた。
最近呼吸がしづらい。
大きく息が吸えない、と言ったら肺を検査した。
結果、肺炎です。
退院は延期します、と言われた。
2014/02/15
やっと退院できた。
4ヶ月の予定が8ヶ月入院していた。
退院して自宅療養1ヶ月
2014/03
会社から呼び出され復職出来ないので退職になります。この時、2013/10に上司が来た理由が分かった。
社内規定で決まっています。と言われた。
復職して東京に行くことができないため退職した。
ここからは病院のケースワーカーに相談したり、インターネットで調べていつまでに何をしないといけないのか調べて手続きした。
健康保険
退職しても2年間は継続できる
対処日で保険が切れるので、任意継続の手続きをしたり、職安に行って手続きした。
失業保険は働ける状態で仕事を探していないとたいしょうにならない。
疾病給付は最初に受け取った月から18ヶ月までなのを初めて知りました。
疾病の為働けな場合は失業保険の支給開始を最長3年先に延ばせるのでその手続きをした。
抗がん剤の副作用が今だに強くなっている。
ついには障害者手帳を持ち、介護認定まで受けています。
ステロイド剤の影響で骨がもろくなり背骨の圧迫骨折が5ヶ所になり頭から足の裏までいろんな副作用が出ています。
病院内は車椅子を使うようになった。
薬を18種類飲んでいます。
2週に1回通院が続いている。
今まで14回入院しました。