答えます その11
いやー、夜が明けました・・・普段家ではお酒を飲まないんですが珍しくビールをちびちび飲みながら徹夜してしまいました。CMJKです。早朝からもうしわけございません。
たくさんの質問/相談お寄せいただきましてありがとうございました。
今回の投稿は締め切らせていただきます。次回は9月に開催します!
答えます
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RP さん
Q,
「(デビュー当時に)クラブミュージックに出会って自分のルーツであるNW的な感性を捨てるべきかか悩んだけど、必ずしもそうではなく、自分がエレクトロ+メロディーをやるしかないと思った」と仰っていましたが、その数年後に出てきたエレクトロクラッシュはJKさんにとってどう映りましたか?
そして、NWはさておき「ポップなものとクラブミュージックの融合」というテーマはJKさんにとって、バンドやプロデュース業を通じて今もなお追求し続けるべきテーマなのでしょうか?
A,
RPさんは常連さんすので、ちょっとピリっと回答でもいいですよね?
えーと、まずそもそも僕のデビュー当時の状況からエレクトロクラッシュの登場までには、「その数年後」ではなくて10年以上の年月があるわけです。
10数年も経てばもう時代も一回りして、ああ、エイティーズ来るか。来たか。そりゃそうなるよな。という感じで冷静に見てました。
なのでエレクトロクラッシュ全般に興奮したり没頭したりした記憶はなくて、LCDだったりフィッシャースプーナーだったりティガだったり、アーティスト単位で好きだったりそうでもなかったり・・・という感じでした。
「ポップなものとクラブミュージックの融合」というとなんか語弊があるかなあと。
確かに「ザ・インタビューズ」では「普遍的なメロディーやコード進行とクラブミュージックの融合」(を、その当時はやろうと思った)とは書いたかもしれませんが、「ポップなクラブミュージック」を延々とやりたかったわけではありませんし、これからもやりたくありません。そういうのはLMFAOとかデビッド・ゲッタとかのチャラ・クラブミュージックの人たちに任せますし、やれと言われれば多分できちゃいますが積極的にはやりたくありません。僕の追求したいテーマではありません。
僕は、これは、これまで何度もいろんなところで書いてはいますが、こう思ってるんです。
ロックの仕事をする時でも音像感やアイデアはクラブミュージックのフィルターを通してやる。演奏テクニック至上主義に走るのはNG!センスとアイデア・・・「質感」こそ尊い!
クラブミュージックの仕事をする時には、例えギターやベース、生ドラムの音が1音も入ってなくて全部シンセサイザーで構築するものであっても、ロックのマインドで作る!
バラードや、オーケストラのストリングスだけの仕事をする時こそ、感情を露骨に露にする。つまり、パンク・スピリットで!
以上の3つが僕のルールで、一生の音楽的なテーマなんです。
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ショコラ「HOPE for JAPAN」 ★ さん
Q,
進路のことで悩んでいて、音楽関係(LIVEスタッフ、企画等)とにかく音楽に関係する仕事に就きたいのですが、やっぱり専門学校に行くべきですか?
学校に行く他何かありましたら、教えてください。
あと、CMJKさんはどういう道に進み、今の仕事をしているのですか?教えてください☆(*^^*)
A,
まあ、華々しくステージで歌い踊るアーティストや、そのバックで踊るダンサーのみなさん、演奏するバンドのみなさんはイメージしやすいと思います。
そこを基準に考えると我々レコーディング・サウンド・プロデューサーも作詞家も作曲家もレコーディングエンジニアも照明や映像のクリエイターチームも舞台監督も会場を設営するたくさんの方々も警備の方もイベンターもメーカーのプロモーターも会場バラしのバイトの子達もたった一言「裏方」あるいは「スタッフ」というくくりで、一緒に見えると思います。
レコーディングエンジニアやPAになりたいなら専門学校は行ったほうがいいですが、イベンターやライブの制作の仕事をしたいなら良い大学を出てたほうがいいです。
「スタッフ」と一言で言いましてもいろんな方面があり、それぞれに高いプロ意識を持ってやっています。
音楽関係だったらなんでもいい、スタッフだったらなんでもいい、では困ります。
僕は中学生の頃からバンドをやっていて、それ以外のことが考えられませんでした。進路のことや「進む道」なんかについても考えたことがありませんでした。
1989年に電気グルーヴというユニットに参加して、1991年にデビューしました。電気グルーヴを脱退後、90年代は、Cutemen、Confusion、Alex、Alex incというユニットでそれぞれ活動し、2000年代からアーティスト活動をやめてほかの人に曲を書いたり編曲をしたりプロデュースをしたり・・・と、今の仕事になりました。
中学生の時に人生設計を立てました。
20歳前後でメジャーデビューする。20代は売れなくてもいいから悔いのないアーティスト活動をする、30代はサウンドプロデューサーとして、マニアックでありつつも広く一般に受け入れられる作品を世に送り出す、40代になったら自分イズムを継承できるような後輩や新人を育てる、50代になったら関根勤、60代になったら高田純次になる・・・
いまのところわりと予定通りに進んでますが、そのために学校に行って何かを誰かに習ったりどこかに就職したり・・・という発想はなかったです。
ブレずに音楽をやってただけで、中学生の頃も44歳の今も変わりません。
何かひとつ、やってて一番楽しそうなことに絞りましょう。それが見つかったら、ブレずに信じてやりつづけることです。
たくさんの質問/相談お寄せいただきましてありがとうございました。
今回の投稿は締め切らせていただきます。次回は9月に開催します!
答えます
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RP さん
Q,
「(デビュー当時に)クラブミュージックに出会って自分のルーツであるNW的な感性を捨てるべきかか悩んだけど、必ずしもそうではなく、自分がエレクトロ+メロディーをやるしかないと思った」と仰っていましたが、その数年後に出てきたエレクトロクラッシュはJKさんにとってどう映りましたか?
そして、NWはさておき「ポップなものとクラブミュージックの融合」というテーマはJKさんにとって、バンドやプロデュース業を通じて今もなお追求し続けるべきテーマなのでしょうか?
A,
RPさんは常連さんすので、ちょっとピリっと回答でもいいですよね?
えーと、まずそもそも僕のデビュー当時の状況からエレクトロクラッシュの登場までには、「その数年後」ではなくて10年以上の年月があるわけです。
10数年も経てばもう時代も一回りして、ああ、エイティーズ来るか。来たか。そりゃそうなるよな。という感じで冷静に見てました。
なのでエレクトロクラッシュ全般に興奮したり没頭したりした記憶はなくて、LCDだったりフィッシャースプーナーだったりティガだったり、アーティスト単位で好きだったりそうでもなかったり・・・という感じでした。
「ポップなものとクラブミュージックの融合」というとなんか語弊があるかなあと。
確かに「ザ・インタビューズ」では「普遍的なメロディーやコード進行とクラブミュージックの融合」(を、その当時はやろうと思った)とは書いたかもしれませんが、「ポップなクラブミュージック」を延々とやりたかったわけではありませんし、これからもやりたくありません。そういうのはLMFAOとかデビッド・ゲッタとかのチャラ・クラブミュージックの人たちに任せますし、やれと言われれば多分できちゃいますが積極的にはやりたくありません。僕の追求したいテーマではありません。
僕は、これは、これまで何度もいろんなところで書いてはいますが、こう思ってるんです。
ロックの仕事をする時でも音像感やアイデアはクラブミュージックのフィルターを通してやる。演奏テクニック至上主義に走るのはNG!センスとアイデア・・・「質感」こそ尊い!
クラブミュージックの仕事をする時には、例えギターやベース、生ドラムの音が1音も入ってなくて全部シンセサイザーで構築するものであっても、ロックのマインドで作る!
バラードや、オーケストラのストリングスだけの仕事をする時こそ、感情を露骨に露にする。つまり、パンク・スピリットで!
以上の3つが僕のルールで、一生の音楽的なテーマなんです。
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ショコラ「HOPE for JAPAN」 ★ さん
Q,
進路のことで悩んでいて、音楽関係(LIVEスタッフ、企画等)とにかく音楽に関係する仕事に就きたいのですが、やっぱり専門学校に行くべきですか?
学校に行く他何かありましたら、教えてください。
あと、CMJKさんはどういう道に進み、今の仕事をしているのですか?教えてください☆(*^^*)
A,
まあ、華々しくステージで歌い踊るアーティストや、そのバックで踊るダンサーのみなさん、演奏するバンドのみなさんはイメージしやすいと思います。
そこを基準に考えると我々レコーディング・サウンド・プロデューサーも作詞家も作曲家もレコーディングエンジニアも照明や映像のクリエイターチームも舞台監督も会場を設営するたくさんの方々も警備の方もイベンターもメーカーのプロモーターも会場バラしのバイトの子達もたった一言「裏方」あるいは「スタッフ」というくくりで、一緒に見えると思います。
レコーディングエンジニアやPAになりたいなら専門学校は行ったほうがいいですが、イベンターやライブの制作の仕事をしたいなら良い大学を出てたほうがいいです。
「スタッフ」と一言で言いましてもいろんな方面があり、それぞれに高いプロ意識を持ってやっています。
音楽関係だったらなんでもいい、スタッフだったらなんでもいい、では困ります。
僕は中学生の頃からバンドをやっていて、それ以外のことが考えられませんでした。進路のことや「進む道」なんかについても考えたことがありませんでした。
1989年に電気グルーヴというユニットに参加して、1991年にデビューしました。電気グルーヴを脱退後、90年代は、Cutemen、Confusion、Alex、Alex incというユニットでそれぞれ活動し、2000年代からアーティスト活動をやめてほかの人に曲を書いたり編曲をしたりプロデュースをしたり・・・と、今の仕事になりました。
中学生の時に人生設計を立てました。
20歳前後でメジャーデビューする。20代は売れなくてもいいから悔いのないアーティスト活動をする、30代はサウンドプロデューサーとして、マニアックでありつつも広く一般に受け入れられる作品を世に送り出す、40代になったら自分イズムを継承できるような後輩や新人を育てる、50代になったら関根勤、60代になったら高田純次になる・・・
いまのところわりと予定通りに進んでますが、そのために学校に行って何かを誰かに習ったりどこかに就職したり・・・という発想はなかったです。
ブレずに音楽をやってただけで、中学生の頃も44歳の今も変わりません。
何かひとつ、やってて一番楽しそうなことに絞りましょう。それが見つかったら、ブレずに信じてやりつづけることです。