ココロカエサル
必然は過去形。客観的な見方。
偶然は現在進行形。主観的な見方。
そういわれている。が、オレは思わん。
運は全ての人に平等にある。
ただ、それをあると感じるか、ないと感じるかだけなんだ。
不平等もまた然り。
やった奴は報われる。
結果がでるまでやるってこと。
納得できるまで、苦悶してやってますか?
運はそう簡単に味方なんてしてくれないよ。
がんばれるかどうかもまた運なんだけどね。
だからこそ、必然は結果論だとは思わない。
運命って信じますか?
信じない人は人生損してるよ。
自我にどれだけ信頼を置いているんだ?
その時点で世界に目をやることをやめていると宣言しているようなもんだよ。
たとえばさ、
全員がある根拠をもって”見る”=共通の認識こそが事実だとするならば、
それは体系的に決まったことであり簡単には変えられない。
しかし、関係は関係なのであって、一定不変の実体のようなものとは違う。
その関係さえ理解できれば、事実を変えることができる。
全員が、それが石なら石と見えている根拠Aを乗り越える根拠Bをもって「これは木だ」と思おうとするとき、それはあきらかに「木」に見えてくるものなのだ。
人々が何故にこれを石と見ているのか、木に見えないのは何故かという根拠がわかればできることである。
我々がまだ見つけていないだけであって、石に見えていたものを木に見せるシステムはあるに違いない。
その根拠そのものを見るところに科学は動いていっていることはたしかである、と。
これは偶然に行われる人間の所業ではない。
人が為すべき予定調和なのだ。
その必然をを科学が変えようとしていると。
なぜこんな話を?
すでにそこから運命は進行しているからさ。
ここで言えるのは、運命を信じないってことは、その石を石だと認識することを拒否することだと。
本来は違うことを言いたい文なのだが、途中で違うことに気づいたんであわてて軌道修正。
まー全ての事象は関連しているから、問題はないのだけれども。
なんにしろ、それを石だと認識できてる君は、運命によって真っ当な人生送れているんじゃないかい?