長引くだけで、結論が出ない会議を指す「小田原評定(ひょうじょう)」。この言葉の由来となった、戦国大名家といえば?
北条氏です。
戦国大名の北条氏は、その居城・小田原城で月に2回、重臣たちによる評定(軍議・会議)をおこなっていました。秀吉により小田原城が攻められた際もこの評定がおこなわれましたが、長い話し合いだったにも関わらず、和平か抗戦かの結論は出せずに、結局小田原城は陥落。このことから、「小田原評定」という言葉は「結論の出ない会議」を表すものとして使われるようになりました。
北条氏です。
戦国大名の北条氏は、その居城・小田原城で月に2回、重臣たちによる評定(軍議・会議)をおこなっていました。秀吉により小田原城が攻められた際もこの評定がおこなわれましたが、長い話し合いだったにも関わらず、和平か抗戦かの結論は出せずに、結局小田原城は陥落。このことから、「小田原評定」という言葉は「結論の出ない会議」を表すものとして使われるようになりました。