ご無沙汰しております![]()
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最近はX(旧・Twitter)で履修した韓ドラの簡単な感想を細々とつぶやいている私ですが、今回は長文で考察を綴ってみたくなり、久しぶりにアメブロにログインして記事を上げてみました。
(忘れていたログインIDとパスワードは、Google先生が記憶してくれていました
)
例によって個人の考察であり偏向甚だしい内容ですが、お暇な方は一読いただけますとありがたいです![]()
(先に断っておきますが、無駄に長いです
)
さて、本日考察するのは旧作韓ドラ史劇の中でも傑作の誉れ高いこちらの作品です![]()
『奇皇后 〜ふたつの愛 涙の誓い〜 (2013~2014年・MBC)』
(原題:기황후[奇皇后]/英題:Empress Ki)

●演出
ハン・ヒ
イ・ソンジュン
●脚本
チャン・ヨンチョル
チョン・ギョンスン
●出演
ハ・ジウォン
チ・チャンウク
チュ・ジンモ
ペク・ジニ
●概要
チンギス・カンが興した、世界史上例のない巨大帝国・元。
東アジアと東ヨーロッパを傘下に収めるこの巨大な世界帝国を37年間も揺るがした実在の女性。「鉄の女」と言われた奇皇后の生涯をベースに、愛と野望、生き抜くための闘いを壮大なスケールで描いた歴史ドラマ。
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実は昨年、TVINGで放映された『于氏王后/우씨왕후』という史劇を本国放映に合わせて観ていました。

チ・チャンウク君が久しぶり(『奇皇后』以来)に史劇登板することに加えて、「レビラト婚」という特異な題材を描くという事が新鮮で序盤こそ楽しみに視聴していたドラマでした。
しかし、全8話で2部制だったこのドラマ、1部でも不要なエロ描写や過度な残虐場面が没入を下げていたことを残念に感じていたのですが
2部まで終わってみれば当初のテーマ性が希薄のまま「結局、何が描きたかったんや
」と消化不良の残る微妙な凡作として終映してしまいました。
ヒロインを演じたチョン・ジョンソちゃんも、王后を演じるにはどうにも所作に気品が足りなかったし彼女は史劇向きではない女優さんですね![]()
ただし、クレジットに「그리고 지창욱」とあるので特別出演の扱いだったチ・チャンウク君の演技や存在感はとても良かったんです![]()
史劇を演じられる俳優さんが大好きな私にとって、彼の好演だけが救いな作品でした![]()
(むしろ、彼の好演がこんな凡作で消費されたことが口惜しいくらい
)
そこで、彼の前作史劇でもある『奇皇后』を久しぶりに履修してみたのです。
元々この作品は、史劇でこそ輝く女優ハ・ジウォンちゃんの代表作であり彼女の為にあるようなドラマです。
久しぶりに観たら、『バリ出来』と同じくらいに読み解くのが面白い恋情をジウォンちゃんがとても繊細に演じていたので、改めて作品考察もかねて長文を綴ってみたくなったのが、久方ぶりにアメブロにログインした経緯となります。
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まずは考察の本論に入る前の大前提として、『奇皇后』が放映と同時制作が当たり前だった2013年の作品らしく、視聴者からの反響や現場の雰囲気の影響を大いに受けてシナリオが変容していった、良くも悪くも前時代の韓ドラであるという認識が不可欠となります。
それ故に、序盤で方向転換を決めたであろう制作陣のゴリ押しが当初のプロットをいびつに変容させ、全50部作だった『奇皇后』の折り返し直前に当たる20~22話で、タイムラインが無茶苦茶な謎展開が突如ブチ込まれることになります![]()
この部分については、放映当時のインタビューでハ・ジウォンちゃんが以下のように釈明しています。
「スンニャンに子供がいるという部分は架空の設定だったけれど、この子が登場すべき理由はドラマを通じて確認できる。子供が話をもっと面白くする。子供がスンニャンが宮殿に戻るきっかけを作ってくれる。子供と高麗王のワン・ユはドラマを劇的に導いていくためのものだ。このような架空の設定によって今までよりもっと楽しく見ることができると思う。子供は私にも負担だったけれど、負担を乗り越えるためもっと努力する」
(2014/01/20_osenより)
主演女優が一番手の男性主人公であるはずのワン・ユを「ドラマを劇的に導くための仕掛け」とまで断定して語るだけの変節が、当時の『奇皇后』に起こっていたことを暗に示しています。
歴史歪曲議論を受けて急遽架空人物に設定を差し替えられたワン・ユですが、史実的には暴君だった忠恵王(※)を想起させる存在であり視聴者の心証は元々良くはありませんでした。
その上、元王朝が舞台の作品であるのに韓国制作のドラマ故に韓国側(高麗)を必要以上に美化する傾向が視聴者からの反感を買い、その煽りを受けてワン・ユの扱いが酷い毀誉褒貶を被ってしまうことになります。
(※:高麗史に見識のある本国視聴者からすれば、奇皇后と忠恵王のロマンスは「売国女と無差別強姦男のラブストーリー」になるので、拒否感が出るのは当然と言えば当然なのです
)
制作陣の一番の誤算は、当初メインカップルだったはずのハ・ジウォン
チュ・ジンモのケミが思ったほど効果的に作用せず、逆にタファンを演じたチ・チャンウク君の好演も手伝ってハ・ジウォン
チ・チャンウクのケミが本国の視聴者に圧倒的な支持を得たことでした。
因みに、『奇皇后』は日本のみならず世界各国で順次放映されていきましたが、ワン・ユ派が大勢なのは日本だけだと思います。
保守的な日本の視聴者には、分かり易い騎士道に生きたワン・ユの魅力が圧倒的に支持された印象が強いです。
演者であったジュンモ氏は、「完璧過ぎるワン・ユはかえって人間味を表現しにくく、平坦なキャラクターだ」と不満を吐露していましたが![]()
また序盤にヒロインであるヤンがワン・ユよりもタファンと一緒に行動することの多い進行が、演者たちのモチベーションに大きく影響したことも否めません。
重要な場面を先撮りした中国ロケでも、ジュンモ氏が撮影に参加したのは最終日だけだったそうです。

ハードな撮影が続き苦楽を共にした為か、ジウォンちゃんも共演場面の少なかった先輩俳優であるジュンモ氏よりはチャンウク君との方がより早く打ち解けて仲も良くなっただろうし、前半のヤンとタファンは遠慮のないやり取りの応酬が続くラブコメのような雰囲気があります。
演技面での2人の呼吸が合っていくのは必然だし、そういう俳優同士の微妙な相性の機微を本国の視聴者は敏感にジャッジして割と早めに支持傾向を表明する観方が定着しているのです。
ビジュアル面での相性も、これはジュンモ氏が悪いわけではありませんが彼は容姿も雰囲気も渋すぎて![]()
童顔で実年齢よりも遥かに若いジウォンちゃんとお似合いに映るのは、どうしてもチャンウク君に軍配が上がってしまいます。
そういった様々な要素が重なって、序盤で「ワン・ユ<タファン」という雰囲気や方向性を作ってしまった感は否めませんでした![]()
私の予想では、制作発表時には「10話まで台本が出来ている」と主演俳優たちが語っているので、序盤放映が終わった頃(視聴者の反応が出揃う時期)に執筆されていた12~14話あたりで、方向転換の打診がなされたとみています。
具体的には13話で、ワン・ユが戦死したとの誤報を受けてヤンが悲しむという話が出てきます。
あくまで邪推ですが、制作側はここで一度ワン・ユを殺してしまう案を打診したのではないかと怪しんでいます。
中盤にも極端にワン・ユの出番が減る時期があり(丁度ヤンの後宮としての宮内暗闘が始まる頃でそれほど違和感はない)、一説には脚本家や制作陣とジュンモ氏の間でワン・ユのキャラ造形や展開について意見衝突があり、一時的にワン・ユの出番が激減したと言う噂があるそうです。
その後も地位が安定しないワン・ユは何度も死ぬ死ぬ詐欺を繰り返して、高麗王という設定だったはずなのに廃主として劇中の大半を放浪者のように行動する姿ばかりが目立つ微妙な立ち位置のキャラクターでした![]()
2014年の放映当時に開催されていたソチオリンピックの影響で休止を挟んだ『奇皇后』は週2日放映の2日目を最終話とする慣例に合わせる為に1話延長されて全51話となりましたが、ワン・ユはその前話の50話で死ぬ為にチュ・ジンモ氏は途中下車。
メインキャストにも関わらず彼が不在で最終話を迎えたことにも、微妙な遺恨を感じてしまいますよね![]()
世論に迎合した制作陣がメインカップルを急遽「ヤン
タファン」に切り替えた為に、脚本家がワン・ユの扱いに苦心した弊害が如実に出てしまった印象です。
こんなに扱いの不公平さがあからさまなのに、それでもワン・ユ派が大勢な日本の視聴者は寛大だし、よほどワン・ユのような「分かり易い尽くす男」が好きなんだな~と、変なところで関心したりもしますが。。。
そんな訳で、以下に続く考察は
ワン・ユと相思相愛なヤンがタファンの皇后となったのは本意ではなかった
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復讐の為に宮入したヤンがタファンを心から愛して真の皇后になるまでの物語
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という当初のプロットが序盤を撮り終えた後に変更されたシナリオと真摯に向き合って、ヤンという女性の感情推移の整合性を見事に修正したハ・ジウォンちゃんの演技に功労賞✨を与えたい意味で綴っていこうと思います![]()
『奇皇后』に於けるタファンに向けたヤンの「愛」についての考察
(※作品レビューではなくてあくまで考察となります[注:ネタバレ満載!])
(※紹介動画は全てMBC公式より)
大青島で出会った時から自然にタファンと心を通わせ、自分でも気が付かない内に彼の事を愛し始めていたヤン。
自分を男だと思っているタファンからの気安いスキンシップにドギマギしたり、ワン・ユがタファンの我儘ぶりを危惧しても「むしろ面白い」と言って共に過ごす時間を楽しんでいた。
開京に無事生還した時に彼の安否を高麗サイドの思惑は度外視して心配する姿[6話]からは、既にヤンの中でタファンが「任務としての保護対象」を超えた存在となっていることを示している。
(危険な逃避行を同伴して共に死線を超えた分だけ、吊り橋効果も手伝って2人が強固な絆で連結してしまうのは必然)
しかし、微かに芽生えていたタファンへの感情は、他でもない彼の偽証によって引き裂かれてしまう。
タファンを信じていた分だけ彼のついた嘘が哀しかったし、裏切りによるヤンの失望感は深かった。
唯一の生きる希望だった父親を理不尽に奪われたヤンは憎しみに囚われてしまう。
「高麗の国としての弱さ」という根本原因から目を逸らしてタファンに責任転嫁をしたヤンは、「復讐」という短絡的な道を選んだことによって皮肉にも再びタファンへと近づいていく。
『奇皇后』が面白いのは、ヤンが強い意思に突き動かされて選択するのはいつもタファンであるということ。
海辺でワン・ユとタファン、どちらの馬に乗るかを選択する場面は象徴的だが、ヤンがワン・ユを選んだり頼る時というのは、何時も悲観的な思考に囚われている場合が多い。
「ご不便でしょう。楽にお行き下さい」 と言ってタファンの馬に乗るのは一見すると主君であるワン・ユへの配慮だが、実はヤン自身が"ワン・ユの馬に乗るのは居心地が悪い。タファンと行く方が気楽だ"という本音を暗示している
元の皇宮からワン・ユの手を取り高麗サイドに戻った時、ヤンの胸中には祖国(高麗)への郷愁と「これ以上タファンに近づいては危険だ」という自分の中の警告に従ったある種の"逃避"があった。
貢女として元皇宮へ連れて行かれたムスリ/宮女時代(皇宮生活序盤)にワン・ユを恋しがる描写が多かったのも、無力で孤独だったヤンが"拠り所"を求めた心理表現として観るほうが遥かに腑に落ちる。
そんな寂しく孤軍奮闘していたヤンが、憎むべき"父の仇"だったタファンをある瞬間から理解して憐憫を感じるようになり、皇宮で共に過ごす内にあろうことかその"父の仇"に恋をしてしまう。
自分の不穏な心の揺れを無意識に感じていたヤンは防御心から一層ワン・ユにしがみついたし、ワン・ユもヤンが揺れていることが分かるから、彼女がタファンと一緒にいる姿を見る度に不安になっていたのだろう。
19話では、「殿下(ワン・ユ)のせいではなく父のせいです。私のことを忘れてください。望みはそれだけです」と断固としてタファンを拒絶する場面が出てくる。
この台詞が不思議なのは、既にタファンへの復讐を諦めて皇宮から去りワン・ユと一緒にいるのに、あえて「あなたは私の父の仇だ」と恨み言を口にするヤンが矛盾に満ちているところだ。
口では自分のことを忘れるように言うのに、目には明らかな躊躇いが見える。
扉が静かに閉じていく間も泣いているタファンから目を離すことが出来ず、扉が閉ざされた後にもその場を立ち去ることなくただ立ち竦んで啜り泣いている。
ずっと秘めてきた殺意や復讐心を打ち明けた"父親の仇"に対して、清々しい姿をみせて未練なく去らねばならないはずなのにそうは出来ないヤン。
つまりこの場面描写からは、
ワン・ユを愛しているからタファンを愛していない
→ 誤
父の仇であるタファンを決して愛さない
→ 正
というヤンの意思を強調する意図が読み取れるように思う。
"父の仇"という残酷な事実を明かすことで、タファンの方から去ることを促したヤン。自覚はないだろうが、既にこの時点で自力ではタファンを心から消し去れない自分に薄々気が付き始めていたのかもしれない。
一時は殺そうとまで思った相手を愛してしまう。この事実を自覚するのは容易ではないだろうし、その気持ちに気づいたヤンはさぞや衝撃を受けたであろう。
全力で否定したいだろうし、自らを裏切り引き裂くような感情に向き合うことは苦痛を伴うからこそ、そこから目を背けたかったヤンの気持ちは理解できる。
ワン・ユの求婚とヤンの承諾の間にタファンのことを回想して泣く描写が挟まれるのも、揺れ動く心を落ち着かせるために決して愛してはならない人から逃げる為に承諾を選んだヤンの心理が感じられる。
ただ、その逃避が無駄にワン・ユを傷つけて彼を滅す原因を作ってしまったが…![]()
その功罪なのだろうか? 必死に否定して抑えてきた分だけ、その感情を解き放った反動は予想外に大きかった。
一度心を認めてしまった後のヤンは、自分でも持て余すほどに深くタファンを愛していく。
愛が深まる毎に比例して、負の感情が肥大することに苦悩して足搔く終盤のヤンの姿は痛々しいほどだ。
目的達成(復讐⇒地位や権勢の獲得)の為に奔走することでその醜い本音を覆い、人生を通して自分がどれほどタファンを愛しているかを隠す事に全力を尽くしたヤン。
自分の身体、心、そして魂を彼に捧げることを何よりも恐れていたヤン。多くの愛する者を失ってきたからこそ、最愛のタファンまで失いたくなかったから。
ヤンがアユを皇太子にして自分が皇后に上り詰めようと奔走する理由は、表向きの名分は「元の皇宮で己を守り生き残る術」だが、本心は「タファンとの幸せを誰にも壊されない為」だろう。
「この幸せが夢であろうと現実であろうと壊れない為にも、お前を皇后に、私たちのアユを皇太子にしてみせる」とタファン語った言葉。
この2つが叶えば、自分とタファンの幸せは安泰であるとヤンは信じた。

同時に、タファンが口約束を履行できない男であることは父親が濡れ衣を着せられた時の一件で身に染みて分かっているヤン。
それはタファンが不誠実なのではなく、彼が皇帝である以上自分の望むままに全てを選択することが出来ない立場である事を誰よりも知っているからだ。
だからこそ、タファンに頼ることなく自力でアユを皇太子にして、自分を皇后に推す勢力を拡大させることにヤンは尽力した。
タファンを信じていないのではなく、タファンの立場(皇帝として大儀の前には公私を分離せざるを得ない立場)を慮った故での選択だが、生まれながらの王族で高貴な身の上のタファンには地位や権勢に固執する輩の心理は理解出来ないし、貧困に喘ぐ民の苦しみに共感して寄り添う心も持ち合わせていないため、ヤンの行動の真意をくみ取ることが出来ずに不信感だけ積み重なるのが皮肉だ。
1.ヤンの独占欲
これについてはヨンチョル一族を排除した39話以降、ぺガンとの対立で浮き彫りになっていく。
偽の密書について何も知らないヤンは、タファンが精神的に不安定になり酒浸りに陥った原因はぺガンが征服戦争を唆しそれが敗戦を重ねているせいだと思っている。
自分を「高麗人」という理由だけで排除対象と見なすぺガンは所謂政敵だが、愛するタファンを壊した元凶でもある彼はヤンにとって許し難い存在。
それなのにタファンのぺガンに対する信頼は決して揺らがない。それどころか、ヤンが独自に勢力を拡大していることを知ったタファンは、ヤンへの不信感も手伝って対立軸にいるぺガンに「皇帝に次ぐ権力」を与えてしまう。
「皇帝である自分の”分身”であり”自尊心”だ」とまで公言して憚らないほどの特別扱いをして、そんなタファンの絶対的な信任を後ろ盾に増長したぺガンはヤンと高麗への攻撃を苛烈にしていく。
ぺガンが厄介なのは、タファンへの忠誠心が”本物”であるという事。
皇帝の権威だけが必要で傅く他の奸臣達とは違い、タファンが生まれつき持っている唯一にして最大の武器でもある"王家の血筋"に心酔して、絶対的な君主としてタファンの存在を崇めているのがぺガンという男だ。
タファンを想う気持ちは自分と同じく本物であるが故に、心からタファンを愛していて、だからこそ名実共に「タファンにとっての一番であり唯一の存在(皇后)」になりたいヤンにとって、これまで対峙してきたどんな敵よりも手ごわい相手がぺガンだった。
そんなヤンの独占欲が極に達したのが48話。
愛するタファンを薬で眠らせて自分の寝殿に隔離し、その身を確保しながらぺガンを陥れる策略を冷淡に実行していくヤン。
「これ以上、タファンを譲りたくない。必ずや奪還したい」というヤンの切実さが痛いほどに伝わってくる。
必死に立ち回って戦局を優位に進めようとも、肝心のタファンは過ちを犯したぺガンを罰することが出来ない。
「私と大丞相(ぺガン)、どちらか一人をお選び下さい」というタファンへの詰問は、ヤンの独占欲が限界に達した末に暴発した心の悲鳴だろう。
ヤンはタファンを愛しているからこそ、彼を独り占めしたい欲がある。
タファンと同様にヤンも幼少期に親の愛を受けた記憶が少ない為に、"愛し方"を知らない。2人とも「相手が何を望んでいるか」や「愛する人を形作っている価値観」にではく、「相手に何をしてあげたいか」や「自分の望む姿を相手に求めること」に意識が向かってしまう![]()
それにしても、男であるぺガンと女である自分を秤にかけて「どちらが大切なのか?」とは、なんと幼稚で浅はかな問いかけだろう。
タファンは2人を"政治の駒"とは見ていないし、其々に全く異なる価値を見出して両者共に"決して失いたくない存在"として大切にしてきたはすで、比較対象になど決してなり得ないのに。
ヤンの独占欲が目隠しになって正しく相手の心を認識することすらできなくなっている。切迫した彼女の心理がよく分かる台詞だ。
こんな台詞は、タナシルリやパヤンフトゥなら絶対に口にしない。
2人共タファンから愛されることに執着していたしその為には悪辣な手段も厭わなかったが、それは彼を愛していたからではなく、「皇后=内命婦の最高位」として相応しい扱いを受けることで己の自尊心を満たす為だったからだ。
「元国の皇后である自分が後宮(貴妃)ごときに陛下を奪われるわけにはいかない」という自負心が、ヤンを極度に警戒して敵視していた理由だった。
タファンからの冷遇はヤンへの寵愛が理由に他ならず、内命婦の頂点であるはずの皇后を脅かす存在だから排除したかっただけであり他意はなかった。
決して独り占め出来ない存在=皇帝を愛したが故に抱えてしまったヤンのジレンマ。
"愛し方"を知らなかったヤンは底なし沼のような独占欲を持て余し、「望む結果を得る為なら手段を択ばない」というタナシルリやパヤンフトゥと変わらない怪物になってしまった。
(その後、過ち[皇帝の意を仰がず独断で丞相を謀殺するのは立派な背信行為]を最後まで認めずに悔い改める様子をみせない姿勢まで同じ…
)
ぺガンがタファンからの信任を無条件で欲しいままにしている状況が歯がゆくて、でもぺガンがタファンの為に自らの命をも惜しまない忠誠心で仕えていることも事実でそこでは勝敗が付かない。
自分がどれほど必死に足搔いてもタファンとぺガンの信頼関係や絆は揺らがないし、「2人の内どちらかを失うなら、いっそ全てを失う」とまで言われ、最後は自分を選んくれるはずと期待したヤンの哀願は虚しくも斥けられてしまった。
ぺガンがいる限り、自分がタファンを完全に手に入れる事は不可能。
その確信が最終的なトリガーとなり、「殺すことで勝てないライバルを抹消する」という極論にヤンを追い込んでいった過程が丁寧に描かれたのが48話だった。
敬愛する叔父を自らの手を血に染めて葬ったタルタルは、タファンを巡るヤンVSぺガンの対立に巻き込まれた最大の犠牲者。
「政治理念の違いとその暴政を看過できずに叔父を粛清した」という史実に、皇帝を挟んだ貴妃との愛憎と軋轢を絡めて描くのが実に『奇皇后』的でもある。
ぺガンを殺した罪を贖えとタファンに席藁待罪を命じられたヤンは、「実際に手を下したのは自分だから」と不当な罰を憂うタルタルに、「これは私と陛下の問題です」と返答する。
2人が政敵として争っていたのだとタルタルは認識していたが、その実態は「どちらがタファンを掌握できるか」の争いだったことを明示している台詞だ。
ヤンもぺガンも頑固で、タファンに於いてはただの一歩も相手に譲るつもりがなかった似た者同士。
だからこそ、一方の死をもってでしか終われない争い。そうやって各々が自覚して突き進んだ死闘だったのだ。
2.ヤンの嫉妬とタファンを求める「女」としての欲求
ヤンの底なしの独占欲と並行して、女としての嫉妬心も随所でチラチラと青い炎を揺らしている。
それが最も明確に描かれているのが、パヤンフトゥが2人目の皇后に冊封された時だろう。
慣例通り新皇后と初夜を過ごす為にタファンが坤徳殿(皇后の寝殿)に向かったと聞かされたヤンは、激しい嫉妬に苛まれて眠れぬ夜を過ごす。
タファンとの幸せな日々を回想しながら、結局は自分の寝殿(興徳殿)に戻ることのなかったタファンがパヤンフトゥと初夜を過ごしたのだと誤解したヤンは、翌朝タファンと顔を合わせた時に不遜な態度をとってしまう。
彼女がまだムスリ(雑用係)だった頃、タファンの最初の後宮(パク・オジン)が秘密裏に皇帝の承恩を受ける為に大殿に送り込まれる算段を手伝っていたヤンは、公務としてならタファンが心を寄せない女も抱ける男であることを良く知っている。
タナシルリが懐妊(結局想像妊娠だったが)したことからも、心を寄せない女どころか嫌いな女であっても淡白に抱けてしまうのがタファンという男だ。(タナシルリとの性交については10話を参照。非常に判り難い描写ではあるがしっかりと劇中で確認できる
)
加えて、抱いた皇妃に高確率で皇宮で生きる為には最大の武器となる嬰児、それも後に皇帝となり得る「男児」を授ける能力に長けているタファン。
何気に仕事の出来る男なんだよな~
(下世話でミアン
)
タファンが他の女を抱くことに嫉妬する感情と付随するのが、ヤンが「女」としてタファンを欲する性的欲求だ。
それが初めて露わになるのが33話。
狩猟大会1日目の夜に、幕舎で自分を押し倒して「お前が欲しい」と求めながらも寸前で躊躇したタファンが身を起こした時、ヤンは自分から求めない限りタファンとは抱き合えない現実を思い知る。
「待つことにしよう。お前が、先に私を抱きしめてくれるその日まで」
この気遣いはタファンがそれだけヤンを大切に想っている証でもあるが、心を寄せない女でも無感情で抱けてしまうタファンは男として性的衝動が旺盛なタイプではないことも同時に示している。
端的にいうと、決して好色な男ではないという側面が伺える訳だ。愛の無い営みしか経験のないタファンは、そもそもセックスに対して過度な幻想を抱くことも無いのだろう。(下世話でミアン・Part.2
)
もちろん童貞でもないから色事に不慣れではないし、その分ヤンとの肉体的な進展を焦ることなく待つ余裕もある。
肉体よりも寧ろ心を通わせることをタファンはヤンに望んでいた。
その点では、求婚を受け入れてもらえたその夜にヤンの寝所を訪れて、正式な婚儀前に彼女との肉体関係(婚前交渉)を結んだワン・ユとは実に対照的だ。
勝手な推測だが、ワン・ユは堅物キャラだしヨンチョルの姪を娶るまで世子嬪や王妃の存在が描かれていない為に女性経験は未知数だが、決して経験豊富なタイプでは無かったと思われる。
「私をこうしているのはお前だから、あまり長くは待たせるな」
こう言い含めて居所へとヤンを送るタファンはとても紳士的だが、同時に焦らし上手でもある![]()
幕舎を出てパク・プラに「怖くなり始めた」と吐露したヤンの気持ちは推して知るべしだろう。
・自分の意思を裏切って深まっていくタファンへの気持ちをこれ以上隠せなくなってきている事への恐れ
・タファンが止めてしまったことに落胆している自分=彼に抱かれたい欲求を急に自覚したことへの恐怖
個人的には、この両方が混在した意味だと考察している。
決して焦ることなく、自分の心が溶けるその時まで待ってくれるタファン。
そんな優しい彼の近くで共に時間を過ごせば過ごす程、彼に惹かれる気持ちを抑えるのが難しくなっていくし、このままタファンへの愛を隠せなくなれば、復讐だけに注力するべき自分が揺らぎそうで怖い。
そして、予期せぬタイミングで急に自覚したタファンへの欲求。
恐らくヤンは、タファンと結ばれる時はワン・ユとの時のように、求められてそれに応じる状況を想定していたはずだ。
後宮である自分はタファンが求めればそれを拒否する権利は無いし、本心では拒みたいとも思っていない。
そうやってタファンから求めてくれるのを安穏と待っていた自分に、「お前から抱きしめてくれるまで待つ」とタファンは宣告してしまった。
自分から「抱いてくれ」と求めない限り抱き合えない現実に、このまま心を隠していては自分は永遠に満たされない。
その状況に何時まで耐えられるだろうかと思い至ったことで、自分の中に潜む欲求が肥大していくことをヤンは恐れたのだろう。
それが決定的だと思わせるのが狩猟大会2日目、森の中で自分を襲撃したタナシルリと対峙した時だった。

自分に弩を向けるタナシルリの集中力を削ごうとヤンが口にした煽りの台詞がとても印象的だ。
「陛下が夜毎に私を抱きながら、どんなお話をされているかご存じですか?」
殺意に囚われたタナシルリを激怒させて揺さぶるにしてもかなり極端な言葉を選んでいるが、ヤンにこの台詞を言わせたのは直前にタナシルリが口にした言葉が起因だった。
「恐れ多くも陛下の承恩を受けた対価が、このように高くつくとは思わなかっただろう」
タナシルリが何気なく毒づいた言葉が、ヤンの中に眠る嫉妬心に火をつけたのだ。
皇宮の人々は皆、ヤンが毎晩タファンの承恩を受けていると思っている。
実際にはヨンチョル打倒の為に文字の勉強をしているに過ぎず、当のタファンはヤンの心を慮って求めるそぶりは見せないし、関係を先に進めることを焦ってもいない。
前夜の不発に対する落胆が生々しく残っていたヤンは、「毎晩タファンに抱かれている」というタナシルリの思い込みに煽られて、実態(タファンとの間には何もない)を覆い隠すような虚言を口にしたのだ。
勿論、それが最もタナシルリの憤怒を煽る効果的な言葉でもあるが、あえてこの言葉を選んだことが隠れたヤンの嫉妬を如実に語っている。
この後、自分を庇って毒矢に倒れて意識不明に陥ったタファンに口移しで湯薬を嚥下させるヤンが描かれる。
最初の口移しは湯薬を飲ませる為だが、2度目は目を覚まさない愛しい人に対する祈りの口づけのようだ。
(キスシーンが苦手なジウォンちゃん、この場面は感情表現でカバーして実に巧く演じたな~と思う
)
タファンに触れたいヤンの欲求がそこはかとなく見え隠れしていて、何気に名場面だと個人的には思っている。
この場面があるからこそ、美しく身支度を整えて自分からタファンの寝殿に向かうヤンの心理が説得力を持つ。
一寸の躊躇いもなく身を挺して守ってくれて、病身を押してまで大明殿に駆けつけて皇帝の威光で自分を危機から救ってくれたタファン。
その献身に感激した気持ちも大いにあるだろうが、何よりもタファンに触れたいという欲求が急速に熟していったことが彼に身も心も開く決心をヤンにさせたのだろう。
(※余談だけどこの動画、再生回数が尋常じゃないな
)
後宮揀擇の為に皇宮に戻り[25話]、再会したタファンに「生きていたんだな」と抱きしめられた時にヤンは自分がタファンを愛していることを確信したのだと思う。
同時に、復讐という目的の為に戻ってきた自分はその感情を隠さなければならないという決心を固めたはずだ。
この時、タファンに抱かれて切なげに目を伏せるヤンの表情が秀逸✨ 彼女の悲壮な覚悟が感じられて、実にやるせない気持ちになる名演技だ。
だからこそ「復讐の道具」という名分でタファンとの間に一線を引き、後宮(臣下)として皇帝陛下に仕える自分の立場を明言している。
皇宮に戻ったヤンが以前よりもタファンに冷淡で僅かな隙も見せない姿は、同胞と我が子の復讐だけではなくタファンに対する感情を既に自覚した上で彼の傍にいる為に、過度の防御壁を身につける必要があったからだろう。
それでもタファンと共に過ごす日々の中で隠している想いは募っていき、決して彼を求めてはいけないはずの自分の決意も揺らいでいくことになるのだが。
タファンに抱きしめられる度に、心の中で「愛しています」と呟いているようなヤンの表情が私は好きだ。
(ここは、演者であるハ・ジウォンちゃんの表現が本当に巧みだと思う)
タファンへの愛が深まるのと反比例するように、ワン・ユへの想いが何であったのかにもヤンは気が付いていく。
ヤンにとってワン・ユはどこまでも主君であり、彼への思慕の気持ちは「恋情」ではなく敬愛と忠誠心だった。加えて、世子時代に自分を逃がしてもらった恩恵も、ヤンが彼を特別視する上で大いに影響しているだろう。
この事を裏付ける描写は2話にある。ワン・ユを監察御史だと思っていた頃のヤンは、「自分のところへ来ないか?」という提案に「嫌です」と即答していて特別な関心を向ける対象ではなった。
彼女がワン・ユを信じて慕うようになるのは彼が高麗王だと判った後からなのだが、ワン・ユ派は割とこの部分をスルーしがちだ![]()
キ・ジャオ(父)のことがなかったら、彼が高麗王ではなかったら、ヤンが"ワン・ユ自体"を選ぶ事はあり得なかったのでは? という感は否めない。
だからこそヤンは、彼が高麗の王位を取り戻す為に全力を尽くそうと奔走し、彼が望むなら王妃(中殿)となって彼の一番近くで治世に力添えをすることに何の躊躇もなかった。
ワン・ユとの合房も、彼がヤンを「女」として必要とした気持ちに報いる為であり、忠誠心から「ワン・ユの女」になろうとしていただけだった。
決して性的欲求からワン・ユと抱き合ったわけではなかった事は、合房後のヤンの選択でよく分かる。
愛する男と身も心も結ばれた直後であれば、どんな状況でも相手とは離れがたいはず。それなのにヤンは、「血書を探す」という理由で高麗に帰ることを先送りにする。
このまま一緒に帰ることを択んでしまえば、自分はワン・ユと婚儀を結んで正式に王妃となってしまうだろう。
ピョルを身ごもっていると判った時にも、「自分が子供を生むとは一度も考えたことがない」と歓びよりも不安を吐露していたヤン。
彼女の中で「王妃」という地位も、一度も望んだことのない未知の立場だった為に躊躇する気持ちが強かった。
ワン・ユの想いに応えようと、「ワン・ユの女」となる意思を固める為に彼に身を任せたはずなのに、いざ本当に「ワン・ユの女(王妃)」となるかと思うと二の足を踏んで迷いが生じてしまうヤン。
それは婚約の証である비녀/簪を挿すことを躊躇った時と同じで、気づかない内に心に芽生えていたタファンへの気持ちがチクチクと自分に警告をしていたからだろう。

皇宮に戻りタファンへの愛を確信したことで、ワン・ユへの想いが敬愛と忠誠であったと知ったヤンは彼との関係を整理してからはワン・ユを「永遠の君主」として心に封印した。
ワン・ユを想って涙するヤンは、常に心の中で「ごめんなさい」と呟いているようだ。
ヤンの心理の落とし処を、当初から変わってしまったプロットに合わせて見事に修正したハ・ジウォンちゃんはつくづく巧みな女優さんだな~と感心する✨
この修正のお陰で、タファンを愛しているはずのヤンが大礼式の群衆の中にワン・ユの姿を見つけて落涙する理由に整合性を持たせることに成功したのだから。
これは補足だが、タファンが自分とワン・ユを比較して「自分は永遠に2番手」と感じてしまうのは当然なのだ。
ヤンの中でワン・ユは「君主」として揺るがないが、タファンの事は「男」として愛しているのだから。
もしもタファンがワン・ユより優位に立ちたければヤンがタファンを「君主」として崇めなければならないが、ワン・ユを「永遠の君主」として心に刻んでしまったヤンの中でその立場が逆転することはあり得ない。
タファンが常に感じていた「片思い感」の正体は、他でもなくこのヤンの意識を誤認していたからだろう。

彼女の中では「ワン・ユ=君主」「タファン=愛する男」として全く異なる存在価値で共存している。
しかもヤンは、自分がどれだけ愛しているかをタファンに隠している。恋は秘密を持っている方に分があるのだ。
3.ヤンの恐怖
ヤンの愛を語る上で外せないのが彼女が抱える「恐怖」についてだ。
タファンを恋慕する過程で、ヤンは劇中で2度もその「恐怖」について言及している。
1度目は前述した33話の狩猟大会の夜。そしてもう一度は、焦燥感にかられたタファンが無理やりヤンを抱こうとした45話だ。
「陛下は私の恐れをご存じありません。陛下に捨てられるか、恐れる私の心を」
タファンの寝顔を見つめながら心の中で独白するヤン。
実はタファンがヤンからの愛を確信出来ずに常に苦しむのと同じで、ヤンも自分が愛するようにはタファンから愛されていないと絶えず不安に怯えている節がある。
原因はタファンの言動。
そもそも最初の告白からして「私にとってお前は母鳥だった」という言葉で、彼の求愛はそこから始まっている。
「いずれにしても、お前が死ねば私も生きられないと感じた」
「2度とお前を離さない。2度と」
「お前の心に私がいなくても構わない。ただ私の傍にさえいてくれたら私はそれだけで良い」
「お前の姿が見えないと不安だ」
「私を引き留めてくれるのはこの世でただお前だけだ」
「私は絶対にお前を捨てられない。いや、捨てない」
一部を列挙しただけでも強烈な言葉のオンパレードだが、これらの言動がヤンに「タファンが自分に向ける寵愛は”執着”と”依存”を拗らせているだけ」と思わせている。
確かに、タファンの愛はその割合が大きいのも事実ではあるが![]()
ヤンは、タファンがその事に気が付いた時に自分は捨てられるだろうと怯えているのだ。
関心のない相手に向けるタファンの冷淡さを知っているからこそ、自分を見つめる眼差しが変わってしまうことが恐ろしいのだろう。
現実に己の死期を悟って「依存」と「執着」の呪縛から解放されたタファンの愛は、苦しみを独りで抱えて無私の心でヤンを包み込む崇高なカタチに昇華されたわけで、これはこれで泣ける変節だった![]()
『奇皇后』を語る時、ヤンは「愛してる」という言葉を最後の最後まで出し惜しみしたと良く言われるが、実はタファンも「恋しい」とは言っても「愛してる」とヤンに言ったことはなかった。
人は最期の瞬間、最も正直になる。思考を巡らせたり相手の本心を推し量る事はどんな意味も持たないから、一番言いたい言葉だけを口にする。
だからこそタファンはヤンに「愛している」と告げることが出来たのだろう。
ずっと聞きたかったその言葉を受けて、ヤンも自分が一番言いたかった言葉を口にする。
「私も陛下を愛しています。心から」
お互いを深く愛していたのに、臆病だったから決定的な言葉を口にするのを最後まで躊躇った2人。
とても大切で愛しているのにその心を相手は知らないからすれ違い、時にはその心が強すぎてお互いに、あるいは自分自身に痛みを与えることしか出来なかった後半の2人は観ていてとても辛かった。
心残りはあるだろうけど安らかに逝けたタファンと違って、独り残されたヤンは胸を切り裂く痛みの中で生きていかなければならないから辛いだろうな![]()
相手を慈しんで愛する心を眼差しや行動だけに込めずに言葉として伝え合っていたなら、残された時間が2人にとってもう少し濃密で安らかな瞬間の積み重ねになっていただろうに。
そんな惜しい気持ちがあるから、終映を向かえて何年が経とうとも視聴者に深い余韻を残す夫婦になったのだろう。
末尾になりますが、何時も演じる役の感情に憑依しながらキャラクターの人生を生きるハ・ジウォンちゃん。
プロットに予定外の変節が起きて、序盤と中盤以降の感情演技を繋ぐ為にさぞや苦心したであろうとことは想像にかたくありません。
彼女にとって幸いだったことは、遅れてキャスティングされたタファン役のチ・チャンウク君との相性が本当に良かったこと![]()
特に中盤以降はヤン(スンニャン)として本当に彼の事を大好きになって、タファンに向けた様々な感情をいつも以上に女の顔をみせて演じていた姿にとても魅了されたな~![]()
は私が一番好きな場面![]()
念願かなってようやくタファンの皇后となって迎えた初夜。快適で幸せに満ち足りた少女のような顔で安堵を表現するこの場面のジウォンちゃんが、本当にお気に入りです![]()
チャンウク君も、前半の子供っぽくて我儘だった頃とは全く違った深い目つきや所作で、夫としてヤンを包み込む成熟した姿を魅せてくれています![]()
メロ演技は2人の俳優がお互いの鏡となって共鳴し合って相乗効果を生んでこそ。そういう意味では、終盤の2人のカップル演技は神懸っていました![]()
ジウォンちゃんの歴代共演俳優の中では、チョ・インソン君と並んでお似合いなのがチ・チャンウク君。
いつかまた共演して欲しい可愛いカップルです。
TaNyang-Couple forever ❤

















