お久しぶりです
随分と更新を空けてしまいましたね
ジソブにも嵐にも大きな動きがないと、ブログに書くネタも必然的に無くなるので自力でネタを絞り出すしかないのですが
一度長文を綴った作品については、改めて考察すると内容が重複しそうだし
同じ様な内容を繰り返し提供するのも、なんだかしつこいし
そのせいで、しばらくはネタ探しの過去作品巡りをしていました
↑
(全く仕事にやる気を出さない、いい加減ババア具合にますます拍車が……)
さて、そんな久しぶりに更新する記事のテーマは「ラブコメ&キャラ考察」です
ちょっと前に、「ジソブに似合うのは平和なラブコメよりも本格メロ」という個人的な考察を記事にしましたが(★)、だからと言ってラブコメのジソブに愛でる要素がないわけでは勿論なく。
もともと『男女6人恋物語(1996年・MBC)』というシットコムから俳優としてのキャリアをスタートさせたこともあり、俳優ソ・ジソブにとっての<ラブコメ>というジャンルは、実は原点だとも思っています。
そこで本日は、近年の作品と昔懐かしの旧作からそれぞれ一作品ずつ厳選して、ジソブ作品で<ラブコメ>と位置付けられるジャンルのキャラクターや作品について独自の考察を綴ってみたいと思います
話の展開はある程度予定調和&ハッピーエンドが基本のラブコメに関しては、全体のストーリーや作品性を考察するよりもキャラクターに絞って考察をした方が文章を綴り易いという個人的な感覚が反映された、いつもにも増して偏狭的な内容になっております
※例によってネタバレを含みますので、あらかじめご了承下さい※
※一部、特定の俳優を批判する内容が含まれます。ファンの方には不快な思いをさせてしまうかもしれなませんが、あくまで個人の考察と見解なことをご理解いただき、何卒ご容赦の程よろしくお願いいたします※
では、まずは近作より
●キム・ヨンホ(『オーマイビーナス(15年・KBS)』)
ヨンホは、ジソブが演じてきたラブコメキャラの中でも最も「大人の男」に属するキャラクターです。
財閥三世という出自が基盤となっている人間としての余裕と包容力、重病疾患を経験しているが故に発揮される他者への労りと繊細な気遣い。
そして、孤独に闘病と向き合ってきたからこそ培われた「真の強さと優しさ」をも併せ持っている最強キャラクターなのがキム・ヨンホだと思います。
もともと”銀のスプーンを持って生まれた”育ち故に財政や教養にアドバンテージがあることに加え、病を克服する過程で鍛えた強靭な肉体を誇るヨンホ
明確な根拠に基づく自信がある彼は、常人が当たり前に持つコンプレックスとは無縁な人生を生きてきたキャラクターでもあります。
(※家系故に医師免許まで持っていて、ヘルストレーナーという副職で得た個別に保有している財産や資格などはオマケ要素なのがまたスゴイですよね)
普通、これだけハイスペックだと「他人の痛みに鈍感な男」にしてキャラクターの好悪におけるバランスをとり「短所すら愛すべき男」に設定してその成長過程を描くのがラブコメ主人公の定石なのに
ヨンホは、重病を克服した経験があるからこそ「病んでいる人に弱く、危うい人にはもっと弱い」という人としての柔らかさも兼ね備えたキャラクターになっていて、ちょっと設定を盛り過ぎている感すらある、一見すると「非現実的な王子様キャラ」のような気がします。
ただ、幼い頃から側近だったミン室長への態度からも察せられる様に、どこかいたずら好きな部分もあるヨンホ。
このミン室長と関係性を、従来の主従関係にあるような堅苦しいモノではなく冗談を言い合うようなカジュアルな関係性にアレンジしたのはジソブのアイデアだったようです。
「心を許した相手だけに甘えるヨンホと無条件の忠誠を尽くすミン室長」という二人の関係性に遊びを加えてを描いたことが、ヨンホという完璧で近寄りがたい存在に陥りがちなキャラをより人間味のある人物へと肉付けする重要な要素になりました
そしてジュンソン&ジウンという弟分二人との関係性も、単なる師弟関係ではなくもっと親密で絆の深い関係性に描くことによって、ロマンス筋以外の部分でヨンホのキャラクターに多様な拡がりを持たせています。
周辺人物との複合的な関係性に加えて、ジソブの得意分野でもある「痛み」「孤独」「実父との確執」という苦悶する鉄板要素をキャラクターに背負わせることによって、「非現実的な王子様」から「痛みや弱さを隠して生きる生身の男」にヨンホのキャラクターが巧く変換されていて、一般的なラブコメ主人公から一線を画した独自性をもつキャラクターを創ることに成功していますよね
『オーマイビーナス』はありきたりな設定と凡庸なストーリー展開を、俳優の魅力とキャラクターの妙で格上げしているラブコメだと思います。
ダイエットという汎用性の高いテーマとあえて視聴者の予測を裏切らない展開を用意して、韓ドラとしての及第点以上を欲張らず、変に高尚ぶることもなく、平凡だけど癒されるドラマとして描くことに徹している作品です。
ありがちで鉄板のラブコメだけど、それを天下のソ・ジソブとシン・ミナのカップリングが演じたからこそ観る価値のあるドラマになった感のあるこの作品。
大人の渋みで魅せる安定したジソブのロマンス職人技と、独特の愛らしさを残しながらも成熟した大人の女性を好演したミナちゃんの魅力が炸裂する、完璧なビジュアルカップルが観た人を必ず幸せな気分にしてくれる安心安全なラブコメです
余計な粗探しをするなんて観方はナンセンス
このドラマは、ただただ「セクシーてんこ盛り」と「大邱のヴィーナス」の平和なラブラブを微笑ましく見守る、ノンストレス作品の決定版だと思います
そして、近年の作品とはまた違った味わいが楽しめる旧作からはこちらの作品をピックアップ
●カン・インチョル(『千年の愛(03年・SBS)』より)
「ラブコメ」というジャンルで括ると実はこの作品より前にもいくつか出演作はあるのですが、そのほとんどがジソブは助演扱いです。せっかく考察をするなら全編を通して心情変化のグラデーションを魅せてくれるキャラクターの方が良いので、旧作からはこの作品を選んでみました
カン・インチョルは韓ドラ主人公には珍しく「服飾デザイナー」という”手に職を持つ”職人気質のキャラクターです。
序盤こそキャバレーのホステス相手に派手でケバい衣装を作っていますが、中盤から終盤にかけて実は「宝石」と称される希少な才能の持ち主であることが描かれます。
デザイナーとしての実力もそうですが、インチョルはドラマ全編(全20話)を通してそのビジュアルも人間性も激しい起伏を経て変化していくキャラクターです。
麗しのアリ将軍が2話で早々に居なくなってしまい、代わりに登場するインチョルに「なんだ、この男は!?」と呆れても、めげずに回を重ねて観ていけば、いつの間にか不思議と「愛さずにはいられない男」に変わっていくのがインチョルなので実は侮れないキャラクターなのですよ
私の中で、この作品はジソブ作品の中でも通して観返すより好きなシーンを選り抜きで観ることが多い作品です。
そしてそのほとんどが、ソン・ユリちゃん演じるコンジュ(姫)との恋愛模様の部分よりも、キム・サランちゃん演じるコ・ウンビとの切ない場面や、イ・ギヨン氏&チョン・ジュナ氏演じるヤクザ一味とのコミカルな場面、相棒ヒョクを演じたイ・ソンギュン氏(今では貴重な競演!)とのブロマンスを描いた場面が多い気がします。
というのも、メインであるはずの恋愛部分でヒロインと敵役の両俳優がそろって大根役者なために、どう頑張ってもジソブの演技だけではリカバリーできない見苦しさがあるからだと思います
ソン・ユリちゃん、最近は大分マシになったけどこの当時は本当に下手くそです
台詞は棒読みだし、表情で演じることが出来ないし、涙を流すシーンもワンパターンだし、最たる問題は何度かあるキスシーンが全て完全に受け身なこと
※因みに、当時男性ファンに絶大な人気を誇ったユリちゃんとのキスシーン&ベッドシーンを演じなければならなかったジソブは「ファンの恨みを買わないように、最大限に気を遣い美しい場面になるよう心掛けて演じた」と当時のインタビューで語っています。
現在のジソブが演じる所謂「ビジネスキスシーン」が誕生したきっかけは、この作品で素人女優ユリちゃんを相手役にラブコメを演じたことが一因になっていると私は思っています←恨み骨髄感がスゴイ)
しかも彼女、ビジュアルは素晴らしく可愛いのですが(さすがアイドル出身!)、スタイルが凡庸なせいで2番手であるはずのキム・サランちゃんと並ぶと、「華」という部分で完全に負けてしまっています
アクションシーンはさすがに武術を嗜んでいただけあって様になっていてカッコいいですが、この作品はメインが「時空を超えたラブストーリー」という当時の韓ドラとしては先駆的なテーマを扱っているだけに、この特異で複雑な設定を演じきるだけの実力がこの頃のユリちゃんには備わっていなかったことが残念でなりませんでした
同じく実力不足ということで言えば、敵役であるフジワラ・タツジを演じたキム・ナムジン氏もびっくりするくらいに大根役者です
台詞回しに全く抑揚がないせいで、彼もユリちゃんとはまた別の意味で棒読み演技になってしまっています。
ジソブが、明度の高い軽やかなキャラクターを体現する序盤から中盤~終盤にかけて切ない恋情に苦悶する哀切滲む姿まで幅広く変化するキャラクターを自在に演じているからこそ余計に、ぎこちなくてレンジも狭く不要な間を執拗にとって演じる湿度の濃い彼の演技との落差が凄いです
また、この作品は千年前の時代からタイムスリップしてきた設定から、ユリちゃんを除く主要キャスト3人は古代と現代で二役を担っているのですが、ナムジン氏だけが現代の「タツジ」と千年前の時代の「キム・ユソク」の演じ分けが出来ていないのも痛いです。
同じ横恋慕キャラとはいえ二役の違いを明確に演じ分けが出来ていないのは致命的だと思います。ジソブが「アリ将軍」と「インチョル」という年代すら差があるような正反対のキャラクターを完璧に演じ分けているからこそ、より一層にナムジン氏の拙さが悪目立ちしているように感じます。
この作品はヒロインであるコンジュ(姫)がインチョル ↔ タツジ ↔ ヤクザ(キム・チュンチュ)という三者の間を行ったり来たりする展開を、実に20話も使って繰り返し描いているドラマなのですが、そのメインの恋愛模様で重要なヒロイン&敵役が許容範囲を超えた大根演技を披露しているせいで、全く観る側に切なくも哀しくも響いてこないのが本当に残念な作品だと思います
(↑言いたい放題、お許しを……)
しかし、その代わりと言っては何ですが、キム・サランちゃん演じるウンビがインチョルに惹かれ出してからの切ない展開は、ちゃんと彼女の気持ちになって泣けるし、ジソブ的にもドラマ的にも見所が満載ですよ
サランちゃん、さすがミスコリア(00年)とミスユニバース(01年)を歴任するだけあって173cmの長身からなる抜群のスタイルは本当に見惚れます
個人的な好みですが、ジソブの隣に170cmオーバーの長身女優さんが並ぶと抜群に絵映えがするのでそれだけで目の保養になりますよね
歴代の共演女優さんだと、チェ・ジョンアンさんやハン・ヒョジュちゃん、イ・ヨニちゃんやコン・ヒョジンちゃんなどがこの条件に該当しますね。
逆に、相手役女優との身長差があまりにあり過ぎると、ジソブとヒロインのカップリングが「アジョシと少女」に見えなくもないのであまりお似合いに映りません。最低限、160cm台後半の身長はヒロイン役の女優さんに欲しいのが正直なトコロです。
またサランちゃんは、後に『愛するウンドン(15年・JTBC)』でも存分に魅せてくれましたが、この頃から切ない恋愛感情を演じる下地が出来上がっています。
サランちゃん演じるウンビは、最初こそインチョルの生活水準の低さを上から目線でバカにする鼻持ちならない金持ちのタカビー女でしたが、インチョルが才能と人間性を備えた「実はイイ男」ということにいち早く気づいて徐々に本気で惹かれ始めます。
このウンビがインチョルに惹かれていく過程を無理なくいじらしく演じているサランちゃんと、思いがけず自分にマジ惚れしてくるウンビに戸惑いながらもコンジュへの想いとその不在で生じる空虚感をウンビで埋めようとするインチョルの男としての弱さや狡さをジソブがとても生々しく演じています。
愛する人に頑なに一途なわけでもなく、自分に想いを寄せてくれる女にフラフラと甘えてしまうインチョルの男としてのリアリティーは、現在のジソブが同じ状況を演じたらどうなるだろうか? という妄想が育つので結構お勧めな鑑賞方法ですよ
あともう一つ
この作品で見逃せないポイントなのが、インチョルのデザイナーとしてのパートナー(相棒)を演じているのがイ・ソンギュン氏であるという、今では考えられない豪華な競演を堪能できることですよね
ソンギュン氏が演じているヒョクは、悪態をつきながらもなんだかんだでインチョルのことが大好きで、インチョルのデザイナーとしての才能を一番に支持しているメチャクチャにイイ奴です。
ラブコメになると、どうしても共演俳優さんとは「ライバル」的な立ち位置で対立した立場で演じることが多くなるため、この作品でのインチョルとヒョクのブロマンス的なやり取りは本当に貴重です。
しかもその相手役を、今となってはギャラやスケジュールなどから競演が難しいとされる立場にまで出世している俳優さんが演じているわけですから、それだけでも一見の価値がある旧作に数えていいと思います
……さて、ここからは余談中の余談なのですが。
この作品でジソブが演じたカン・インチョルや一つ前の記事で取り上げたパク・チョルンは、もしかしたら現在のジソブでは演じるのが難しいキャラクターかもしれませんね。
この『千年の愛』の次に主演したのが、同じイ・ソンミ&キム・ギホ作家が執筆した『バリでの出来事』でした。
ジソブにとって記念碑的な位置付けでもあるこの作品で演じたのが、他でもなくジソブ本人から着想を得て生まれたキャラクターであるカン・イヌクです。
私の中では「カン・イヌク」はジソブにとっての<嵌り役>で、「チャ・ムヒョク」はジソブにとっての<当たり役>だと思っているのですが……。
『バリ出来』と『ごめん、愛してる(以下、ミサ)』に出演して以降のジソブは、俳優として「重厚感」「寡黙」「哀愁」という色を持つことになります。
他の俳優が表現出来ないジソブだけの世界観を極限まで突き詰めた演技を専業分野としてフィルモグラフィを重ねてきたジソブは、他に拮抗する競合者が不在なこともあり、文字通り「唯一無二」の演技者として韓国でその価値と存在を認知されています。
「重厚感」だけだったら他にも表現できる俳優は韓国には数多います。しかし、そこに「寡黙」と「哀愁」の要素を併せ持ち整合性と説得力を保って演じることが出来るのは、贔屓目抜きにジソブだけだと思います。
近年はこの三大要素に年齢を重ねたことで滲み出る円熟味が加わって、さらに俳優としてのオリジナリティを確立している今のジソブには、このカン・インチョルやパク・チョルン(『ガラスの靴』)のような闊達で単純明快な人物像は一周回ってハードルが高いキャラクターの様に思うのです。
「哀愁」や「寡黙」という要素は努力や研究によって表現できる部分ではなく、俳優そのものが本来持っている天賦の要素であることが多く、往年の銀幕スターでもこの要素を武器に演じてきた俳優は本当に数えるくらいしかいない気がします。
それぐらいに得難い要素に恵まれたジソブですが、引き換えに明度の高いキャラクターを演じることに俳優として一つ枷を嵌めてしまったような気がするのもまた事実です。
昔の作品を観返すと、本当に自由で伸びやかに演じるジソブに会うことが出来ます。
今のジソブは、見えない枠組みを作ってそこから逸脱しない程度の変化球を試してるように感じることがあるのです。
ジソブ曰く「昔はよくわからないからこそ思った通りにしていたが、今は演技が分かるからこそ慎重になった」ということらしいので、これは一種の「熟練にともなう喪失」で、ひとりの俳優を見続けていく限りは必ず感じる寂寥感なのでしょう。
若い頃や新人時代にしかできない演技もあれば、キャリアと年齢を積み重ねてこそ可能な演技もあり、当然だけど永遠に同じクォリティの演技をし続ける俳優はこの世にひとりもいませんから。
結局は、「新しいスキルを得たら、今までのスキルを更新せざるを得ない」という俳優なら誰もが通過する成長痛なんだと思って、ただのファンでしかない立場ではその観方併せて大好きな俳優と一緒に変わっていくしかないのかもしれませんね
……久しぶりの更新のせいか、偏執的な考察から我儘で身勝手すぎる愚痴まで、実に支離滅裂な内容になってしまいましたね
どうやら、書いている内にいつもの悪癖が頭を擡げてきたようです
見苦しい戯言をこれ以上書く前に、大人しく退散した方がよさそうです
ではまた、今度はポジティブなネタで出没できたら良いなと思います
その時まで、しばしアンニョン