『指導者には何ものかに祈るというほどの真剣な思いが必要である』
以下指導者の条件P29より抜粋
【みずから何もせずにして、ただ神仏にご利益を願うというようなことは、人間としてとるべき態度ではないと思う。
また、そんな都合のよいご利益というものはあり得ないだろう。
しかし、人間がほんとうに真剣に何かを取り組み、ぜひともこれを成功させたい、成功させねばならないと思うとき、
そこにおのずと何ものかに祈るというような気持ちが沸き起こってくるのではないだろうか。
それは神仏に記念するという形をとる場合もあろうし、自分なりにそれに準ずるものを設定して願うということもあると思う。
そういうことは、一つの真剣さのあらわれであり、またそのことによって自らの決意を高めるという意味からも、大いにあっていいことだと思う。】
何ものかに祈るというほどの真剣な思いが必要というのはとてもわかりやすい。
物事に取り組む。
真剣に、自分の持っている100%の力を出し切っていないとき、
その仕事や、就活、選考の結果が悪いと、後悔する。
仕事前「ま、こんなもんでいっか」
仕事後「あ~、あの時もっとああしておけば・・・。」
100%の力を出し切って、神頼みというか、結果がどうあれ、達成感に似たスッキリ感が生まれる。
自分が100%の実力を出してダメだったら悔やんでるどころか、100%の力をさらに上げる努力がしたくなる。
失敗は成功の元っていうのは常に真剣に、向上心を持って行動している人の言葉である事がよくわかる。
毎日100%とでというのは難しいことか?そんなことはないと思う。
80%の100%でもいいということがポイント。
初めから高い目標をかかげるのではなく、かかげた目標に対して100%の力を出せるようになればよいと思う。
立てた目標に対して妥協をしないことが大切。