38歳で帝国ホテルの料理人350人の頂点に立った新シェフ、杉本 雄さんってどんな人?
2019年4月、日本のホテルのダイニングシーンに大きな動きがありました。1890年に開業した帝国ホテルの第14代東京料理長に、1980年生まれの杉本雄(すぎもと・ゆう)さんが就任したのです。
帝国ホテルは、井上馨の発案で、新一万円札の「顔」になることで話題の渋沢栄一らが設立に携わり、「日本の迎賓館」の役割を担って開業した、伝統と格式のホテル。そのフラッグシップである帝国ホテル 東京には、現在約350名の料理人が所属していますが、その調理場を束ねる東京料理長に、38歳の杉本さんが任命されたのです。
そもそも、泣く子も黙る帝国ホテルが新たな東京料理長に選んだ、杉本さんとはいったいどんな人物なのでしょうか。彼の正体(?)に迫るとともに、フランス料理の楽しみ方についても聞いてみました。
帝国ホテルには常に挑戦を続けるDNAがある
真っ白なコックコートを身に付けた杉本さんが颯爽と現れました。早速、30代での東京料理長就任ということに話を向けると、「すごいですね、とおっしゃっていただくのですが、それほど驚くことではないと思います(笑)」と意に介しません。
「(第11代料理長で初代総料理長の)村上信夫と、(第13代東京料理長で第2代総料理長、現特別料理顧問の)田中健一郎はちょうど30歳違います。田中と私も30歳の年齢差があります。帝国ホテルには常に挑戦を続ける姿勢がDNAとしてあります。ですから、この年代差でバトンタッチすることに大きな違和感はないと思います」
村上氏は、日本にフランス料理を普及させ、長年、NHK「きょうの料理」の講師を務め、フランス料理仕込みの洋食を一般家庭にも広めた伝説の料理人。なるほど、たしかに村上氏も、1958年に37歳の若さで、帝国ホテル第二新館の料理長に就任しています(総料理長就任は1969年)。
杉本さんは千葉県銚子市生まれ。料理好きの祖父や父の影響もあり(お父様は今もお母様のために包丁を研ぐのだとか)、中学校の頃には横浜の中華街でマイ中華鍋を購入するほどの料理好きになっていたそうです。
「家庭の火力は弱いので中華鍋用の五徳や専用のお玉も買いました」
家族や友人に料理をふるまう機会も多く(うらやましい!)、「高校の文集には、将来は料理人になりたいと書いていました」
両親の友人の結婚式で訪れ、料理に感動した帝国ホテルで料理人になる──。ほとんどの生徒が進学する高校でしたが、杉本少年の心は決まっていました。
「どの専門学校に行けば、帝国ホテルに入社できますか」
「当時は村上ムッシュも現役でした。ただ、どうしたら帝国ホテルに入れるかわからなかったので、ホテルに電話をかけ、御社に就職するにはどうしたらいいかと聞いてみたのですが、高卒は採用していないと言われてしまって」
当時、ホテルの料理人は、調理師学校で学んでから、入社するというかたちが主流だったそうです。杉本少年は食い下がります。
「では、どの専門学校に行けば、御社に入社できるのかと聞きました。ホテル側は、『それはどの学校が確実ということではありません』と(笑)」
── まあ、そうなりますよね。
「ただ、(帝国ホテルの料理人には)武蔵野調理師専門学校の卒業生が多いということは教えてくれて。ほかの調理師学校の資料は一切見ず、迷うことなく、武蔵野調理師専門学校に進みました」
しかし、卒業した年に帝国ホテルでは採用を行っておらず、杉本さんは帝国ホテル内のレストランでアルバイトをしながら、本採用の機会をうかがいます。
ヤニック・アレノ、アラン・デュカスのもとで経験を積む
こうして1999年に念願の帝国ホテルに入社。翌年にはメインダイニングの「レ セゾン」の所属となりますが、「『レ セゾン』にいた頃、何度かフランスからシェフを招聘するフェアが開催されたのです。その際、フランス人シェフの繊細な仕事や集中力を目の当たりにし、フランスで学ぶ決意を固めました」と杉本さん。
当時料理長を務めていた田中氏をはじめ、多くの人に反対されましたが、決意は変わりませんでした。こうして憧れの帝国ホテルを5年で退社。杉本さんは、コネもお金も語学力も就労ビザもない状態で渡仏します。
しかし、その才能を開花するまでに、時間はかかりませんでした。ブルターニュのビストロを皮切りに、厨房だけでなくホールの接客などさまざまな経験を積み、パリの老舗ホテル「ル・ムーリス」では、フランス料理界が誇る2人の巨匠のもとで働く機会を得ます。
2つの三つ星レストランを持つヤニック・アレノ氏のもとではプルミエ・スーシェフを務め、アレノ氏を引き継ぎ、のちに史上最年少で三つ星を獲得したアラン・デュカス氏もとでは、エグゼクティブ・スーシェフとして活躍しました。
「アレノ氏と、デュカス氏は、料理も考え方も異なる、対極にいるといっていいようなスターシェフです。その2人のもとで、料理をし、提案もできるというポジションで仕事ができた経験は私の宝です」
そんななか、「二度と敷居は跨げない」と覚悟していた帝国ホテルと再び縁があり、杉本さんは、帰国を決意します。
「帝国ホテルでなければ、(日本に)戻らなかったと思います。よく自転車に例えるのですが、自転車は、一度、乗り方を身に付ければ、少しブランクがあってもすんなり乗れますよね。それと同じです。5年という短い期間でしたが、私の料理人としての原点は帝国ホテルにあります。
「料理人としてどうあるべきか」という基本を帝国ホテルで学んだから、スムーズに戻ることができたのだと思っています。田中顧問は、サケに例えますけどね(笑)。川を出て海に行ったサケが、脂が乗った状態で戻ってきた、と」
何を食べてもらいたいかを、はっきりさせる
杉本さんは2017年4月、帝国ホテルに再入社。宴会部門を担当した後、2019年4月には、東京料理長に就任します。名門ホテルの若き料理長として注目が集まる杉本さんに、料理をするうえで、大切にしていることを聞いてみると ── 。
「何を食べてもらいたいかを、はっきりさせることを大事にしています。仔牛の料理であれば、仔牛の良さを引き出す調理法を用い、目を閉じてソースを口にしても仔牛のソースだとわかる料理を作りたいと思っています。付け合わせも、色合いや旬の素材についても、仔牛を引き立てるものを考えます」
料理を開発する過程では、スマートフォンを用いてたくさんの写真を撮るそうです。
「試作の段階で切った野菜など、部分的なところも撮りためておきます。今回作ったフォアグラのタルトもそうですが、あとで写真を見返して中身を変えたりしています」
インスタ映えする杉本さんの美しい料理の秘密はこんなところにもあるのかもしれません。
TPOに合わせ、フランス料理を楽しんでほしい
とはいえ、「フレンチって、やっぱりちょっと敷居が高いんだよね」と思っている読者も多いのではないかと。そんなわけで、勝手に皆さんを代表し、おフランス帰りの杉本さんにフランス料理の楽しみ方を聞いてみました!
「日本にはたくさんのフランス料理店があります。ひと口にフランス料理といってもクラシックなものから、モダンなものなど多彩です。私どものホテルにも、ファインダイニング(「レ セゾン」)に、ブラスリー(「ラ ブラスリー」)、よりカジュアルなダイナー「パークサイドダイナー」)もあります。
とはいっても、ファインダイニングの廉価版がブラスリーというわけではありません。仲間との会食ではブラスリーでわいわいと、特別な記念日にはファインダイニングを予約してといった具合に、TPOに合わせ、フランス料理を楽しんでいただきたいです。我々もそれぞれのレストランが持つ特長を生かし、よりその個性を明確にしていきたいと考えています」
最後に杉本さんにプライベートを尋ねてみたところ、「典型的なA型。趣味は多くないですね」と照れくさそうな笑顔を浮かべました。休みの日には映画を見たり、岩盤浴で汗を流したり、また、じっくり時間をかけてシャツにアイロンをかけたりするのだとか。
「アイロンがけが好きというより、ピシッとさせるのが好きです」
また、自宅でも料理をするそうで、「なんでも作りますが、中華が多いです。中華料理は豆板醤(トウバンジャン)や甜麺醤(テンメンジャン)などの調味料をどうまとめるかという作業ですから、キッチンに立つ時間が短くてすむのです。ただ、ランチの調理と並行して、1日かけてディナーの準備をすることもあります」
本人は「あまり面白くない人間だと思います」と言いますが、いえいえ、なかなかキャラクターの立った、愛すべき存在かと。130年近い歴史をもつ、帝国ホテルの料理を、若き料理長がどう継承し、どう変化させていくか見守っていこうではありませんか!
なお、今年のクリスマスには、杉本さんのプロデュースするクリスマスケーキも登場するそうですよ!