こんにちは。GWまっただ中ですが、風邪を引いてしまい自宅で養生しています。
前回、尾張地方と東三河地方の特徴について考えてみましたが、今回は西三河地方と東三河地方の特徴について考えてみます。尚、この記事は私の独断と偏見に基づくものです。
そもそも、尾張地方、西三河地方、東三河地方と言われても県外の人からしてみたらピンとこないと思いますのでざっくりと説明します。尾張地方は名古屋を中心とする愛知県の西側地域を指します。西三河地方は愛知県の中央部に位置し、豊田市や刈谷市を始めとして自動車産業の一大集積地となっております。(後で述べますが、西三河を表すキーワードは、家康、トヨタ、そして矢作川です)最後の東三河地方は、愛知県の東側を指し、中心都市は豊橋市です。3つの地域の面積はおおよそ1対1対1の割合ですが、人口は尾張、西三河、東三河で7対2対1となっており西高東低です。私の住む東三河地方は、人口こそ相対的に少ないものの、野菜、果物、花などの近郊園芸農業が盛んで農業生産額日本一の田原市や、自動車の輸出入の金額・台数ともに日本一の三河港を有し、実力のある地域です。
しかしながら、お隣の西三河地域が大きく成功を収めておりやや魅力を出し切れていないのかなとも感じています。西三河を代表する人物と言えば戦国時代で3英傑で最後に天下を手中に治め、江戸幕府を開いた徳川家康が有名です。ちなみに徳川家康の生まれた岡崎にある岡崎高校は、公立高校の中で東大合格率が全国トップクラスを誇り、公立王国愛知県を代表する高校です。愛知県は、旭丘、明和、刈谷、岡崎、時習館と公立高校の名門高が多数存在します。徳川家康を輩出した西三河地方は、時代が下って戦後、豊田自動織機から分離したトヨタ自動車を中核とするトヨタグループの一大拠点となり日本を代表する工業地帯へと変貌します。ヒト・モノ・カネが集まることで地域は発展します。トヨタ自動車やデンソー、アイシン精機といった自動車部品メーカーには全国から優秀な労働者が集まり、日本の産業の屋台骨を支えています。歴史的背景を考えると、東三河同様、西三河も東京志向に思われますが、西三河には産業が根付いており、求心力があります。トヨタの存在が、東三河との大きな違いです。
余談ですが、愛知県ではメーカーの存在が強いと感じます。東京の学生は例えば三井物産、フジテレビなどへ入社したいと思うのに対して、愛知では大手メーカーが多数あり、各企業へ優秀な学生、とりわけ理系の学生が流れます。メーカーでは、実直さ勤勉さなどの要素は働く上で求められますし、西三河地域は公立高校の優等生が集っていると考えます。学校の内申と学力の双方を備えた優秀な学生が、製造業では好まれるのです。
話を戻し、西三河が発展できた縁の下の力持ちとして、明治用水の存在があると考えます。明治用水とは、西三河地方南西部に工業用・農業用の水を供給する用水です。幕末・明治維新期に全国に先駆けて開削が行われました。明治用水のお蔭で、工業、農業、暮らしと様々な活動の基盤が形成されました。この明治用水は、西三河地帯一帯の主要地域を流れる矢作川から取水しています。矢作川沿岸の平野の多くは、中世までに農地として開発が進められてきましたが、上流からの土砂の流出のため、河川が増水することが多く、洪水に悩まされていました。そこで、豊臣秀吉、徳川家康の命によって治水事業が実施され、江戸時代を通じて新田開発が盛んに行われます。江戸の町を築いたディベロッパー家康様の手腕がここ西三河でも発揮されたのです。母なる恵みの矢作川に支えられ、人々の叡智を結集して今日の西三河があるのでしょう。
東三河大好きな私としては地元の発展を望むのは当然ですが、西三河地方、尾張地方とそれぞれ特色のある地域性を有しており各地域バランスのとれた互恵的発展を目指していきたいものです。