おやぢぎゃぐで埋もれている番組を
先日、甥姪のリクエストで録画しました。
くせになる、ぞろり。(30分、濃いイです)
人にはそれぞれ得手不得手というのがある。
それも個々でしょう、個々の統合が「個人」でしょう。
これに遺伝子とか環境とか諸々が加算されるわけでしょう。
母と私、親子なれど いや親子だからこその因果で
似ているところと 全くかけ離れているところがある。
離れすぎて かえって 冷静に分析ができる
という面が多々あります。
(近似は騒動のモトですな。譲れないところが近接していると物騒だ)
母は資格御免状ダイスキなところがある。
カタチから入る、とまではいきませんが(微妙に方向が違う)
アシをつっこんだからには極めたい
というところがある。それが利害に全く関係なくとも稼動する。
加えて習い事とかサークル活動がダイスキです。
人脈の駆使がダイスキらしいくて、面倒なことも買って出る。
(カッタはいいが裁ききれなくて応援を頼むこともよくある。
頼まれるのは、別な人脈だったり
血を分けたコドモだったり orz 私居候なんで無下にできん)
まあ、そこまではわかる。
私は得手じゃない、ということで、切り離したり
遠巻きにしたりで、なるべく密着すまい
と思うこととかに近いから、なんとなくサカサマなので察しがつく。
母は手先系が好きである。
手芸関係ダイスキで、裁縫から押し花まで色々と手をつけている。
資格も何年も地道に回り道しながらも、少しずつランクをあげている。
(師範とっても御教室開店にいかないのが母である。それは目的ではないという)
ただ、根気がね orz
私もけして粘り強いほうではないし、
気がウツロイやすいし、成人してからは
心のテンションの維持ってタイヘンだ orz
というのを身を挺して味わってきているので
(10代の頃は「なやみなくていーねー」と言われまくりでしたが
悩みというのは煮詰まったと意識しないと表出しないもので、
実際に色々と困惑するネタには今も昔も不自由していませんで
「悩みっていうのは、占いに似ている」という考えに至りました。
困ることには不自由していない分、「悩む」という余裕はないのだよ諸君)
母 ムスメにいわれたかたーないでしょうが
ツメが甘い面がある orz (ある意味、優しいのかなー)
どんなに事前にシミュレートして、
いくつも構図を出して(他人の提案に全くなびきませんが orz)
準備万端で望んで向かっても
ズレてパウチって出来上がったら その押し花作品の
出来上がり加減は半減するとムスメは思うよ まみー
裁断の前の写しで描線が激しく歪んでいたら
いくら丁寧に縫い付けても、布製絵本の仕上がりは
微妙にバランスが怪しくなって当然とムスメは思うよ まみー
こういう「え、なんで?」という、それまでの全体の経過を知るものとしては
どうしてそこで! という燃料切れな面を垣間見せるところは
母方の祖母ががつーりそうだったんだそうです
「仕上げの段階でよく、力尽きちゃってたんだよねー。
なんで?ってよく思ってたけど、そっかーおかーさんにもそういうところ
あるかいー(あんまり自覚なかったようで、私の指摘で近年納得す)」
ぁぁ・・マイだいすきおばあちゃんのイメージが orz
いまのところ私は、その真逆に近い方向の信条で、
途中の経過がどうあれ、回り道しようが、のたうちまわろうが、
結果オーライに極力もっていく努力をすべし
ただし途中経過はすさまじいので(内容は問いません。全体にそう)
まぁ、当人はソレを覚悟で納得して、ぎりぎりの計算でうなりながら
期限までにもがくわけですが、同居家族としましては
たとえ身体的に手出しとか全くなくとも、みてらんね という状態は
いくらかありますわな (それを当家では総じて「ふりまわし」といいます。
みんな相互にふりまわし。もちつもたれつ。血縁だからできるともいう)
理解と協力がないとニンゲンとは生きていくことが困難です。
ガッコとドウと私の三つ巴な「マチ」状態。
打開したいのですが、まだ行き詰ってまする。
母は「直接関係機関にいってらっしゃい(聞いてこい、そのほうが早い)」
うーん。いや、地道にやるよ。 問題の焦点の相互理解で
けつまづいている気がするのですが、私の説明がまずいんだろかなー。
ああ特殊ケースで御免よー でも努力するのは自分だから許して