結構おしゃべりな私なのにやはり、話は弾みませんでした。ただ、わかったのは彼は系列の大学には進まず、アメリカの大学に行く予定と云うことでした。私にとっては大学入試の失敗に続く大きなショックでした。しかし、私にとっては、常に心の底にあった人が夢でなく、現実に隣にいるということで頭の中は狂いそうでした。英字新聞の中に単語の意を書き込んでいるのを見て、「がんばってるね」と言うその人の優しさが私には本当にうれしかったのです。少し赤みがかった髪の色・グレイの瞳が私は本当に好きだと思いました。今も好きです。潮の匂いと、あの色は私の胸の奥にしまいこんでいます。な・か・さ・き君は私より1つ年上で日本生まれだけれど母親がアメリカ人、中高は日本の学校に通っていましたが、それ以前はインターナショナルスクールにいたそうです。お互いに自分の身の上を語りあい、その日は別れました。今まで恋愛感情を持って男の子と話なんてとてもできなかった私が、次に会う日の約束までして別れました。須磨から大阪までの国鉄(今はJR?)の中で車窓に写る自分の顔をうつろに見ていました。

 

 大学に入ると今までのものが解禁になったのかキャンパス内では男女が楽しく語り合っていました。友人との会話も常に男の子のことばかりの毎日でした。私は比較的男の子の多い学部であり、所属したクラブも男子ばかりのものでした。そんな中でもずっとあのグレイの瞳の少年を捜しつづけていました。友人が彼氏とどうこうという話を聞きながら、あの少年ならどうなんだろうと思ってみたりする始末。

 6月25日でした。私はカメラをぶら下げて須磨の海岸にいました。夏の真っ盛りを思わせる暑さの日でした。海辺ではボードに乗っている人が数人。海辺の階段に腰を降ろし、どうしようもない気持ちをもてあましていました。学校はおもしろくない。友人らしい人も特別にいない。打ち込めるものはない。そんな毎日でした。そんな中で外国にいきたいという、漠然とした気持ちだけがありました。海風の吹く中で英字新聞を読んでいました。英語の授業が学校では教養課程でしかないからと、母にせがみ英語を習いに今月から通い始めたのですが、その宿題だったのです。私の英語力ではかなりレベルが高く、読みこなすにはかなり時間がかかります。エコロジーに関する記事だったと思います。私の背後で"What's happenn today?"と声がかかりました。とにかく驚いて振り向くと、そこにあの人がいたのです。私の人生でこれほど劇的なことはありませんでした。声がでなかったのです。もう50歳になろうとしていますが、あの瞬間はどうしても忘れられません。ありえない事にあの人は私の隣に腰を降ろしました。おどろいたことに彼は私の顔を見て「あっ、どこかで会った事あるね」と言ったんです。そりゃそうだけど、この1年以上の思いを言い出す事はできません。さあっと、言うふうに首を傾げ、手にした英字新聞を彼の方に渡しました。本屋で出会った時のことを覚えていました。会話が弾むというほどではなかったです。

 あの人に会えないかと入学式の時から、あちこちを捜すために学校に通ったというのが私の大学生活の始まりでした。希望いっぱいで受験した学校にはことごとく振られ滑り止めで入学した大学に期待するもの唯一が、あの思い出を捜すことでした。しかし、その期待はみごとに裏切られ、というより、私の中にあるプライドがそれを許さなかったのだと思います。有る意味、自分の理想像からかけ離れた集団に属し、その中で生活をエンジョイすると言う事が。常に自分はこんな中に入るべき人間でないのにという、今からかんがえれば恐ろしく嫌な存在だったんですね。と言って、学業に勢を出すわけでもなく、だらだらと過ごしていました。通訳になりたいと英語学校に通ってみたり、シナリオライターになりたいと、おかしげな小説を書いてみたり。

 駅前の本屋の店先で立ち読みしようと雑誌をとりあげました。後ろから誰かに肩を叩かれ、振り返ると小学校時代からの友人。「おおっつ!」て言われて「あらっつ」と普通の会話を交わしました。でもその背後を見たとき私は本当に心臓がどうかなるくらい驚いたのです。彼と一緒にいるのが先日の海にいた少年。あの時はもっと年上のような気がしたけれど、今日は彼と同じ制服を着ているから同じ年代だと気付きました。「元気?大学決まったん?」と尋ねると「おれは落第してるから、来年」と言うので「あっつそうなん」と言いとりわけ取り乱さない様子で店内に入っていきました。店の中からそっと見るとあのグレーの瞳の少年と友人は何か楽しそうに言葉を交わしていました。友人は大学の付属中学に進学したので今頃の季節ならもう決まっていると思ったのです。その友人と違って、彼の制服姿はとっても変でした。髪の長さが不釣合いで、日本人ぽくない瞳の色が制服を借り物の感じにさせていました。ずうっつと2人を見つめていたかったんですが、むしろ話に参加したかったのですが、私の性格ではとてもそんな事できませんでした。不覚にもそれから1週間はその少年の夢を見たくて眠ってばかりいました。こんな事娘に話したら、どれだけ馬鹿にされるかわかりません。けれどもそれが事実なんです。

 とりたてて、個性が強いわけでなく、成績が抜群でもなく、美人でもない私には、特に親友はなく、嫌われる人もいませんでした。男まさりのさっぱりした子っていうのが印象だったと思います。現実にそうなんですが、実は心の底から恋愛にあこがれていました。けれども、それは自分の容姿から諦めていたのです。

ある娘が私に言いました。「好きな人に彼女がいたって私はそれを奪っても成就する」って。私にとっては信じられない言葉でした。

 そんな気の弱い娘が、大学生になったのです。11月に本屋で出会った少年の通う高校に続いている。

 私が彼を見つけたのはもう20年以上前、見つけたんです。須磨の海岸で。

勉強大嫌い、理想高いだけのどうしようもない高校生でした。模試の帰りに家と反対方向に電車に乗りふらっと須磨で降りました。当時はまだ国鉄。駅から海岸の方に降り、ぶらぶらと夕日の中を歩いていました。当然、今日の模試の出来は最悪。でも親はとっくに私のことをどっかの私立大にでも入れば幸いと思っていたようです。

 夕日の向こうに彼はいました。海に向かって無心に砂を蹴り上げていました。その姿が非常に暗いイメージだったのが、能天気な私には異様に感じたのです。秋から冬に向かう時折冷たい風が吹き上げる中でその人は脚を高くあげていました。髪が肩より長く細みの人は長くのびる陰が女性を思わせました。体格の割に気の小さい私は遠巻きにその人を見に近づきました。ふと振り返ったその人の瞳がグレイでだった事をはっきり覚えています。何故かにっこり笑ってくれました。心の中からこみあげるものはありましたが、私はちょっとはにかんでその場を去りました。それだけなんです。なのに私は頭の中がその日からしばらくあの少年のことでいっぱいでした。潮の匂いと一緒に感じた異国の匂い。どうしても忘れることができず、引きずる事になったのです。

体はいったって健康で病気らしいことはした事なく、過ごしてきました。やんちゃな子供を育て気苦労こそしましたが、寝込むようなことはありませんでした。私の日常は朝5時起床し、子供達のお弁当作りに始まり洗濯そうじ、主人を駅まで送ってから、近頃朝寝坊と登校拒否気味の息子を高校まで送ります。娘のカナは好い子でバスと電車を使って登校します。2人とも中高一環の私立学校に通わせているため、その受験勉強をさせるのは結構たいへんでしたが、まあ、今後のことを考えれば少し楽できる時期だと思っています。自分の何かを見つけたいとカナが中学に入ってから、勉強し、今は役所でパートしてます。

 

「な・か・さ・き」日本人に少ない苗字ではないが、私の心に騒ぎを起こさせる人ではあり得ないです。それはわかっているけれど、目の前で起こっている事がうつろになるほどの強烈さをもっているのです。1年ほどまえ、何十年ぶりかで同窓会がありました。私は男友達は多かったほうです。何十年たっても友達としての付き合いは続いていていますし、久しぶりに会っても楽しく話ができます。その人とは同窓でないのでその会であう事はないのですが、あの時代の友人を見るとその人のことをふと思いました。それから、あの頃を思い何度か思い出のある場所に行ってみたいと漠然と思いました。何故、今になってこんな気持ちになったのか。更に娘の言葉・それと私の病が原因です。今年になって年初に実父が他界した後、体調の不調の不調を覚え、疲労からだろうと薬でももらいにと思い近所の医者を訪れたところ重大な病名を告げられました。夫を失ったばかりの母には告げられず、主人にだけこっそり伝えました。自分の人生の限定を認識した時、その生き方に後悔したくないから、思わず動いてしまうんだろうか?