外国産クワガタを放そうと大勢に影響なし | むしとの日々

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タイトルの意味は子供時代への郷愁と自分の次の世代がまったく虫に興味を持たないことの悲しみ。
子供孫の時代になって昭和は遠くになりけり。
それでも嫌いさらに反発を覚えるのが左翼的いや利権的自然保護です。
自然保護など語るべきでない。

またぞろ夏休みも終わりに近づき外国産クワガタは放さないで <訳分からぬ

 国内近縁種との交雑が心配だと <余計なお世話だ

密入国外国人より悪影響は少ない、植物特に穀物および花卉は短期間に人為的に国内に導入されそれに伴い特有の害虫が入っている。 低能学者類が偉そうに生態系とか厳密には言及できない事でのたまう。

 これと同じことがアスベスト被害である。 総量としてタバコよりひどいのか、ディーゼル排気ガスよりひどいかについては語らずとりあえず騒ぐマスゴミ、左巻きタカリのお先棒担ぎふんどし担ぎのアホマスゴミ。


 外国産クワガタを言う前に農薬汚染を云うべきで、たとえばシロアリ駆除がリフォーム詐欺の走りであったがシロアリ駆除薬はシロアリより危険であるし、 O-157の特効薬は菌の毒素を急激に排出して患者を死に至らしめた。 下手な考え休むに似たり。

外国産クワガタは国産より大きく形も良いものが輸入される、国産オオクワガタが養殖技術により安くなったとはいえ身近な甲虫類で最も高い。洋物より高いのである。 (豪華な品種改良された洋蘭の巨大輪シンビ、カトレアより薩摩寒蘭の山採り品がはるかに高価)

究極のマニアは国産を愛するのである。 江戸文化で花開いたその源は平安時代更には縄文まで遡れるとしても日本人の感性は日本の風土そのものである。 真の趣味人マニアには日本なのだ。


 趣味人が国産純血をいうならいざ知らず、左巻きの分際で何を言う。

国内産のクワガタが自由に大量に子供たちに集められないのが問題である。 昆虫に全く興味のない者には外国産クワガタとはいえ高価に過ぎるであろうが国内産に比べてサイズ等を考慮すれば安いのである。それにしても貴重な買い物のクワガタを故意に捨てる逃がすことは頻度として少ないはずだ。

阿呆ペットのアライグマの扱いと同じにされる謂われはない。