年中アウトドア

年中アウトドア

20余年前 ふとしたことで長野県・木曾・御嶽山麓に小さな山小屋を自分で建て、アウトドア志向になったオジンの日記。

2010年 リタイアして、大阪より ここ木曽に転居してきました。
尚、別ブログはこちら→「いろいろ【まっち】んぐ」 plaza.rakuten.co.jp/machi2406/

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11月も終わりちかくになって、やっと例年どうりの冷え込みがやってきました。 というより、今までが暖か過ぎたんですが・・・

一昨日(11/22)の朝、外を見ると、うっすらと白くなってました。 すぐ融けましたけどね。 今年は暖冬の予報ですが、果たして予報どうりになるのでしょうか? 




 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり

  沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす

 驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し

  猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ

いきなり、すんましぇ~ん。

さて、お馴染みの名文句で幕を開ける「平家物語」は、800年前の京都を舞台に繰り広げられた、栄枯盛衰の物語です。 「平家物語」巻頭の「祇園精舎」は、インドの或る長者が釈迦の為に、修業の場として寄進した寺の名称です。

私たちが,日頃親しみをこめて、「祇園さん」と称している「八坂神社」も、昔は坊さんたちが修業の場として使用していたので、インドの精舎に倣って名付けられたと思われます。


また 沙羅双樹とは、インドの各地を修行中のお釈迦様が、クシナガラで病いに倒れて亡くなられた時、散った花びらがお釈迦様の御身体を包んだと云われるインドの花木・沙羅です。

朝早く咲いた椿に似た純白の花が、夕方にはたちまち無慚な姿にて散ってしまうところから、果かない人間の一生に喩えられています。

「生者必滅」と言う言葉は、この世に生存する総ての者は、何時かは必ず滅びるという事を意味しています。 作者の信濃前司行長が、これを「盛者必衰」に替えたのは、平家一門の盛衰を意識して、変更したものとも言われています。

そして「平家物語」といえば、木曽儀仲、那須の与一、九郎判官義経が有名だが、今回は私の居住地、木曽にちなんで木曽儀仲をちょっとご紹介。 かなり長文ですがご容赦。

平安時代末期の信濃源氏の武将で、通称・木曽次郎。 木曽義仲の名でも知られる。 征夷大将軍となり、「朝日将軍(旭将軍)」とも呼ばれた。 清和源氏の一族で、河内源氏の流れを汲む。 父は源義賢。 源為義の孫で、源義朝の甥、源頼朝・源義経の従兄弟にあたる。 幼名は駒王丸。

義仲は「信濃の国」(長野県歌)に、県出身者の一人として詠われている。 また義仲が育った木曽郡日義村は、「朝日将軍義仲」に由来して明治7年に命名された地名であった(日義村は2005年11月1日から4市町村と合併して、木曽町・日義となりました)

平安時代の終わり,当時の政権を支えていた平家を倒そうと旗揚げしたのが源頼朝と源義仲の二人である。 義仲は木曽で育ったことから,木曽義仲と呼ばれている。 木曽義仲の挙兵は,彼が27歳のときである。

それまでの義仲が,どのように成長し,どのように打倒平家の意思を固めていったかは定かではない。 多くの日記を残した,当時の貴族たちの日記にもでてこない。

 

義仲が生きた平安末期は藤原氏の栄華の時代は終わり、院政がひかれた。 奈良時代から築かれてきた律令制度が崩れ、土地を持つ者が自らの土地を守るため武装化し各地で豪族が生まれた。

ちなみに、「一所懸命」の言葉は、自分の住む所の土地を懸命に守ることから、この時代に使われるようになったとされる。

義仲が木曽から北陸を経て上洛する勢いは、旭の昇る勢いであったことから旭将軍と呼ばれた。

 

義仲は信濃丸子で国で兵を挙げ、古代から北陸と京を結ぶ交通の要所であった倶利伽羅峠(くりからとうげ・富山県小矢部市/石川県津播町)で、およそ5万騎の兵で10万騎の平維盛(たいらのこれもり)の軍に圧勝し、1183(寿永2)年、上洛を果たした。

上洛した義仲軍は統制を欠き、略奪まがいの行為で兵糧の現地調達を行ったことから洛中の恨みを買うことになった。

 

後白河法皇は、義仲軍に京を捨て西国へ逃れた平氏追討を命じたが、義仲軍は備中水島で平氏軍に大敗して都に戻る。 そして 義仲は後白河法皇を奉じて北陸に逃亡しようとするが、法皇が拒否したことから義仲は法皇を五条内裏に幽閉した。

自らの権力を維持したい後白河法皇は、その間 義仲の成敗のため頼朝に上洛を求めた。 頼朝は,源範頼(のリより)・義経を代官として三河まで進軍、待機させる。

1184(元暦元年)年1月20日、義経は宇治川の戦いで武将として初陣。 この時,頼朝から名馬「生境」(いけづき)を賜った佐々木四郎高綱と同じく「摺墨」(するすみ)を与えられた梶原平三景季(かげすえ)が先陣を争った。

佐々木が先に川を渡りきり、次いで梶原が着岸。 これを見て意気上がった義経の軍勢は宇治川を突破。 義仲は近江の粟津ヶ原で討ち死にし、31歳の生涯を閉じた。

「木曽の最期」は平家物語の中でも名作中の名作で有名な章。

 「平家物語」第12話 「木曽の最期」
木曽は信濃を出でしより、巴・山吹とて、二人の美女を具しられたり。 山吹は労りあって都に留まりぬ。中にも、巴は色白う髪長く、容顔まことに美麗なり。 屈境の荒馬乗の悪所落とし、弓矢打ち物取っては、いかなる鬼にも神にもあふと云う1人當千の兵なり。

されば、軍と云ふ時は、札よき鎧着せ、強弓・大太刀待たせて、一方の大将に向けられけるに、度々の高名肩を双ぶる者なし。 されば、今度も、多くの者落ち失せ、討たれける中に、七騎が中までも、巴は討たれざりけり。 <以下 略>

<訳> 木曽義仲は、信濃を出る時、二人の美女を伴って来ました。 巴御前と山吹です。 山吹は不調を訴えて、都に伏せっています。 中にも、巴御前は色が白く髪長くして、容貌も優れた女です。 その上、荒馬を乗りこなして、弓矢を持たせれば、まるで鬼神の様な働きをする並び無き女武者です。

そこで義仲は、戦と聞けば彼女に派手な鎧兜を着せ、強弓・大太刀を持たせて、一方の大将に仕立てました。 巴は、度々の戦いに高名を立てて、その働きには肩を並べる者もいませんでした。 さればこそ、都の戦いにて、木曽兵の多くが落ち失せる中、巴ばかりは討たれもせずに、七騎の中に残ったのです。

第13話 「木曽の最期」
木曽殿 今井四郎ただ主従二騎になって、云いひけるは「日来は何とも覚えぬ鎧が、今日は重うなったるぞや」と、云へば、今井四郎 申しけるは、「御身も未だ疲れさせ給ひ候はず。御馬も弱り候はず。 何によって、一領の着背長を俄に重うは思し召され候ふべき。

それは、御方に続く勢が候はねば、臆病でこそ、さは思し召し候ふらめ。兼平一騎をば、余の千騎と思し召し候ふべし。 ここに、射残したる矢七つ八つ候へば、しばらく防矢仕り候はん、あれに見え候ふは、粟津の松原と申し候。 君は、あの松原の中へ入らせ給ひて、静かに御自害候へ」とて、と打って行く程に、又新手の武者五十騎ばかりで出で来たる。 <以下 略>

<訳> 木曽殿、今井四郎兼平と主従2騎となって「日頃、気にならない鎧が、今日は、やけに重く感じるぞ」と、力無く申します。 今井、「殿は、まだお疲れではありませぬ。 馬も元気です。 なのに何故、その様な弱気な事を申されるのか。

御味方が無くなって、臆病風に吹かれなされたか。 私を千騎の武者と思し召して、ここに射残した矢7,8つにて、矢防ぎ致します。 あれに見えるを、粟津の松原と申します。 殿は、あの松原にお入りになって、1人静かに、御自害なされませ」、と申す内に、新たな敵が現れました。

 

「木曽殿と 背中合わせの 寒さかな」

 「旅に病て 夢は枯野を かけめぐる」 芭蕉

義仲や巴は以外と江戸時代には人気があったらしい。 浮世絵や能でも数々登場し、庶民の人気も高かったらしい。 特に松尾芭蕉は有名で、遺言で墓まで義仲の隣りに建てている。 「奥の細道」も前半は義経、後半は義仲の史跡巡りを兼ねているとしか思えない。(「更級紀行」で木曽も行ってる)。

でも 芭蕉が敬愛した西行は義仲嫌いだったが・・・ 近現代では芥川龍之介や菊池寛なんかが、義仲のことを熱く書いている。 「悲劇の武将」に愛着でも感じるのだろうか?

かなり中途半端になってしまったが、書き出すと10000文字ではとうてい終わらず、4・5回連載してもいいかげん。 てなことで、このへんで終わることにする。


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昨日の朝は冷えました。 プレハブ室内で6℃。(午前8時) 今朝は9度。 むろんホットカーペット、ストーブつけました。

 

さて、先週の3連休(私は4連休でしたが)、広島県三原市と安芸郡坂町小屋浦に再々度行ってきました。.

..

8/6(土) 深夜0時に出発。 TSUNAGARI三原拠点に午前8時前 着。 2班に分かれ、私たち5名の現場は本郷でした。 納屋の泥出し。

 

全参加者は3連休だというのに9名。 ほとんどが中長期滞在者。 最近ボラ参加者が減っているとはいえ、あまりにも寂しぃ~!

 

上の水路が溢れ、ここの納屋へ土砂が流入しました。

幸い道路が家と反対側に傾斜しているので、母屋は無事。



 

女性陣が泥出しをがんばってくれました

 

終了後 そばの沢で使った道具洗い



しかし、母屋土台が崩壊して、このままでは危険。

 

でも、お向かいはこの通り、土砂で埋まってます

 

三原で1泊して翌日は小屋裏へ、 午前10時半頃到着。

道路はずいぶんきれいになってます。 しかし、個々の家の泥出しなどはまだまだあります。

 

この日はセーブ・ザ・ヒロシマの団体さんが来てくれて、大勢のボラでにぎわってました。

 

ここでの作業は、裏山が崩れたところの流木処理。
チェンソーの準備中。 2本積んでます。

 

流木に土砂が付着していて、チェンソーの刃がすぐ切れなくなります。 目立てしても、すぐOUT。 無理もない。 まるでサンドペーパーを切っているようなものですから・・・

 

車がそばまで入れないので、小さく切った木を運んでます




 

翌日8/7も作業して、少々残ったものの、なんとか終了。 小屋裏ではまだまだやることが多くあります。 多くのボランティアさんの参加をお願いします。

 

翌8/8に大阪に寄って墓参りして、午後8時無事帰宅。 荷降ろしを済ませたら午後9時でした。

ちなみに、車のオドメーターが19万km突破。 なぜか大台を超えるときは、いつも遠征ボラの途中。

 


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最近、自然災害が多くなってます。 特に今年は多くの災害が起こり、西日本を中心とした豪雨災害では、被害地域が広範囲になっており、災害ボランティアが分散して、各被災地で不足を言われています。

 

災害ボランティアというと、何だか危険でハードルが高そうに思えますが、そんなことはありません。 特に各自治体の社会福祉協議会が主体となっている災害ボランティアセンターで募集するボランティアは素人を前提としていますから、誰でも参加できます。 ぜひ参加してみてください。


さて、私が災害ボランティアを本格的に始めたのは、2007年の中越沖地震のときですから、もう11年になります。 この頃は今と違って、災害ボランティアもあまり周知されておらず、来る人も少なかった。

 

また、今でこそブログやSNSで「災害ボランティアに行ってきました」と、発信する人が多いが、当時は少なかったため、少しでも被害を知ってもらおうとか、災害ボランティアの啓発で発信すると、「自己宣伝」だとか「売名行為」だとかで、叩かれたこともあった。(特に女性が多かった)


災害ボランティアが一般に周知されたのは、2011年の東日本大震災。 また、この時には多くの民間の災害ボランティア団体が設立された。 とともに、今は多くの人が災害ボランティアに駆けつけてくれるようになった。

そのため、災害ボランティアのベテランも増え、最近では専門技術を持ったテクニカル系集団や、団体も現れている。 また、一般の災害ボランティアも増え、いまや募集をかければ、かなり多くの災害ボランティアが集まる。

 

しかし、災害ボランティアの数が増え、質の低下も一部には見られる。 むろん、数が増えることは良いことだし、多く集まってくれれば、それだけ被災地の復興が早く進むことになるが、災害ボランティアの養成機関がない。 今のところ、ベテランボランティアが現場で教えるのが唯一の養成といえよう。

だが、その教えるベテランボランティア自身も、きちんとした養成機関で教えてもらったわけではなく、自分が現場で体験したことなどがベースになっているにすぎない。 よって、その人の体験や考え方などで、何が○で、何が×なのかはかなりの差はある。

また、正解がない場合も数々ある。 例えば、同じ事柄でも被災者側から見た場合と、ボランティア側から見た場合と相違が生じることもある。 同様に、参加ボランティア側から見た場合と、それを集める災害ボランティアセンター運営側から見た場合も相違がある。

つまり、どの立場から見るかで、変わってくることがあり、これが正解ということができないことも多い。

ま、難しい話はこのくらいにして、前述したように、災害ボランティアを始めて11年。 当時でももう50代後半だったから、いまや後期高齢者寸前。 当時は50代後半とはいえ、同年代に比べれば健康で元気なほうだったから、他の若い人と同様に動けた。

しかし、加齢とともに、やはり体力は衰えてくるもので、ここ数年は自分でもその衰えが顕著にわかる。 今でもガテン系作業はできるし、若い人に交じってしばらくは同様にできる。 が、いかんせん体力が持続しない。

早く話、すぐ息切れするのである。 泥出し作業などでも、30分もたず、15~20分くらいで息切れして、一時休憩しないと、あとが続かない。 季節や天候、作業場所や作業内容にもよるが、ガテン系作業の場合、1~2時間作業して15~30分休憩 というパターンが多い。

むろん、今年夏のように酷暑で炎天下での作業の場合は、30分作業して15~20分休憩 ということもある。

どちらにしても、いまや私は30分もたないのである。 従って、これは高齢を理由に早目に休憩することを宣言している。 もしくは、目いっぱいの力ではなく、7・8分目の力で作業し、作業時間を延ばす努力をしている。

何にしても体力が落ちているのは間違いなく、若い人と同じことはできない。 となると、これから災害ボランティアを続けるにはどうしたらよいか? なるべく体力を使わないような作業をするか(例えば、機械を使う)、頭と神経を使う運営側にまわるか であろう。

ま、最近は災害ボランティアに行っても、その方向にはなってはいるが・・・、

ということで、その一環として、「小型車両系建設機械 運転」の講習を受けることにした。 いわゆる小型ユンボなどの運転に関わる資格である。 前述したように、最近は人力だけに頼らず、ユンボなどの機械を導入することが多い。(チェンソー使用は以前からやっている)

 

しかし、これらは危険作業の類になるため、民間ボランティアセンターではほとんどが導入しているが、社協主体の災害ボランティアセンターでは認めていないところも多い。(ボランティア保険の関係や官庁的運営のため)

さて、「小型車両系建設機械 運転」の講習ですが、18歳以上なら誰でも申し込めます。 そして、機体重量3t未満であれば、学科・実技の2日間の講習を受ければ、受講済み証が発行され、晴れて公道での運転が認められます。

テストらしきものはありますが、学科・実技ともに、よほどのドジをしない限り、普通に受講していれば合格になります。 こんなに簡単で良いのか?と思うくらい。

 

初日は8時10分集合なので、朝4時起き。(ナビ上で3時間半かかる)
当日は眠かった。

大半は30代および20代後半、1人だけ40代が居たが、50代・60代は皆無。 ジジイは私ひとりのみ。

向こう(教習所)も不思議に思ってただろうな。 70歳近いジジイが何を思って受講しにきたのだろうか? と・・・ まあ受講の最低年齢制限はあるけど、最高年齢制限はないもんね。 仕事に必要だから受講している人がほとんどだろうから、こんなジジイは「仕事」なわけないし ね。

実は大阪で現役時代、2年半ほどクボタ堺で北米向けバックホー(ドデカいユンボ)の設計に関わったことがあります。 だから、基本的な構造や操作法は頭では知ってます。 

しかし、実機を操作したことがない。 現実態や現場スケッチなどで実機に触ることはありますが、操作まではしません。(クボタの社員はテストなどで実機操作をしますが・・・)

2日間 缶詰め状態で何とか取りました。 これで、晴れて公道で小型ユンボ操作ができます。 とはいっても、即 満足な操作はできるわけもなく、車の免許取り立てと同じで、経験を重ねて慣れていくしかない。

 


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先日 北海道で未曾有の大地震があり、大きながけ崩れが発生し、死者・負傷者も多く出、今なお行方不明者の捜索が続けられています。 また、全道が一時停電になるという非常事態に・・・ 

この地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
また 被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。

 

今年は昨年末から3月にかけての豪雪に始まり、4月の島根県西部地震、6月の大阪北部地震、7月の西日本豪雨、同7月 台風12号、8月の台風20号・21号被害 と、立て続けに大きな自然災害が起こっています。

最近の日本では、いつどこで大きな災害に見舞われるかわかりません。 そのためにも、他人事ではなく、自分自身に、心物ともに備えはしておきましょう。

さて、先日の台風21号ですが、我が家も倒木被害にあいました。
確か、昨年の台風でも倒木被害にあったような・・・ 
その記事はこちら → 「台風16号 倒木被害
 

9/4

午後4時前頃くらいから風雨が強まり、折れた木の枝が屋根にゴンゴンと当たる。(午後5時、今は風は少しおさまってきた) 
 

一段と大きな音がした と思ったら、裏山の一本の木が根元近くから折れてプレハブ屋根にぶつかってた。 ここは倒木はよくあることで、家にぶつかったのは3回目。 置いてある車にぶつかりそうになったのも1回ある。

 

 

 

幸い端っこのほうだったし、プレハブには後付けした大屋根をかぶせてあるので、大きな被害はない模様。 まだ今日中は雨が強いようなので、この処理は明日します。(今日・明日は月一の連休) 

9/5 昨日の倒木。 完全に根元から折れています。


プレハブ大屋根の軒先が変形してます。




 

ログ横の細い木も根こそぎ倒れてました。 上で掛り木になってるから良かったものの、でなかったら電話線・CATYケーブル線が切断される寸前。



 

隣の敷地でも2本 根元から倒れ、道路を塞いでいます。...
さて、今日は忙しい。

 

倒木、とりあえず家の屋根から降ろしました。 屋根のトタンが少しへこんでめくれただけで、桁は無事。 大きな被害はない模様。

 

 


 

ログ横も電話線・CATV線を切らないよう、慎重に切って寝かせました。

あとは寝かせた木の枝払いをして、お片付け。 これがめんどい。




上の木も運べる大きさに玉切り。

寝かせた木も、ある程度枝払いしたものの、置き場所がない。 
もっと細かくしないとダメかなぁ~


...

とりあえず、ある程度片付いたので、次の休みまで保留。
台風のおかげでとんだ労力を強いられた。

夕方 風呂(近くの温泉)に行くのに、下まで降りる途中、あちこちで倒木しているのを見かけた。 やはり今回の台風は風がすごかったのだろう。









 

尚、この台風で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
また 被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。

 


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先月、広島・三原市と安芸郡坂町小屋浦へ行ってきましたが、特に小屋浦地区の被害状況がひどく、国道の渋滞によりボランティアが来ない という状況を見て、再び小屋浦地区に行くことに・・・

ここは地区住民の8割が被災し、死者・行方不明者も10人以上出ている地域です。

8/10 夜10時に木曽を出発しました。 深夜だから、そんなに混まないだろう と思ってましたが、「甘かった!」 深夜3時過ぎ、姫路の手前で大渋滞(自然渋滞)。
 

そこを抜けるのに2時間弱かかりました。 おかげで以降の予定は大狂い。 岡山あたりで、何か所も朝の渋滞にあいました。 またSAやPAも大混雑で駐車スペースを探すのがひと苦労。 さすがお盆時期。

...

今まで、お盆時期はどこ行っても混むし、料金は高めなので、遠出は控えてました。 特に高速道路の渋滞などはテレビで見てても恐ろしい。
 

さて、前回から約1か月弱、小屋浦の道路はかなり土砂除去されました。 しかし、被災者宅の内部はまだこれから。 というより、今までは道路に大量の土砂が堆積してあり、被災者宅へ近ずけなかった。 つまり、「これから」なんです。
 

交通渋滞などで敬遠されがちなところですが、今まで以上にボランティアさんの力が必要なんです。 少しでも多くの方々においで頂ければ幸いです。

 

軽ダンプでひたすら土砂・ガラ・ブロック・土嚢運び。 捨て場へ何往復したことか。 捨て場の交通誘導監視のお兄ちゃんに言われました。
 

「お父さん、いろんな方向から、いろんな物を積んでくるね」と・・・ まあ実際そのとおりで、あっちの現場、こっちの現場、そっちの現場 と飛び回り。










ここまで泥水がきました



 

その合間に本部のお手伝い。(こっちはあまりたいしたことはしてないですけど・・・)  ま、今はあまり長居はできないので、雑用くらいしかできませんがね。
 

6/14 4日目

夏休みとあって、今日も多くのボランティアさんにおいで頂きました。
ありがとうございます。..
.

私は相変わらず軽ダンプの運転手。 昨日2tonダンプとユンボが各2台増強されたので、今日はあちこちの現場へ行かず、ほぼ1か所のみ。



 

こんなに大きな岩も流れてきました

 

ボラさんも多く入って頂いたので、やっと被災家屋の土砂出しに着手できました。 その土砂を土嚢に詰めず、直接ユンボがダンプに積み込みます。 このほうがはるかに早い。

 

ちなみに、前回来た時に埋まっていた車の横は川ですが、こんな川。 前回はまったく川が見えてませんでした。



 

尚、公園の土砂出しのため、小屋浦サテライトは現在の公園横へちょっと移りました。 公園が整備されれば、小学校内にあった社協出張所が移転してきます。 といっても、社協職員は居ませんが・・・(来いよ!!)
 

また、素直クンや草薙さんなど 数人、懐かしいお顔も拝見しました。 被災地でないと会えない というのも、ちょっと悲しいですけどね。
 

ロハス南阿蘇プロボノベースもできてます


8/15 5日目

本日も、そこそこの数のボランティアさんがおいでになりました。
ありがとうございます。

...

おかげさまで、被災宅の土砂出しもかなり進みました。 とは言っても、まだまだですが・・・
 

ダンプとユンボが増強されたので、あちこちダンプとユンボだらけ。 かなり早く進めることができました。 その代り車両のすれ違いが難しく、けっこう気を使います。

 

ダンプを運転していて気がついたのですが、ダンプの女性ドライバーもけっこういました。(2tonダンプでも) また、ユンボの女性オペレーターも2人見かけました。

むろん、他のボラ団体 の、ですが。 さすがに国交省などの行政にはいませんでしたけど・・・ 女性の活躍も進歩しましたね。
 

ダンプとユンボで土砂出しした箇所。 かなりきれいになりました。 夕方、今一度 道にはみ出た土砂さらいをやりました。

 

あいにく明日は雨の予報ですが、小屋浦サテライトは少雨決行で作業します。 行政の避難指示などが出た場合は撤収しますが・・・

大雨にならないでほしいな。

8/16 6日目(最終日)

明日から盆休み明けの方も多く、天候も悪い予報で、本日はボランティアさんもやはりかなり少なめでした。
 

いつもは「愛知人グループ」さんが送迎車を出してくれているのですが、本日は参加者も少なく、該当車もありませんでしたので、私が代わりに送迎。

...

ボラさんも少ないので、お昼前にはいつものダンプ運転手に戻り、午後もそのままダンプ。 今日も捨て場の若い交通監視誘導員(前の人とは別人)に声をかけられ、雑談しました。
 

なぜか、よく話しかけられます。 まあ、軽ダンプだから積む量が少ないので、往復の頻度は高いし、かなりのジジイ ということもあるのかもしれません。
 

午前中は何とかお天気ももってくれましたが、午後2時頃に、かなり雲行き怪しくなり、作業を中止しました。 その後、強い雨がしばらく降り、作業中止を決めて良かった と思います。 もっとも、社協ボラセンは今日はどことも中止を決めていましたがね。
 

作業中止後は送迎車に逆戻り。 しかし、ボラさんも少なかったので、3往復ほどで送迎終了です。
 

小屋浦ボラも6日間、本日(8/16)で私は終了です。 まだまだやることも多くあり、後ろ髪を引かれますが、あとは志ある方に託します。
 

尚、小屋浦サテライトを目指す方にお知らせ。

駐車場の「ナフコ」から、ほぼ毎日送迎車が出ています。(車両の都合により無いこともありますが・・・) 「小屋浦ボランティア送迎車」の表記のある車を探してください。

 

広島県安芸郡坂町小屋浦で6日間のボラ活動を終え、昨日 帰途につきました。 途中 大阪に寄って墓参りをし、銀行やその他の雑用を済ませて、昨夜23時に無事帰宅。

...

広島ICから中国道に乗ってすぐ渋滞。 でも、20分ほどで通過。 その後も小さな渋滞は何か所かあったものの、わりとスムースに走れました。 夜遅く帰ってきたので、荷物はまだ車の中。 午後から荷降しします。 これが意外と時間がかかるのよね。

 

昨日(8/16)からずいぶん涼しくなったらしく、今朝の気温はこんなの。(午前10時現在 画像参照) 午前8時では10℃を下まわってた。 思わずホットカーペットをつけましたがな。 ここへ移り住んで9年経ちましたが、身体が慣れてしまったようで、下界へ降りるとめっちゃ暑い。

 

大阪生まれの大阪育ち。 都会の暑さは知ってますが、特に今年の夏の暑さは異常ですね。 そのことを思えば、夏はここは天国。 しかし、その分 冬の寒さはかなり厳しい。
 

坂町小屋浦では、やっと被災家屋の土砂出しが始まったばかり。 まだまだやらなければいけないことが、たくさんあります。 多くのボランティアさんのご参加をお待ちしております。

 


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毎日暑いですねぇ~ 酷暑です。

昨年は自然災害が少なく、ほっとしていたのですが、やはり自然はそう甘くありませんでした。 とは言っても、ここ数年の気象は異常で、今までの経験則が当てはまりません。 つまり、今まで災害が無かったところでも起こり得る ということです。
 

先日の3連休+α(7/14~18) で、広島県三原市と呉市安浦地区、安芸郡坂町・小屋浦地区へ行ってきました。
 

もっと早く記事をUPしたかったのですが、帰ってきて、翌日からの仕事でヘロヘロ。 いつもは自炊なのですが、2日間はコンビニ&スーパーの弁当生活。 やはり年々体力が落ちてます。

 

7/14 仕事が終わって小物の資機材を積込み(大物は前の休みに積み込んであった)。 これがけっこう時間がかかり、たいていは忘れ物をしてしまう。


 

三原市まではナビ上、8時間半かかるので、0時までには出発しようと思ったが、結局 出発したのは1時過ぎ。 なので、トイレ休憩以外の休憩は無しで、ひたすら三原まで高速連続走行。

何とか午前7時半すぎにTSUNAGARI三原ベースに到着。

 

当日および翌日はベース近くの、裏山が崩れ、土砂が家周囲に流入したお宅の庭の泥出し。 尚、今回 デジカメの調子が悪く(すぐ電池切れになる)、あまり写真が撮れなかったので、一部 関係先からの画像を拝借しています。

 

そこで驚きの光景が・・・


裏山が崩れたときに、大きな立木も根こそぎえぐれて、家裏にもたれかかっています。 幸い家の壁は破られなかったが、このまま放置すれば非常に危険。

 

 

 

と言っても、これはとても素人の手を出せる範疇ではなく、専門集団の仕事。(後日 聞いたところ、行政が着手することになった とのこと)

 

あまり多くの現場を見ていないので、確かなことは言えないが、三原市は被災現場周辺は被災地独特の風景だが、それ以外の被災していない地域は、ごく普通の街の光景。 つまり、被災現場を見なければ、被災したことがわからない。 しかし、被災現場数は多い。

 

7/16 ベースから呉市安浦地区へ・・・
ここは被災現場が少々広く、かなり被災戸数も多い。 写真の中畑川が氾濫したのだが、普段の流れは真中をチョロチョロ流れているだけ。 流木などが橋に貯まり、そこから溢れた。 岩手・岩泉と同じ状況。

 

 

 

 

16日夕 広島市へ移動。 翌17日、安芸郡坂町・小屋浦地区の現場。 ここはひどい! いまだ手つかずの状態。 車も半分埋まっています。 もっとも、まだ行方不明者の捜索がおこなわれている地域だから、無理もないが・・・

 

 

当初は国道31号も通行不能で、山道迂回で3~4時間かかったそう。 やっと国道が開通したものの、渋滞がひどく、通常40~50分で通過できるところ、2~3時間かかる。 だから、一般ボラもあまり入ってこない。

 

ずーっと下(広島側)の坂町中心部にボラセンが立って、そこでボラ受付をやっているのだが(小屋浦では社協職員は居ない)、例の渋滞で小屋浦への希望者が少ない。

 

国道開通までは、陸の孤島化で、物資も資機材も不足していたが、国道開通でそれらは解消されたが、いまだボラ数は極端に少ない。

 

何しろ、町道に土砂が1m以上堆積し、それを取り除かないと、被災者のお宅にすら行けない。 現在、ロハス南阿蘇・重機ボラがその除去に奮闘している。(本来は行政の仕事)

 

 

まだ行方不明者が2人いるそうで、7/18に1人のご遺体の一部が私たちの居る100数m先で見つかった。

 

本来は17日 1日間だけの予定だったが、見るに見かねて18日午前中まで延長してきたが、先行き不安。

ボラの皆さん、安芸郡坂町・小屋浦へぜひ お越しを・・・ ただし、渋滞はひどいです。

 


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梅雨ですねぇ~ じとじとと湿気が多い。

この時期、カビにご用心!
 

菓子箱の下隅にバームクーヘンを見つけ、食べてみようとしたら・・・

Σ( ̄ロ ̄|||)なんと!? カビだらけ!

...
2か月前に買ったものだけど、個包装してあるのに、カビカビ。 梅雨時は気をつけないと・・・


さて、今 務めている常勤バイト、一昨日(6/8)で3年経ちました。(よく続いてるもんだ) これから4年目に入ります。 それまでは季節限定(冬だけ とか、夏だけ など)バイトはしていましたが、常勤バイトは初めて。..

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最低限の生活は年金でできるのですが、車の経費や、遠征ボラの費用などがでてきません。 特に車はここでは必需品。 無いと日常生活に支障をきたします。
 

付近にはお店もなく、食料品や日用品は車で30分の街まで行かないと入手できません。 バス便は、朝・昼・夕の1日3本のみ。 しかも、バス停まではアップダウンの坂道を徒歩40分。 冬場は積雪があって、1時間以上かかります。 とうていバスはアテにはできません。
 

当初、こんなに長く続けられるとは思いませんでした。(何回か、辞めようと思ったことはある) 特にバイト料が良いわけではなく、また 待遇が良いわけでもありませんが、月のうち半分くらいの出勤なので、身体は楽チン。
 

土日・祝日休みで、毎週火曜日が定休日(月1回火・水 連休)だから、平日休みもある。 時間給なので、その分 収入は少なくなるが、そんなに必死に稼がなくても、なんとか生活できるし ね。
 

ま、何にしても、しばらくはこのまま続けるか。

 


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4/13 九州から帰ってきて1週間ぶりのお仕事。 いつもよりは疲れました。 やはり長距離運転と力仕事の疲れが若干残ってます。 ま、歳のせいもあるけどね。
 

4月初旬、熊本・阿蘇、大分・日田市へ行ってきましたが、下界は暖かかったですね。(阿蘇は寒かったけど・・・) ここも暖かくなりました。 とはいえ、朝は0℃前後ですが、氷点下にはなりません。
 

下界の桜は散りつつあるところもありますが、ここはこれから。 ふもとの街筋は満開。

...

4/14 さて、1日出勤して、また土日の休みなので(休みばっか)、非常用発電機の点検とガソリンの入れ替え。 ある程度の期間で入れ替えしないと、ガソリンを入れっぱなしだとガソリンも劣化します。

 

この発電機、もしものときの非常用ですが、むろん災害ボラ時にも出動することがあります。 出力2.3kwあるので、家電もそこそこ使えますし、電動工具も使えます。 けど、古いから重い。
 

もしものことがあれば、ここは別荘地、住人も少ないし、山全体が私有地なので、支援の手が入るのは他より遅くなると思います。 災害規模にもよりますが、大きな災害であれば、おそらく1週間以上は来ないでしょう。
 

そのためにも、食料は1か月分、水は半月分確保。 その他 自力応急復旧の道具などはそこそこ備えています。 それがボラのときにも役立ってはいますが・・・
 

そういうことは無いことを願ってますが、災害はいつ、どこで起こるかわかりません。 用意だけはしておくほうが無難です。 ま、この設備ごとやられたら、お手上げですけどね。
 

災害ボラに行ったとき、良く聞くのが、
「まさか自分がこんなことにあうなんて・・・」
といった、楽観視の言葉。
 

驚かすわけではありませんが、あなたの居る地域でも、明日にも起こるかもしれません。 減災準備は必要ですよ。


4/21 今日はめっちゃ暑かった。 夏日です。
ここ、三岳でもやっと桜満開。
やはり例年より1週間ほど早いですね。

 

4/28 GW突入。 快晴です。 ちょっと動くと汗が・・・
だけど、朝はまだちょっと肌寒い。

今日から9連休。(会社は明後日から6連休ですが) 

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今年は長女家族が連休後半に来るそうです。
でも、後半はお天気が悪そう。
 

例年のごとく、花壇の整備。


頼んでおいた砂利が届いているので、午後からは砂利撒き。


ネコ(一輪車)で少しずつ砂利を運搬。 通路は登り坂になっているので、かなりキツイ。

あちこちに砂利の山を作り、そこから適当にばらまいていく。








暑いので1~1時間半ごとに家の中へ入って休憩。 直射日光に当たっていれば暑いが、日陰に入るとけっこう涼しい。

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休憩が多いので、なかなか作業が進みません。 とりあえず通路など表側はほぼ撒き終りました。 家の裏や横は残ったので、残りはまた翌日。

以前は一気にやれたのに・・・ 年々体力が落ちてます。

5/2 GW真只中。 昨日までは夏日を思わせるような好天。 ここにも、そこそこの人がおいでになってますが、年々少なくなってきているような気がします。 20年ほど前はかなり混雑してました。
 

今年は春の訪れが早く、敷地内の山桜も早くも散りはじめました。 前の道路は花絨毯。 やはり例年より早いです。



 

今夕から東京の長女家族が2年ぶりに来ます。 昨年、作ったブランコがやっと日の目を見そう。 でも、今夕から明日にかけて雨なんだよなぁ~


5/3 やってきました(長女家族)、雨の中。

予報では昨夜は午後6時頃から雨でしたが、3時過ぎには降りはじめ、到着した6時頃には本降り寸前。
 

夜には本降りになり、明け方には雷も鳴る荒天でした。 しかし、翌日(今日)はGW前の予報よりは雨が早くやみ、午前9時過ぎにはほぼやみました。

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ブランコもやっと乗ってもらえて満足そう。





 

開田高原の霧しなへ行って、次にお気に入りのパン屋さんへ。 ここではヤギがいて、たわむれてました。




そして、木曽馬乗馬体験。 下の孫は初めてでしたが(上の孫は3回目)、怖がらずに上手に乗ってました。








しばらくにぎやかな日が続きます。

5/4 30年前、大阪から持ってきた長女の自転車、錆だらけだけど、まだ使えそうなので、ちょっと整備して、上の孫が乗ってご機嫌。 下の孫もついてまわってます。
 

ここは車の往来もほとんどないので、安心して走れます。





 

午後から久しぶりのBBQ。(と言っても、今年は焼き鳥メイン) 都会と違って直火でできます。





5/5 長女家族が今朝 帰っていきました。 3日間、楽しく過ごしましたが、元の静寂が戻ってきました。 今朝はお帰りになる方も多かったのか、車の往来も多かったですね。

5/6 車の往来もほとんどなくなり、いつもの静けさになりました。
 


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熊本地震から2年、福岡・大分豪雨災害から9か月、復興は進んではいますが、まだまだです。 やはり年月が経つにつれ、人々の記憶から薄れてゆき、しかたないことかもしれませんが、支援なども減ってきています。

しかし、いまだに現地でボラ活動しているボラ団体などもいます。 今回、ボラ友の呼びかけに応えて、ちょっと熊本・南阿蘇と大分・日田市に応援に行ってきました。

4/8 土曜日、朝6時半に起きて、着替え・道具などを積込み7時半出発。..(本当は7時までに出るつもりだった)

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今回は高速料金も自前なので、節約するため、各務ヶ原まで下道、そこから高速。 途中、大阪へ寄って墓参り。 そこから中国道・吹田まで走り、午後1時過ぎ中国道へ。
 

途中、広島・安佐あたりで雪。 吹雪になってきました。
ヤバ!
 

いつもは4月中旬までスタッドレスを履いたままなのですが、タイヤ溝も減ってきてたので、今回の九州行きが急遽決まり、中古ノーマルを購入してはめ換え、履き替えしたところ。
 

幸い、路面に積もることはありませんでしたが、周囲の山の木には若干積もってました。 1時間ちょっとで、雪の地域は脱出。 山口に来ると雨になり、ホッと一息。
 

関門橋、一昨年から何回のこ橋を渡っただろう。 トイレ休憩以外はほとんど止まらず、午後11時頃に北熊本SAに到着。 ここで仮眠。 15時間半の運転、やはり疲れました。


車の累積走行距離が18万km超えました。 なぜかいつもボラに行くときに大台を超えています。 15万kmは常総のちょっと上、築西市玉船行きボラ。 16万kmは岩手・岩泉ボラ、17万kmは熊本地震ボラ。

 

さて、翌早朝7時前に出発して、宿泊施設「ロハス南阿蘇」に7時40分頃、無事到着。




 

今日 4/8(日)は被災した地元企業の荷物出し(移転)班と草刈班に分かれて作業。 私は前者のほう。 ボラ友氏は今日だけ応援の人と前日からの続きで草刈班。
 

地震で建物が大きく損壊し、本体はとっくに解体されたが、倉庫に荷物を残してあるので、倉庫などは解体しないで残してある。


地震で裏山もかなり崩れた。

この度、新しい施設を作るメドが立ったので、その荷物を仮置き倉庫に移し換えするためのボラ。 けっこういろんなものが残されています。 2t車3台で3往復して、まだ若干残りました。

4/9(月)のボラ作業は日田市・大鶴駅からの荷物出しと、その横の畑の泥出し。

ボラ団体「ロハス南阿蘇たすけあい」がここ大鶴地区の活動拠点としてJRさんから無償で借りていた大鶴駅の駅舎をお返しするため、活動資材を置かせていただいた拠点の引越作業。 引越先も、大鶴駅から数100mの空家。 ここも自治会長さんの了解を得て無償で貸ししていただける。

午後からは、「ロハス南阿蘇たすけあい」が大鶴地区でお世話になった方のご自宅横の畑の泥出し。 去年の水害から約9ヵ月たってもいまだに数cmの泥が積もったまま。 お世話になった方のお父さんが90歳というご高齢なのに、ひとりであと片付けをされていたのだそう。

残念ながら午後からの半日の活動だったため、完了せず、一部は翌日に持越しとなった。 尚、熊本地震の時に真っ先に駆けつけてくれたのが、ここ日田市大鶴地区の方々なのだそう。

4/10(火) ロハス南阿蘇でボラ友氏を見送り、私は東峰村へ。 今回は以前通行止めになっていた川沿いの道路が通行可能になっていたので、そちらを通っていきました。

ただ今復旧真っ最中の様子。 川自体は小さな川です。 だから一気に降った雨で溢れかえったのでしょうね。 被害の写真、撮り忘れた。
 
熊レスで昨年活動した方には懐かしい風景だと思います。 今はこんな風になっています。





 

宝珠山きのこ生産組合も建屋の移転新築など、再建工事が始まっていました。 川村さま、「おいしいたけせんべい」などのお土産も頂き、また多忙な中、お時間をさいて頂いてありがとうございました。


東峰村を後にして、一路九州とお別れ。 関門橋、何度も通ってますが、お昼間通るのは初めて。 いつも夜ばかりだった。




以前 ボラで長期滞在していた広島で途中下車。 懐かしいボラ友と再会しました。

今回の総走行距離 2330km、ひとりでの運転はやはり疲れる。


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2011年(平成23年)3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震による災害で、震源域は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmのおよそ10万km2に及びました。

また、これに伴う福島第一原子力発電所事故(メルトダウン)が起き、今現在も収束が見通せない状況が続いています。

7年経ったのですね。 ついこの前のような気もしますし、かなり経ったような気もします。

当時のブログはこちら

 

気仙沼・小泉浜より帰ってきました
 

気仙沼・小泉浜 Part 2
 

「2度目の東北から帰ってきました

2018年(平成30年)3月9日時点で、震災による死者・行方不明者は1万8,434人、そのうち警察に届け出が出ている行方不明者は、合わせて2539人。 そして、避難生活者は、今も7万3千人もいます。


今年も全国各地で発生時刻の午後2時46分に合わせ、鎮魂の祈りが犠牲者にささげられるものと思われます。 

 

犠牲者のご冥福を祈りつつ、この教訓を後世に活かさなければならないと思います。

合掌

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