年中アウトドア

年中アウトドア

20余年前 ふとしたことで長野県・木曾・御嶽山麓に小さな山小屋を自分で建て、アウトドア志向になったオジンの日記。

2010年 リタイアして、大阪より ここ木曽に転居してきました。
尚、別ブログはこちら→「いろいろ【まっち】んぐ」 plaza.rakuten.co.jp/machi2406/

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ここのところ、やっと晴れの日が多くなってきました。 でも、夕方から夜には雨が降る といったように、安定しません。 屋久島で局地的豪雨が続いているようで、心配です。 
 
さて、GW 前半は東京の長女家族の来訪でにぎやかでした。 彼らが帰ってから、外した階段材の釘抜きもほぼ終わり、あちこち点検していると、デッキ手すり支柱の1本がかなり傷んでいることが判明。
 
5/4 根元が割れて、釘が効いてません。(もうすぐはずれそう) 支柱を取り外し、ついでに傷んでそうな手すりも取り外します。
 
 
 
新しい支柱を立て、手すりも新しいものに交換。 あとは塗装すれば完成。 念入りに点検すれば、やることがいっぱい出てきそう。
 
 

5/1までは長女家族が来てたので、何もやってませんが、それ以降はいろいろとメンテナンスをやってました。

 

上記のデッキ手すりの取り換え補修。

 

丸太橋のペイント、上敷板の張替え。 なぜか左主桁の山側が沈んでいたので、ジャッキで持ち上げ、下に敷いていた丸太土台にスペーサーを入れて高さ調節。

 

ログ側の階段土留の補修、プレハブ側の階段土留の補修、張り出し台地の掃除、折れて散乱している枝の掃除 などなど。 最近は壊れない限り放置状態なので、やりだしたらキリがない。

 

 

 

 

 

 

長い休みがあって良かった。


5/13 自宅敷地の山桜もやっと咲き始めました。

いつもはGW頃に咲き始めるんですが、今年はちょっと遅い。

 

ここのところの夏日のような陽気に、「あらま、もう春過ぎてんじゃん、早く咲かなきゃ」と、慌てて咲いたようです。


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今年は平成から令和への元号移行の関係で、このGWも10連休という人も多くいるようです。 私の勤め先も かつてない、8連休だそうです。
 
ちなみに、ワタクシ 12連休ですが、何か?
 
さて、GW初日 4/27
風が強く、外にいると体感温度が低く感じます。
 
外階段を付け替えた影響で、階段屋根から雨漏りします。 午後から階段屋根の修理をしていると、あろうことか、雪が・・・ かなり冷えるので、指がかじかんできます。 まるで、冬みたい。
 
屋根は2分割してるので、まず、下をはずします。 上側はポリ波板を若干はみださせているので、下の屋根を下から潜りこませようとしたが、うまくいかず、結局 上の屋根も取り外し。
 
 
 
なんとかうまくはめこめました。 他の作業も予定していたが、指がかじかんで、うまく作業できないので、やめました。
 
4/28 東京の長女家族、夕方到着。
翌日孫たちはブランコに自転車 と遊びまくり。
 
そして、いつものように、BBQ。
 
 
 
大勢で食べる食事はおいしいです。
いつもひとりで食事なので・・・
 
ところが、翌日(4/29)下の子が39度の発熱。 なので、どこへも行けず、ずーっとお家。
あまりの発熱に、ひょっとしたら「インフルエンザ?」と心配したが、夕方にようやく37度台に下がり始め、一安心。
 
4/30 下の子はまだ微熱なので、あまり遠くへは行かず、開田のパン屋さんと、そばの霧しな、そして木曽温泉のみ お出かけ。 
 
なので、今回はあまりお出かけできなかった。 まぁお天気もあまり良くなかったけどね。

今朝(5/1) 長女家族が帰っていきました。
 
いままでにぎやかだったここも、いつものようにシ~ン。
 
帰路、開田高原・健康ラボに寄ってボルダリング体験したそうです。
 


3年前のGWは熊本へ行ってました。→ 「熊本地震災害ボラ」
昨年も多くの自然災害が多くありました。 今年は大きな災害がありませんように・・・
 
 
 
 

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大雪です。 湿った重い雪。 まだ降り続いてます。
今日は毎月 火曜・水曜の連休日で良かった。





 

先週、ノーマルタイヤに換えにきた人が多かったけど、困ってるだろうな。


ラジオであちこちで立ち往生している車がいて、道路が渋滞しているとのこと。 ノーマルタイヤで無理に出ないで!

ちなみに、私は毎年GW 前まではタイヤ交換しません。


ところで、階段作り替え、デッキ板も取替えました。
古い板をはずすと、根太もかなり傷んでますね。



 

とりあえず板を新しいものに取替え。 ペンキが足りず、途中で違う色を混ぜたので、マダラになってますが、仕上げ塗りのときに同色に揃えます。


あとは階段最上部の張り出し踏板と、壊れてたデッキフットプレート、屋根支柱のベースなど、細々としたものの仕上げをすれば、一応完成。
 

階段最上段の張り出し踏板、デッキのフットプレートも取付け完了。 屋根支柱ベースは、適当な材がないため一時保留。

 

これで仕上げ塗りしたら、階段作り替えは、ほぼ完了。

 

取り外した階段の残骸。 これの釘抜きがまた大変。 釘抜きしておかないと、置いておくのも、持ち運ぶのも危険。


 

 


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3//16 

昨夜からの雪、やっぱり降りました。
木曽地方に大雪注意報が出ていましたが、たいしたことはなく、積雪2~3cm程度。

 

午後からの暖かい陽気で、ほとんどが融けてしまいました。
良かった! しかし、明日 また雪の予報が出てるよ。

...

さて、階段の踏板用厚板も買ってきて、必要な材はすべて揃い、長さ別に切り、一応 材は揃いました。

 

後は組み立てて、今の階段と入れ替えるだけ。 しかし、かなり重いので、これがけっこう大変なのよ。 あ、塗装もしなきゃ!

 

3/23 

今朝は寒かった!
あちこちに霜柱が立ってました。

 

階段作り替え、はずしたときに屋根を支える斜材をまず入れます。 これが無いと、階段をはずしたら落ちてきます。

...
 

次に屋根支柱を階段桁からはずします。

階段本体をはずすため、上側取付け部をちょっと浮かせます。 どうやらデッキ板も割れてますね。 これも補修しなければいかんでしょう。

 

階段本体の組み立てのため、桁の釘打ち部に径の細い下穴をあけようとしたら・・・ ドリルが動きません。

 

2台持ってますが、赤いほうは動くけれど、低速回転しかしない。 緑のほうはまったく動きません。

 

仕方なくコーススクリュー(木ネジ)で止めようとしたが、インパクトドライバーを充電していなかったので、これまた充電不足で途中で停止。

 

フル充電するには30分ちかくかかるし、夕方になって冷えてきたし、明日もお天気は良さそうだから、また明日に・・・(いつ出来るのかな?)

まあ裏からも出入りできるからね。

3/24

何と、昨夜は雪が降ったようです。
どうりで寒いと思った。 春のように暖かい日があったり、雪が降ったり、寒暖差の激しいこの頃です。

 

さて、階段作り替え、ロープをかけて一気に落ちないよう、旧階段をはずします。

...

 

 

はずれました。

 

運んでいる最中、やはり大きな損傷していた桁が途中で折れてしまいました。 あのまま使っていたら、いずれ折れてしまってたでしょう。

 

それにしても寒い。 午後から新しい階段の取付けです。

 

とりあえず恰好はつきました。

水準器を使って、踏板の左右・前後が水平になるように支えを取り付けます。

 

まだ細かい仕上げが残ってますので、踏板も仮止めです。

 

...

それが済んでから塗装です。 上部や下部の裏面は後から塗れないので、あらかじめ塗装してますけどね。

3/26

電動ドリル、前に書きましたが、2台とも不調なので、どのみち必要なので買ってきました。 今は安くなってますね。

 

階段、まだ未完成ですが、ざっと塗装しました。 完成後にもう1度、仕上げ塗りしますけどね。

4/5

昨日も雪が降りました。

この冬は雪が少なかったのに、今頃になってよく降る。 そんなに降らなくていいのに・・・

 

日曜日、階段の仕上げをしました。 手すり中桟の折れたものも、新しく取付け。 ただ、最上段は割れたデッキ板をまだ取り換えてないので、未仕上げです。

 

 

...

これをやったら、階段の作り替えは完了!

他にもやることはいっぱいあるんだけどね。

 

 


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昨日 3/11は東日本大震災の発災日。
もう8年 か、まだ8年 か?

この2週間後、気仙沼にいました。
気仙沼 といっても、一番はずれ、南三陸町のちょっと北、本吉町小泉 というところで、延べ2か月弱。

まだ見つかっていない、行方不明者が2533人もいます。
亡くなった方は1万5897人。 改めて犠牲になられた方のご冥福をお祈りします。

 

さて、昨日は一昨夜からの荒天で塩尻・松本方面はかなりの積雪だったようです。 ここ、木曽はたいしたことはありませんでした。

奈良井トンネル以北でかなり降ったようです。 川端康成の小説のように、「トンネルを抜けるとそこは雪国であった」ということはよくあります。

 

朝 奈良井付近で倒木のため、国道19号、JRも不通。 なので、伊那から高速で松本の検査場へ。

 

早朝は権兵衛ルートも倒木で通行止めでしたが、午前8時頃に開通しました。 最近は倒木による被害が多くあります。 森林の荒廃のせいもありますね。

 

暖冬で今年は雪が少なかったですが、やはりここでは3月いっぱいは油断できません。 南岸低気圧による「かみ雪」なんてのもありますからね。

 

先月2/23 風は強いけど、暖かな日でした。

朝の気温も-1℃。(午前7時、プレハブ室内で)
残雪も少なく、まるで春みたい。
 


このまま春になってくれると良いのだけど・・・(ここは、例年3月中旬まで冬です)

...

今季も雪が少なく、公私共に助かってます。 仕事で道は走りやすいし、雪かきもあまりしなくて良いし ね。
 

3/2 また階段が壊れた!(下から3段目) 数日前から、ぐらついてるのは気が付いてたけど、一昨日、上ってる最中にガタンと外れました。

 

外側は冬には雪が積もるので、どうしても傷みが早い。 むろん、気が付けば、即雪を落としてるけどね。
 

外側桁の内側はボロボロ状態。 本格的に直すには、背当てを貼ってから、踏板支えを取り付けないといけないな。

.
..

実は、下から1段目も壊れてるのよね。 下に支えを入れてごまかしてる。

 

この階段を作って9年ちかくになるから、そろそろ本格的な修理が必要かも。 明日は雨の予報なので、とりあえず午後から応急修理しましょか。
 

階段の修理、午後からかかりましたが、よくよく見ると、とんでもないことが!

外側桁が折れてる!!! Σ( ̄Д ̄;)がーんっ!

 

これは想定外。 端材はいっぱいストックしてるけど、こんな大きな材は買ってこないとありません。 ってか、大修理になります。(作り直したほうが早いかも?)

...

このままだと、ここからポッキと折れてしまいます。 とりあえず、通れるように当て板を当てて応急修理。 毎日通るからね。



 

灯油を買いに行ったついでに、階段の桁材を買ってきました。

作るのはまだ先ですが、とりあえず材料だけは確保しておかないと。


土日休みに、晴れて暖かい日が続いてくれると良いんだけど・・・
 

3/9 今度は階段の踏板横渡材が折れました。(この前はずれたところ)

 

これを作ったときは、踏板の厚材がなかったので、横渡材を通して、その上に薄板の踏板を貼ってました。
 

意外とあちこち傷んでいて、全体を作り直したほうがいいみたい。(そのために、主桁は一応2本買ってます) とりあえず応急修理。

..
.

材料を寸法切りして揃えておこうか、と やりだしたところ、踏板材がない!(横渡材が) 

しかし、よくよく考えてみると、横渡材を使わず、厚板を直接張るほうが手間も簡単。 ということで、踏板用厚材も買ってこなくては・・・

 

お天気も良いのに、残念!

この続きは、また後日。
 


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今日は節分。 明日は立春です。 節分とは「季節を分ける」という意味です。 つまり、節分は立春、立夏、立秋、立冬、の前の日、と年4回あるわけです。

節分といえば「鬼は外!福は内!」と言いながらの豆まき。 また、柊鰯(ひいらぎいわし)を魔除けに飾ったりします。


近年、恵方巻きを食べる習慣が全国に広がっています。 恵方巻きは元々 関西で食べられていたものですが、いまや全国的になりつつあります。 ちなみに、私は大阪生まれの大阪育ちなので、子供のときから知っていて、食べていました。

恵方巻きのルールその1 恵方をむいて食べる。 尚、今年の恵方は「東北東」

ルールその2 恵方巻きは黙って食べる。

ルールその3 恵方巻きは一本丸かじりで、一気に食べる。


恵方巻きの起源や発祥については諸説あり、後付けと思われるものも少なくないため、由来は定かではありません。

大きな広がりを作ったのは、1983年 ファミリーマートが大阪と兵庫で販売開始。 1989年 セブンイレブンが広島で恵方巻きの販売開始。 翌年より販売エリアが広がり、95年には関西以西の地区、98年には全国エリアで販売するようになったのが要因と言われています。

しかし、一気に広がったため、「恵方巻きの大量廃棄」という問題が出てきました。 恵方巻きは節分の1日だけに限られ、翌日には売れない完全な季節商品だからです。

 

廃棄される商品が全国で約10億円分(1本800円で計算)に上るとの推計結果を、関西大の宮本勝浩名誉教授が1日までにまとめました。

 

今年 2019年1月11日付で農水省が小売店関係の業界団体向けに「恵方巻きのシーズンを控えた食品の廃棄を削減するための対応について」を発表している。 農水省が「恵方巻き」に合わせてこういった書面を出すこと自体が、この問題の深刻さを表しています。

昔のように、一部地域で細々と食べられていたときには、こういう問題は起こりませんでしたが、いまや全国的になったことから、深刻な問題になりました。

 

それでなくとも、日本の賞味期限の厳しさから、食品ロス(まだ食べられるのに廃棄される食品)は、年間約632万トン(平成26年)もあります。


日本の食料自給率は現在39%(平成27年度)で、大半を輸入に頼っていますが、その一方で、食べられる食料を大量に捨てているという現実があるのです。

 


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昨年は大きな自然災害が多くありました。
台風・地震など、自然災害大国 日本、ある程度の災害はやむを得ないとは思いますが、最近は異常気象による大雨などの災害が増えつつあります。

昨年の西日本豪雨による災害でよく通った、広島県安芸郡坂町小屋浦地区の私設VC「小屋裏サテライト」も、昨日1/14で閉所しました。

さて、2011年の東日本大震災から、もうすぐ8年が経とうとしていますが、いまだ仮設住宅に住んでいる人がいます。(かなり復興住宅へ移っていますが・・・) 

東日本大震災は未曾有の災害で、あまりにも広範囲におよび、行政の初期対応が遅れたことは否めません。 また、行政の手が回らないため、民間のNPOによる私設災害ボランティアセンターが多く立ち上がったのも特徴です。

 画像は宮城県気仙沼市本吉町小泉地区



これ以降、災害ボランティア組織が増え、最近はチェンソーなどを使うテクニカル系や、重機などを使うプロボノ系 災害ボランティア組織も増えてきました。 そして、災害が起これば、いち早く現地入りする災害ボランティア組織も多々あります。


災害ボランティアがいつ現地入りすれば良いのか?という問題は賛否両論があります。 自衛隊や警察の救助・捜索活動が行われているときは、場合によっては妨げになることもあります。

 

災害ボランティアはなかなか難しいところがあります。 特に初期のときは、衣食住が自己完結できる人しかできません。


これは今まで何度も災害ボラに行った経験のある人しかできず、おのずとから人数は限られてしまいます。 しかし、中期に入ると一般ボラのできることも多くあります。 とはいえ、やはり災害ボラは気楽に参加できるものではありません。 それなりの心構えは必要です。

では「素人に何ができるか?」 となると、やはり物資提供、義援金寄付、ということになるでしょう。 私も初心者には、そうお奨めしています。 ただ、必要物資はその時々で変わってきます。 中期になると、物によっては余る物もあるので注意が必要です。

そして、中期以降になると被災者が必要になるのが「すぐに使える現金」です。 ところが、せっかく多くの人が寄付した義援金は、実際被災者の手元に渡るのは数か月先なんですよね。


これは制度上 仕方のないことなんですが、もう少し早く渡せないものか と思います。 こんな意見もあります。

 清水国明 「ちょっと過激な意見です

その他に、
ボランティアは押しかけていい」(リンク切れになっています)

 2011年4月5日(火) ニューズウィーク日本版
などもあります。


「ボランティアは押しかけていい」はちょっと無茶ですが、ボランティアの数は「足りない」というのは、どの災害現場でも同じです。 でも、私個人の考えとしては、それなりの知識・技量・装備・資金のある人および団体は押しかけても良いと思います。 ただし、現地に迷惑をかけなければ・・・

でも、実際にはそうでない人がノコノコ行って、現地で迷惑をかける事象も見受けられます。 もっと己を知って行動すべきですね。

局地的な災害の場合は余ることもありますが、大規模災害ではボランティアの数が余るということは、まずありません。 たいてい「足りない」のが実情です。 よく社会福祉協議会系ボランティアセンターで、受付締め切りで、ボランティアが余ることがありますが、あれは処理能力の欠如 と言わざるを得ません。

特に先の東日本大震災や昨年の西日本豪雨災害などは広範囲すぎて、ボランティアが分散され、どこでも足りませんでした。


しかし、受け入れ側の体制が悪いと、せっかくのボランティアをうまく使いきれないことがあります。 また、東日本大震災では、受け入れ側の行政そのものが崩壊しているから、受け入れ体制そのものがとれませんでした。

通信が遮断され、行政がまったく現状把握できなかったこと、それに行政そのものの崩壊、加えて、あまりにも広範囲だったことが行政対応の悪さに拍車をかけました。


道路も各地で寸断され、初期の物資輸送も混乱を極めました。 やっと輸送が改善されて集積所には多くの物資が集まりましたが、それを各避難所に配送できないという有様。

その上、避難所の現状把握ができていないから、非常な格差ができてしまいました。 残念ながら、東日本大震災の政府や各行政の被災者対策はお粗末の限りと言わねばならないと思います。

初期の物資輸送の遅れも、民間のNPO団体などはいち早く先遣隊を出し、道路情報を収集して翌日~3日後には現地へ輸送しています。 太平洋側の道路が寸断されているので、ほとんどが日本海側の新潟経由で現地入りしています。

何も道路は太平洋側だけじゃありませんから・・・ また、物資がまったく届いてないところもtwitterなどで発見し、届けています。

民間のNPO団体などがやっていることがなぜ行政にできないのか。 これはやはり民間のキメ細やかな対応のなせる技でしょう。 行政は縦割りのせいもありますし、法的制約も多い。 何よりも臨機応変ができません。

こうして民間ボランティアのことを書くと、よく「偽善者」とか、目立ちたいだけの「売名行為」、「(行かない)人を見下している」とか言われます。 そんなつもりはないんですが、まあ そう思われるのは私の言葉の使い方が悪いのかもしれません。

でも 被災者は何でもいいんです。 後方であれこれ屁理屈を言ってるよりは、今の窮状を助けてくれれば・・・

東日本大震災時、twitterで見つけた、ある被災者の叫びです。
 「善意でも、偽善でも、売名行為でも、何でもいい。 支援物資は全てありがたいです」

現在の制度では災害が起こった場合、その地域の社会福祉協議会が行政の委託を受けて災害ボランティアセンターを立ち上げ、被災状況の把握、ボランティアの受入れを担うのですが、そもそも普段 主に高齢者福祉しかやってない社会福祉協議会に災害ボランティアセンター運営を丸投げすることに無理があります。

以前 災害にあっているところなら多少はノウハウがあるでしょうが、そうでないところは何のノウハウも無く、また適した人材もいません。 上層部や近隣の応援はあるものの、寄せ集め集団で、何をしたら良いのかわからないことも多々あります。

毎年 大きな災害が起こる日本、もう少し行政のほうで何とかならないものでしょうか? また、最近は災害ボランティアが多く集まるので、あまりにもボランティア頼みになっていることも多く見受けられます。

 

さて、災害が起こったとき、まず「救援」があります。 たいていは着の身着のまま避難していますから、被災者の欲しいのは「衣食住」すべてです。

住のほうは自治体の避難所などに避難しているはずですから、「食」の支援が一番です。 次に「衣」になりますが、東日本大震災時 行政支援が被災者に届いたのは1週間以上経っています。 しかも、1週間以上経っても届いてないところも多くありました。 あまりにも遅すぎる。

次に「復旧」、そして「復興」となります。 災害現場によって、また 災害規模によっても違いますが、通常 半月~1か月後くらいから「復旧」が始まります。

この復旧時からがボランティア活躍の場ですが、残念ながら、地域格差も大きく、復旧に入るのが大きく遅れる地域も多くあるようです。 昨年の広島県安芸郡坂町小屋浦地区がそうでした。

 画像は広島県安芸郡坂町小屋浦地区




まず、道を通れるようにしなければならない。 それに1か月以上かかりました。 だから、他の災害現場より1か月~2か月 復旧作業が遅れました。

昨年の西日本豪雨災害も被災規模が大きく、広範囲にわたっていますので、金も人も多く要るでしょう。 また、期間も長くかかることが予想されます。 一過性に終わらないで、息の長い支援が必要だと思われます。


災害ボランティア、その気になれば誰でもできます。 特に社協系災害VCでは、基本 素人を対象としているため、健康な人ならば誰でもできます。 反面、特殊技術を持った人はそれが生かされませんが・・・ これも何とかしてほしい。


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今年も暖冬で、雪の少ないお正月になりました。
今年5月には元号が新しくなります。 平成最後のお正月です。

昨年は自然災害の多い年で、各地で大きな災害がありました。

今年は少しでも大きな災害がありませんように・・・

ずいぶん遅くなりましたが、皆さま、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

 

元旦は良いお天気でしたが、今日1/2 は雪。(もうやみましたけど) 朝からブルさん出動で、道路の除雪してました。...

しかし、積雪量もせいぜい5~6cmで、たいしたことはありません。 ここでは10cmを超えないと、たいした量とはいえませんから・・・

 

 


昨年の初雪は12/8~9にかけて。 朝7時にはかなり真っ白でした。 でも、10時頃には道路はすでに融け、周囲もうっすら白いだけ。



この日以前は初秋のような気温で、昼間は暑いくらいの日もあったのに、いきなり真冬ちかい寒さ。 気温の寒暖が激しすぎて、身体がついていきません。

12/11 とうとう氷点下の時期になってきました。(午前8時半、プレハブ室内) 朝 起きるのが辛くなってくる。 例年12月にもなれば普通なんですけど、今までが暖か過ぎた。

 

 

御嶽も白い部分が増えてきました。

 

今夜も雪が降るという予報なので(すでにもう降ってますが)、もっと白い部分が増えそうです。

こうやって見る分には景色が良いのですが、実際に雪が降るのは、住んでいる身としては、あまり喜べません。

12/14 今朝はやっぱり積もってました。 1cmほどですけどね。

今日は気温も低く、夕方になっても融けていませんでした。

...
 

12月中旬にもなると、普通なんですけど、今年は今まで暖か過ぎて、積もるのは初めて。

いよいよ冬ですなぁ~

 

12/17 昨夜はかなり降ったようで、5cmほど積もってました。

一夜にしてあたり一面銀世界。

 

12/18 今季 初の雪かき。


大ざっぱにやるだけでも1~2時間かかる。 これから「雪かき」という余分な仕事が増えます。

良い運動にはなるけどね。

12/25 年賀状印刷してたら、プリンターが壊れた。
紙送りができない。 Σ( ̄Д ̄;)

給紙トレイをガチャガチャしてたら、ポロリと歯車が落ちてきた。 どこかの歯車が外れたらしい。

...
 

分解できる範囲で分解してみたけど、わからない。 困った。

なぜか年末に壊れることが多いんだよな~ (! ──__──) 

12/26 壊れたプリンター、修理に出しても今年中には間に合わないだろうし、そこそこ修理代も要りそう(たぶん)。

また、けっこう古いので(6年使用、メーカーサポートが今年終了)、結局買換えました。

3万円ほどの出費。痛い。 (´_`。)

...
 

家電量販店の店員によると、家庭用プリンターの耐用年数は4~5年くらいなんだそう。 パソコンも最近 調子がイマイチ。 これも壊れんだろうな? (W7、中古で買ってから6年)

 

12/28 やはり積もりました。 とはいえ、3~4cmくらい。

でも、まだいまだに小雪が降り続いています。
もうちょっと積もるかも?

...
 

朝も気温が低かった。(-6℃、午前9時、プレハブ室内)

 

各地で積雪の影響がでています。 帰省などでお出かけの方は気象情報に注意です。

 

今日から年末年始休暇。 私は10連休。 店は3日 初売り、4日から通常営業ですが、私は6日までお休み。

おかげで、ぐーたら生活しています。

 


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11月も終わりちかくになって、やっと例年どうりの冷え込みがやってきました。 というより、今までが暖か過ぎたんですが・・・

一昨日(11/22)の朝、外を見ると、うっすらと白くなってました。 すぐ融けましたけどね。 今年は暖冬の予報ですが、果たして予報どうりになるのでしょうか? 




 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり

  沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす

 驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し

  猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ

いきなり、すんましぇ~ん。

さて、お馴染みの名文句で幕を開ける「平家物語」は、800年前の京都を舞台に繰り広げられた、栄枯盛衰の物語です。 「平家物語」巻頭の「祇園精舎」は、インドの或る長者が釈迦の為に、修業の場として寄進した寺の名称です。

私たちが,日頃親しみをこめて、「祇園さん」と称している「八坂神社」も、昔は坊さんたちが修業の場として使用していたので、インドの精舎に倣って名付けられたと思われます。


また 沙羅双樹とは、インドの各地を修行中のお釈迦様が、クシナガラで病いに倒れて亡くなられた時、散った花びらがお釈迦様の御身体を包んだと云われるインドの花木・沙羅です。

朝早く咲いた椿に似た純白の花が、夕方にはたちまち無慚な姿にて散ってしまうところから、果かない人間の一生に喩えられています。

「生者必滅」と言う言葉は、この世に生存する総ての者は、何時かは必ず滅びるという事を意味しています。 作者の信濃前司行長が、これを「盛者必衰」に替えたのは、平家一門の盛衰を意識して、変更したものとも言われています。

そして「平家物語」といえば、木曽儀仲、那須の与一、九郎判官義経が有名だが、今回は私の居住地、木曽にちなんで木曽儀仲をちょっとご紹介。 かなり長文ですがご容赦。

平安時代末期の信濃源氏の武将で、通称・木曽次郎。 木曽義仲の名でも知られる。 征夷大将軍となり、「朝日将軍(旭将軍)」とも呼ばれた。 清和源氏の一族で、河内源氏の流れを汲む。 父は源義賢。 源為義の孫で、源義朝の甥、源頼朝・源義経の従兄弟にあたる。 幼名は駒王丸。

義仲は「信濃の国」(長野県歌)に、県出身者の一人として詠われている。 また義仲が育った木曽郡日義村は、「朝日将軍義仲」に由来して明治7年に命名された地名であった(日義村は2005年11月1日から4市町村と合併して、木曽町・日義となりました)

平安時代の終わり,当時の政権を支えていた平家を倒そうと旗揚げしたのが源頼朝と源義仲の二人である。 義仲は木曽で育ったことから,木曽義仲と呼ばれている。 木曽義仲の挙兵は,彼が27歳のときである。

それまでの義仲が,どのように成長し,どのように打倒平家の意思を固めていったかは定かではない。 多くの日記を残した,当時の貴族たちの日記にもでてこない。

 

義仲が生きた平安末期は藤原氏の栄華の時代は終わり、院政がひかれた。 奈良時代から築かれてきた律令制度が崩れ、土地を持つ者が自らの土地を守るため武装化し各地で豪族が生まれた。

ちなみに、「一所懸命」の言葉は、自分の住む所の土地を懸命に守ることから、この時代に使われるようになったとされる。

義仲が木曽から北陸を経て上洛する勢いは、旭の昇る勢いであったことから旭将軍と呼ばれた。

 

義仲は信濃丸子で国で兵を挙げ、古代から北陸と京を結ぶ交通の要所であった倶利伽羅峠(くりからとうげ・富山県小矢部市/石川県津播町)で、およそ5万騎の兵で10万騎の平維盛(たいらのこれもり)の軍に圧勝し、1183(寿永2)年、上洛を果たした。

上洛した義仲軍は統制を欠き、略奪まがいの行為で兵糧の現地調達を行ったことから洛中の恨みを買うことになった。

 

後白河法皇は、義仲軍に京を捨て西国へ逃れた平氏追討を命じたが、義仲軍は備中水島で平氏軍に大敗して都に戻る。 そして 義仲は後白河法皇を奉じて北陸に逃亡しようとするが、法皇が拒否したことから義仲は法皇を五条内裏に幽閉した。

自らの権力を維持したい後白河法皇は、その間 義仲の成敗のため頼朝に上洛を求めた。 頼朝は,源範頼(のリより)・義経を代官として三河まで進軍、待機させる。

1184(元暦元年)年1月20日、義経は宇治川の戦いで武将として初陣。 この時,頼朝から名馬「生境」(いけづき)を賜った佐々木四郎高綱と同じく「摺墨」(するすみ)を与えられた梶原平三景季(かげすえ)が先陣を争った。

佐々木が先に川を渡りきり、次いで梶原が着岸。 これを見て意気上がった義経の軍勢は宇治川を突破。 義仲は近江の粟津ヶ原で討ち死にし、31歳の生涯を閉じた。

「木曽の最期」は平家物語の中でも名作中の名作で有名な章。

 「平家物語」第12話 「木曽の最期」
木曽は信濃を出でしより、巴・山吹とて、二人の美女を具しられたり。 山吹は労りあって都に留まりぬ。中にも、巴は色白う髪長く、容顔まことに美麗なり。 屈境の荒馬乗の悪所落とし、弓矢打ち物取っては、いかなる鬼にも神にもあふと云う1人當千の兵なり。

されば、軍と云ふ時は、札よき鎧着せ、強弓・大太刀待たせて、一方の大将に向けられけるに、度々の高名肩を双ぶる者なし。 されば、今度も、多くの者落ち失せ、討たれける中に、七騎が中までも、巴は討たれざりけり。 <以下 略>

<訳> 木曽義仲は、信濃を出る時、二人の美女を伴って来ました。 巴御前と山吹です。 山吹は不調を訴えて、都に伏せっています。 中にも、巴御前は色が白く髪長くして、容貌も優れた女です。 その上、荒馬を乗りこなして、弓矢を持たせれば、まるで鬼神の様な働きをする並び無き女武者です。

そこで義仲は、戦と聞けば彼女に派手な鎧兜を着せ、強弓・大太刀を持たせて、一方の大将に仕立てました。 巴は、度々の戦いに高名を立てて、その働きには肩を並べる者もいませんでした。 さればこそ、都の戦いにて、木曽兵の多くが落ち失せる中、巴ばかりは討たれもせずに、七騎の中に残ったのです。

第13話 「木曽の最期」
木曽殿 今井四郎ただ主従二騎になって、云いひけるは「日来は何とも覚えぬ鎧が、今日は重うなったるぞや」と、云へば、今井四郎 申しけるは、「御身も未だ疲れさせ給ひ候はず。御馬も弱り候はず。 何によって、一領の着背長を俄に重うは思し召され候ふべき。

それは、御方に続く勢が候はねば、臆病でこそ、さは思し召し候ふらめ。兼平一騎をば、余の千騎と思し召し候ふべし。 ここに、射残したる矢七つ八つ候へば、しばらく防矢仕り候はん、あれに見え候ふは、粟津の松原と申し候。 君は、あの松原の中へ入らせ給ひて、静かに御自害候へ」とて、と打って行く程に、又新手の武者五十騎ばかりで出で来たる。 <以下 略>

<訳> 木曽殿、今井四郎兼平と主従2騎となって「日頃、気にならない鎧が、今日は、やけに重く感じるぞ」と、力無く申します。 今井、「殿は、まだお疲れではありませぬ。 馬も元気です。 なのに何故、その様な弱気な事を申されるのか。

御味方が無くなって、臆病風に吹かれなされたか。 私を千騎の武者と思し召して、ここに射残した矢7,8つにて、矢防ぎ致します。 あれに見えるを、粟津の松原と申します。 殿は、あの松原にお入りになって、1人静かに、御自害なされませ」、と申す内に、新たな敵が現れました。

 

「木曽殿と 背中合わせの 寒さかな」

 「旅に病て 夢は枯野を かけめぐる」 芭蕉

義仲や巴は以外と江戸時代には人気があったらしい。 浮世絵や能でも数々登場し、庶民の人気も高かったらしい。 特に松尾芭蕉は有名で、遺言で墓まで義仲の隣りに建てている。 「奥の細道」も前半は義経、後半は義仲の史跡巡りを兼ねているとしか思えない。(「更級紀行」で木曽も行ってる)。

でも 芭蕉が敬愛した西行は義仲嫌いだったが・・・ 近現代では芥川龍之介や菊池寛なんかが、義仲のことを熱く書いている。 「悲劇の武将」に愛着でも感じるのだろうか?

かなり中途半端になってしまったが、書き出すと10000文字ではとうてい終わらず、4・5回連載してもいいかげん。 てなことで、このへんで終わることにする。


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昨日の朝は冷えました。 プレハブ室内で6℃。(午前8時) 今朝は9度。 むろんホットカーペット、ストーブつけました。

 

さて、先週の3連休(私は4連休でしたが)、広島県三原市と安芸郡坂町小屋浦に再々度行ってきました。.

..

8/6(土) 深夜0時に出発。 TSUNAGARI三原拠点に午前8時前 着。 2班に分かれ、私たち5名の現場は本郷でした。 納屋の泥出し。

 

全参加者は3連休だというのに9名。 ほとんどが中長期滞在者。 最近ボラ参加者が減っているとはいえ、あまりにも寂しぃ~!

 

上の水路が溢れ、ここの納屋へ土砂が流入しました。

幸い道路が家と反対側に傾斜しているので、母屋は無事。



 

女性陣が泥出しをがんばってくれました

 

終了後 そばの沢で使った道具洗い



しかし、母屋土台が崩壊して、このままでは危険。

 

でも、お向かいはこの通り、土砂で埋まってます

 

三原で1泊して翌日は小屋裏へ、 午前10時半頃到着。

道路はずいぶんきれいになってます。 しかし、個々の家の泥出しなどはまだまだあります。

 

この日はセーブ・ザ・ヒロシマの団体さんが来てくれて、大勢のボラでにぎわってました。

 

ここでの作業は、裏山が崩れたところの流木処理。
チェンソーの準備中。 2本積んでます。

 

流木に土砂が付着していて、チェンソーの刃がすぐ切れなくなります。 目立てしても、すぐOUT。 無理もない。 まるでサンドペーパーを切っているようなものですから・・・

 

車がそばまで入れないので、小さく切った木を運んでます




 

翌日8/7も作業して、少々残ったものの、なんとか終了。 小屋裏ではまだまだやることが多くあります。 多くのボランティアさんの参加をお願いします。

 

翌8/8に大阪に寄って墓参りして、午後8時無事帰宅。 荷降ろしを済ませたら午後9時でした。

ちなみに、車のオドメーターが19万km突破。 なぜか大台を超えるときは、いつも遠征ボラの途中。

 

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