自分はかなり極端に人に影響されやすい性格だ。


尊敬すべき人のすぐ近くで良いところばかりを見ていると、自分もかなり好影響を受ける。


しかし、叱責を受けると直前までの行いを全て忘れ、指摘されたことだけで頭がいっぱいになってしまう。


人との付き合いを避けていると、当然好対照とする人とも付き合わなくなり(気づかなくなり)

自分の感情のままにしか行動しなくなり、それが全て正しいと思い込む。

さらに内弁慶になり、家族に悪いところを突っ込まれても「うるさい」と一蹴し、聞く耳をもたない。



発言は、全て突っ込まれる前提で話そう!!

何か言う前に、「このあたりが突っ込まれるだろうな」と簡単に予測しておけばいい。


(突っ込まれないことを言おうとして結局突っ込まれ、いちいちショックを受けていたらキリがない)


怒られながらも修正情報が得られたらそれで万々歳じゃないか。

(フラストレーションがたまっている人は、大雑把でも口を滑らせてくれることが多い)


そうすれば、何か言われても混乱しないし、スムーズに理解・対応ができる。

普通が一番難しい。


どんなに尊敬できる人だろうが何だろうが、みんなどこかおかしいんだ。

(尊敬できる人は、自分の「おかしさ」をとても自然に表現している人達だ)



結局、普通ぶっている人間が一番異質で信頼に値しない。



周りがやらないから自分もやらない、社会で成り立っている

「普通じゃない」「普通」に何ら疑問を持たず、「普通」で受け入れている。


それを徹底している自分を「普通で目立たない存在だ」と思い上がっている人間は自分を含め、最低だ。


そういう人は、他の人のよっぽど自然な「おかしさ」をいちいち軽蔑したり、腹を立てたりして、

一体いつ心が休まるときが来るのだろう?


ストレスを感じる必要がないところでストレスを呼び込んでいるのは

自分の「普通じゃない」「普通」への偏執だということにどうして気がつけないのだろう?




ここ一ヶ月気分が優れず、記憶力もひどく落ちてどん底の精神状態だったので、

久しぶりに気分が良くなった今日、ぼーっと思い浮かんだことを書いてみた。

最近の傾向


ブログを書くという習慣がうすれてきた

対処できないトラブルに見舞われると何も考えられなくなってしまう

考える習慣を廃れさせてしまったためか、どんなときも詰めが甘い


毎日自分を振り返り、ちゃんと頭を悩ませて自分の感情や理解を思い出してブログを書くように、

仕事以外で自分のために頭を働かせているか?


・・・自分でも何を言っているのかよく分からなくなってしまうが、

以前と比べると明らかに自分を見ていない。


潜在的に、責任を他人のせいにする傾向が出てきている。

先輩が教えてくれないからだ、あの人は俺が気に食わないから教えてくれないのだ、とか。


初めて行った習慣は、必ずどこかで投げ出すときがくる。自分の人生で重要なのは復活した後なのだ。

投げ出す前の習慣と比べて、進歩しているか退化しているか?

少なくとも、そう考えて現行の習慣を改善していくことは間違いなく進歩だ。



今こそブログを書く習慣を復活させる時だ。

これまでの自分は生みの苦しみに立ち向かい、勝ってブログを書くという習慣を手に入れた。

今自分が立ち向かっているのは、復活の苦しみだ。以前の自分を取り戻し、

ボロボロの自分を甦らせる最終手段だ。


記憶力を失った。

誠実さを失った。

信頼を失った。

夢を失った。


失ったものは返ってこないが、それなら復活してまた新しいものを手に入れればいい。

これまでの傾向から考えて、

1つの物事・作業に脳力を100%注いでいると、遅かれ早かれつまづいた時にうまく立ち回れない


真面目さ固さは微妙かつ致命的なところで違う。固い思考で着手したことは

(発覚するタイミングが遅いケースも含めて)100%致命的な抜けが発生する

忘年会幹事のNの立ち回りのように振る舞うのがもっとも自然体で危険も少ないのだ。



(以下、再確認)

目下のやるべきことをAとする。

Aは、どんなに全力でやり、精神的余裕がない作業であっても、70%の脳力しか使ってはいけない。

これは失敗しないための絶対の掟だ。ベテランと呼ばれる人はみなこれができる人と言い換えられる。

パソコンのCPU使用率のように考えたらいい。100%の使用率は異常な状態(オーバーヒート)といっていい。


では、残り30%はどうするか。考えてもしょうもないことを考えるのではない。これは気をつけること。


「考えてもしょうもないこと」

テンションが下がること(大事なことであっても、テンションを下げる見方じゃ考えるのに何の意義もない)

知的欲求の類ではない欲求(食欲・性欲・睡眠欲。思考に一貫性がなく、脳力使用率を不安定にさせる。ただし、

-仲間と行くおいしい○○の店、店がある○○駅周辺のことについて

-健康にいい○○グッズや○○成分の仕組み

などは、三大欲求でなく、知的欲求に該当するので良い脳力の使い方だ。



要するに、脳力30%は自分の理想のためだけに利用を許された脳力、同時に

面倒だといって使わずに放置することも許されず、疲れていようがなんだろうが

常に稼動しておかなければならない脳力と考えておけば間違いはない。



固い思考で精神を持ち崩し、会社を休んだ経験から言う。

固く考えるようになったら負けってことだ。

懇親会で、尊敬するYさんの昔話を聞いた。


何十年も前、Yさんは高卒1年目にもかかわらず中途で今の会社に入ったらしい。

前の会社が入った年に倒産してしまい、そこの社長のあっせんで今の会社に入ったとのことだ。


高卒で、しかも中途入社。当時の現場の忙しさと、働く女性への風当たりが強い風潮もあって、ほったらかしにされたそうだ。


業務知識も技術も何も持たない。誰も助けてくれない。その孤独感はどれほどのものだったのだろう。


Yさんは負けなかった。誰に言われるともなく、何百枚にもなるソースコードをめくりはじめたそうだ。

何日も何日も、ひたすらソースを読んだ。申し訳程度にしかついていないコメントだけで

ロジックが理解できるわけがない。何度も何度も仕事で失敗して、それでも負けずに意味を理解していったに違いない。



今のYさんは厳しく、強い。でも、誰よりも痛みや辛さを知り、誰よりも優しい人だ。

そんなYさんの周りにはいつだって人が集まる。カリスマとは、そういうものなのかもしれない。



「権力を嫌い、現場の人間を全力で守る。」昔話をしてくれた人はあの人をそう評した。

弱い人間は心の痛覚を麻痺させる。すると人の痛みが分からなくなり、やがて誠実さを見失う。

最期にはいい年にもなって、人の揚げ足ばかりすくう、すれた人間になる。

あの人は俺の固さが嫌いらしいが、俺もあなたの捻じ曲がった性格が大嫌いです。

「Yさんは優しいけど、私は違うで。」とか言われなくても、あなたとYさんを同列視する気は全くありません。



現場に全てを捧げてきたYさんには、客先の重役でさえ頭を下げにくる。

Yさんに恩返しができる日まで、俺も負けはしない。

人は何もかも忘れていく。


この言葉を今ほど身にしみて感じたときはない。


このブログに書いたことも、今読み返すと「こんなこと書いたのか」と驚いてしまう。

一度通過しただけの情報は、本当に記憶として定着しないものなんだな。

改めて日記の偉大さを知った。


ついこの間まで「この職場に配属されてよかった」とやる気を出して仕事をしていたのに、

今週は「もう仕事やめたい」とまで思ってしまった。この志の変わりようは一体なんだったのか。


本配属になってから、人の信頼を得ようとすることだけにあせって、

自分の成長を考えるとかこうしたいという意見はまったくゼロの状態ですごした。

やがて仕事に対する好奇心がなくなっていって、パチンコ、麻雀に没頭した。

それでも「信頼」とか「信用」という言葉にしがみついて、表面だけまじめなふりをする

とても醜い生き方を続けた。そこに心の平穏はなかった。


仕事やめたいとまで思ったのは、あの人の叱責が引き金になったのだろう。

もちろんあれは自分のミスだ。あの人を責められるはずがない。

確かにあの人は自分の思い描いた人間ではなかったけれども。


自分が思った通りの他人などいない。それに気づかなかった自分が子供だっただけだ。



人は好奇心(知的かつ自己中心的な欲求)を失ったときに死ぬ。

その次に記憶力が死に、自分の成長を支えてきた考えを忘れる。

(記憶は失われていくものだが、好奇心が死んでいなければ

また復元し、それを繰り返すことで強固な記憶になる。

絶対的な記憶とは、さながら筋力のように反復を繰り返すものだ。)




記憶を失い続けると心の平穏を失う。

そして最期には人間の尊厳が死んでいくのだ。




認知症がもたらす患者への苦しみがどれほどのものか、身をもって味わった気がする。

おじいちゃんもこの苦しみと最期まで闘ったのだ。その中でも俺のことだけは忘れまいと、

必死に俺のことを覚え続けていてくれた。その事実だけはどんなことがあろうと忘れるな。



人がしてほしいこととかこうすれば信用してもらえるとか、

そんなこと考えたらダメなんだ。やりたいと思うことをやるんだ。

人に頼まれたことでも、自分の満足だけを考えて仕事をすればいいんだ。


「そんなこと考えたら信用されなくなる。叱責が怖い。」そういう状態のときはこれから先何百回も「仕事をやめたい」と思うことを繰り返していくはずだ。


「人のため」とかいう考えは本心としてはありえないことで、本当は「自分の欲求・成長のため」が根本になくてはならないんだ。でなかったら、お前は誰のために生きようとしているんだ。お前の人生はお前のものだろう。


表面的な性格はどうあれ、人は心まで冷えて暗くなったとき、

あらゆる間違いや時に犯罪をもすんなり行ってしまう生き物なんだ。


どんなに忘れたくないことでも、この先必ず忘れるだろう。だからせめて、習慣として以下の考えを身につけておきたい。


ビジネスマンの不死身力:やる気を生み出すには「とにかく、やってみる」 - ITmed


②神田昌典「ザ・マインドマップ」第5部24章 p.230 -記憶が定着する効率的な復習時間-

(以下抜粋)


~記憶の自然なリズムについては、トニー・ブザン著「頭がよくなる本」の5章と11章で詳しく説明している。

ここではその要点を簡単にまとめてみよう。

1時間の学習について、学習後の経過時間別にみた理想的な復習時間は次のようになる。


■10分後 → 10分間の復習

■24時間後 → 2分から4分間の復習

■1週間後 → 2分間の復習

■1ヶ月後 → 2分間の復習

■半年後 → 2分間の復習

■1年後 → 2分間の復習


その後、学習した情報は長期記憶として定着する。

復習のときは、(中略)矛盾点を調整し、記憶の再生が弱いところを強化する。~

強くなる、成長するということは、痛みを感じなくなることではない。

痛みに対して防御体勢をとったり、痛みの感度を鈍らせることが成長だと勘違いするな。


痛みを防ぐ・かわすことを考えてはいけない。正面で受け切るほかない。


そういう痛みを受け止めた後、本音でしかしゃべれない思慮の浅い状態

陥るか陥らないかで人としての厚みがしれる。
本音でしかしゃべれないのは愚か者でしかない。人としての厚みを感じさせない。



心の中で反骨的な言葉を吐き、表面では明るくふるまう。

ふてぶてしさを保ち自分を見失わない人間が、人の

信用を勝ち取り、穏やかな気持ちのまま成長していく。


ただし、表面的に少しでも不誠実な態度をとることは許さない。

万一そういうことをしてしまったら、すぐ非を認め、改めること。



・自分への質問をやめないこと。

・常にイメージを持って仕事をすることが大事。ただし、

持つべきイメージは静止画ではなく、 人との会話・表現の中

言葉に沿って論理的に流れる動画でなくてはならない。



人を動かすp.263 ハーヴェー・ファイアストーンの言葉

~給料さえ出せば人が集まり、人材が確保できるとは限らない。

ゲームの精神を採り入れることが必要だ。


p.300

~(中略)この場合、ローパーは、お世辞で青年をおだてたのではなかった。

製品のどこがすぐれているか、はっきりと説明したのである。そのために、

ほめことばが、意味をもって相手の心に伝わったのだった。

だれでもほめてもらうことはうれしい。だが、そのことばが具体性

持っていてはじめて誠意のこもったことば、つまり、ただ相手を喜ばせる

ための口先だけのものでないことば、として相手の気持ちをじかにゆさぶるのである。~


p.94【金言】

~米国有数のゴム会社の社長の話だが、彼によると、仕事がおもしろくてたまらないぐらいでなければ、

めったに成功者にはなれないという。(中略)彼はこういう-

まるでどんちゃん騒ぎでもしているようなぐあいに仕事を楽しみ、

それによって成功した人間を何人か知っているが、そういう人間が

真剣に仕事と取っ組みはじめると、もうだめだ。だんだん仕事に

興味を失い、ついには失敗してしまう。

環境は、自分の心を映し出した以外の何者でもない。

一瞬でも不善と感じることをすれば、それに伴う環境を引き寄せる。

邪な感情に囚われず、誠実・好意的に生きることができれば、環境は勝手についてくる。



人の顔色に囚われるのは不善。

聖人のいうことでさえ100%鵜呑みにしてはいけない。

反骨心を一切持たないと、上にへつらい下を見下す思慮の浅い人間になってしまうおそれがある。


「2人がいつも同じ意見ならば、そのうちの1人はいらないものだ」


安定に甘えていれば無意識に安定が崩れることへの恐怖が生まれてしまう。





人は間違う。人の間違いを洗いざらい指摘してはいけない。


人は忘れる。相手のことを注意深く覚えていれば相手に重要感を与えることができる。


人は真実より自尊心を大切にする。誰しも自尊心が傷つくことをすることはできない。

人を説得したければ相手に質問し話をさせ、重要感を持たせ、こちらの暗示したことを自ら気づかせる。

相手の価値観を変える手段は揉め事や議論ではなく、質問と相手に対する純粋な興味と真実の賞賛だ。


自らの重要感が満たされれば、相手はこちらのいうことに素直に耳を貸してくれるようになる。

この記事は

2:30ごろ風呂の中で記事のひらめきが浮かび、

2:45から書き始めた。書き終わったのは3:05。つまり20分、最短記録だ。

とても効率的に、有意義なことを書けた。

(参考とした本「人を動かす質問力」「原因と結果の法則」)



自分に対する事実

「パチンコでは勝てない」

「会社帰りの2~3時間で勝つことはない」


・目的は「気分転換」である。これが達成されなければ、費やした時間は全て無駄である

・「楽しく打つこと」である。楽しくない台で打つことは許さない。



イライラしたり人の目を気にして打ってはいけない。

そんな悪い気持ちが湧いてきたら、自分に質問をしよう。

「どんな目的でパチンコを打っているの?」と。

貴重な休日を何に費やすかの答えは一つ。答えは「気分転換のため」だ。


「気分転換のために打っているの?」 「そうだ」

「今イライラしたり、人の目を気にしたりする気持ちがある?」 「その通りだ」

「それはどんどん苦痛がたまるよね。さて、気分転換のためと言ったけど、できていないんじゃないの?」


ここまできて、自分の気持ちの矛盾に気づくことができる。

この自分に質問するという行為は非常に有意義で建設的なことだ。


「収支がプラスだから」は、当初の目的が達成されなかったから

パチンコで消費した時間が有意義だったと自分に言い訳したいだけだ。


自分の中でパチンコに対する優先順位は


気分転換>>演出の記憶・体験>>収支


である。


「気分転換」が最大目的なのは当然。

「演出の記憶・体験」はコミュニケーションをとるためのツールとなる。


「演出の記憶・体験」を残すためのコツであるが、

周辺視野を広げる心掛けが必要である。


騒がしい演出、見れば分かるようなことを人と議論するつもりはない

↑この気持ちがとても重要である。



土曜日はパチンコで

・気分転換

・演出の記憶・体験

が達成できたので備忘録として残す。

基本情報 試験日:10/18(日)


【作業実績】

○1-05 誤差

△1-06 シフト演算(注:「算術シフト」⇒確認問題4)


次の予定 7/28(火) 2h

【方針B】

×10-06 統計

?3-01 ハードウェア

?8-01 データベース

?8-04 SQL(基本)


【過去実績】

○1-01 情報量の単位

○1-02 基数変換

○1-03 補数表現と固定小数点表示

△1-04 浮動小数点表示

○1-05 誤差

△1-06 シフト演算(注:「算術シフト」⇒確認問題4)



「今日は疲れた。眠ってしまいたいなぁ」と思うときも、

とりあえず机に座って10分参考書を眺めよう。

参考書は、友達と会話するようなオープンな気持ちで読んだり、疑問を持ったりしなければ意味が無い。

知識はコミュニケーション能力を高めることに100%直結していなければ意味が無い。

うまくアウトプットできない知識は、すなわち身についていないことを証明している。