Mr.Chlidren - Worlds endの一節と、今の自分が重なる。
飲み込んで吐き出すだけの 単純作業繰り返す
「自動販売機」みたいに この街にボーッと突っ立って
教えられただけの仕事をそのままアウトプットすることしかできない自分。
ときどきミスをして「自動販売機でさえ与えられた仕事は忠実にこなすのに」と
能力の無い自分を比較したりして、気づけば退廃的な感情に支配されてしまう。
そこにあることで誰かが 特別喜ぶでもない
自動販売機はただそこに在るだけで、誰かのために在るわけじゃない。
せわしなく人が行き交う中で、誰かに存在を認められることもない。
受け取ったら与えるだけという受け身なメソッドを、ただ無感情にこなすだけ。
自販機の立っている場所は、信頼や誠意のような言葉から最も遠い。
でも僕が放つ明かりで 君の足下を照らしてみせるよ
きっと きっと
でも、自販機がその存在を認められる時がある。
人気のない真っ暗な夜道に、煌々と光る自販機。
その光は通りがかる人すべてに等しく与えられる。
誰かのためでもなく、誰に媚びるでもない。
ただ純粋に自分の存在を主張するだけ。
でもそれは暗闇に視界を奪われ不安がる誰かにとっては無償の「奉仕」として映る。
恩着せがましくなく、誰に対しても公平な奉仕を受けたとして、誰が悪い感情を持つだろうか。
自分の思い通りに生き、信頼を得る。そのためには
どんな環境に置かれても信じられる主張を持ち、人の評価には一切耳を貸さない。
山岡鉄舟という人が詠った言葉が、自分にとって大きな指針となる。
「晴れてよし 曇りてもよしの 富士の山 もとの姿は 変わらざりけり」