昨晩はパウエルの好投が勝利に大きく貢献した。
9回表の相手の凡ミスを呼び込んだ粘り強い攻撃も見事だったが、その攻撃の中で相手の凡ミス後にジャイアンツの方にも凡ミスがあった。
相手の凡ミスで勝ち越した直後、二岡のタイムリーで3塁走者が生還し、2塁走者古城までも篠塚コーチの静止の指示を無視して、タイミング的に明らかに間に合わないと思われるホームへ突っ込んだ場面だ。
私はこの凡ミスを愚かなプレーで簡単に終わらせずに、なぜあのようなプレーを敢えてしてしまったのかを考え、そしてこの愚かな凡ミスの背景にある人間の感情そして選手とコーチとの信頼関係に至るまで深く推理してみた。
明らかに間に合わないと思われるタイミングで、3塁ベースコーチの篠塚コーチの静止の指示を無視してホームに突っ込むというあり得ない様な凡ミスをした古城は間違いなく愚かだが、選手に自分の指示を無視してこのような愚かなプレーをさせてしまった篠塚コーチはさらに愚かだ。
それはどういうことなのかと言うと、篠塚コーチが選手からまったく信頼されていないということが、このプレーひとつ見ても如実に表れているからだ。
篠塚コーチが選手から信用を失ってしまったのは、彼の日々の言動や彼自身の能力ももちろんあるだろうが、このプレーの伏線は、以前に1死満塁の守備の場面で、内野守備コーチの篠塚は「内野ゴロなら全てホームゲッツー」という指示を出しておきながら、その指示通りに無理な体勢からでも僅かなアウトになる可能性を求めてホームに送球した古城に対し、「臨機応変にプレーして欲しかった。」などと本末転倒の無茶苦茶なことを言い放ち、不十分な指示を出した自分自身を責めるのではなく、自分のその不十分な指示通りに忠実にプレーをした古城を責めてしまったことにあると私は推測する。
あの体勢からホームで刺すのはかなり難しかっただけに篠塚コーチの言うことも分かるが、以前にも書いたように私から言わせれば、それならばそういう打球が飛ぶことも十分に想定できる訳だから、最初から「基本的にホームゲッツー、だが打球によっては臨機応変に判断してよい。」という指示を出すべきだったのだ。
それが責任ある指示の出し方また有能な指揮官の出す指示というものだ。
このことがいまだ頭に残っていた古城が、その無能な篠塚コーチの出した指示を信頼できずに、まるで「臨機応変に判断していいなら、自分の判断でプレーします。あなたの指示通りプレーしても失敗すれば自分が責められてしまうなら自分の判断でプレーします。」と言わんばかりに、臨機応変に自分の判断でプレーしてみせたのだろう。
こんなことをやりだしたら、3塁コーチなんてものもいらないどころか、野球が野球でなくなってしまう。
サッカーのようにプレーがあまり途切れることのないスポーツでは、選手にその判断が多く委ねられているが、野球のように1球、1球でプレーが途切れるスポーツでは、ベンチの指示がより重要になり、また選手はその指示に忠実に従わなければならないのだ。
だから、野球ではベンチの指示は絶対で、選手はその指示に従ったプレーをしなければならないのだ。
まただからこそベンチは的確な指示を責任持って出さなければならないのだ。
そういう意味でベンチの指示、采配が勝敗を大きく左右する。
それがまた野球のおもしろさのひとつでもある。
この場面では、どんな作戦が妥当か自分でも考えて楽しむ。
野球ではこんな楽しみ方がより多くできる。
またプレーする選手だけでなく、首脳陣の能力がチームの成績に大きく影響する。
逆に言えば、戦力の劣ったチームでも首脳陣の采配によっては、十分にその戦力差を跳ね返すことができる。
だから選手はベンチの作戦通りに動かなければならない。
そのためには、首脳陣と選手との信頼関係がとても重要になる。
それが野球だ。
昨晩のあのプレーでの古城の考えや事の真相は定かではないが、それでも篠塚コーチが古城からまったく信頼されていないことは十分に推測できる。
私は以前から今年のジャイアンツの低迷の原因のひとつとして、首脳陣が無能なことと、また無能であるがために、首脳陣と選手の信頼関係が崩壊してしまったことを挙げていたが、昨晩の古城のプレーはそれを如実に示すプレーであった。