昨晩は、上原の熱投で足踏みしていた通算100勝をようやく達成することが出来た。

しかし、このジャイアンツにとってお祭りのような試合を演出したのは監督の采配だった。


試合は、上原と福原の息が詰まるような投手戦で進んだ。

両者の投げ合いは7月の甲子園でもあった。

そのときは0-1で阪神に敗れた苦い経験が上原にはある。

両者の投げあいは、今回もまた最小得点で決着がつくと思わせるようなものだった。

6回裏にシーツの2ランでその均衡が破れた。

これで、流れは阪神へ傾きかけた。

しかし、そのジャイアンツにとって嫌な流れを岡田監督がヘボ采配で救ってくれた。

7回表に2死から上原がまさに執念とも思えるヒットで出た。

ここで、岡田監督がここまでほぼ完璧のピッチングをしていた福原からウィリアムスへの投手交代を告げる。

福原が明らかに納得のいかないような表情でマウンドから降りる。

福原に代わり登板したウィリアムスがとんでもなかった。

明らかにまだ左投手を苦にする脇谷に対して、簡単にフォアボール。

これで阪神に傾いていた流れが、ジャイアンツに一気に傾く。

そこからこれが同じチームなのかと思わせるほどに、これまでのジャイアンツには見られなかった怒涛の連打。

ヒット、ヒット、またヒットー!!

阪神のベンチでは、岡田監督がいつものように腕を組みながらあごを上げ、「おかしいなー」と言わんばかりに首を何度も何度も捻っている。

その姿はまさにひょっとこ

バカ、アホ、ひょっとこ

これは明らかにひょっとこの采配ミス。

流れは自軍の方にあるわけだから、その流れを断ち切るように慌てて動く場面でもない。

しかもバッターは長打のない脇谷で、ランナーはピッチャーの上原だ。

あの場面はじっくりと腰を据えているのが、有能な指揮官だろう。


まさに昨晩の勝利は、ひょっとこからもらったプレゼントのようだった・・・。


ここで、終わらせたら阪神へのツッコミ日記になってしまう。

これで終わらせないのが、このブログ。


我がジャイアンツの原監督に、目を疑うような行動があった。

7回裏に2死2塁で代打に桧山が告げられた場面だ。

ここで、何と原監督がマウンドへ向かって笑顔で走り出したのだ。

普段は試合中にほとんどマウンドへは行かない原監督が・・・

そして、上原と一言二言話して、投手交代を告げた。


この場面を見て、私は思わず鳥肌が立ってしまった。

なぜなら、数日前このブログで、原監督と落合監督を比較し、こう書いた。


落合監督は選手の気持ちを大事にする。

それが監督と選手の信頼関係を構築させ、また強いチーム作りの一因にもなっている。

それを示すのが、落合監督は投手交代時に必ずマウンドに行って、なぜ交代するのかを説明し納得させている。

それに対し、今年の原監督は、その采配や試合後のコメントからも選手の気持ちを蔑ろにしてしまっている。

だから首脳陣と選手との信頼関係が崩壊している。

原監督もこの落合監督の考え方、やり方を真似すべきだ。

少しは落合監督を見習え。

なぜなら結果を残している者のやっている事は間違いなく正しいからだ。

そして、それに気付いたら迷わずにすぐに実行しろ。

結果は後からついてくる。


そのときの記事↓

http://ameblo.jp/cm118142731/day-20060822.html


そしてそのブログで書いたことををそのまま手紙にして、原監督への激励ということで、ジャイアンツ球団に原監督宛で送ったのだ。

その手紙を原監督が読んでくれたかどうかは定かでないが、まるでその手紙を読んで、その内容に納得してくれたかのような昨晩のあの行動。

だから私は驚き、思わず鳥肌が立ってしまったのだ。


以前から何度も書いてきたが、原監督の采配はとてつもなくヘボく、またそれに気付くのも遅い、だが原監督は人の意見を素直に聞き入れる素直さ、実直さがある。

そういった原監督の人間性、人間力が1年目に優勝できた原動力のひとつでもあった。

これも何度も書いてきたことだが、おそらく今シーズンのヘボ采配の裏には、ヘッドコーチとして招聘してしまった無能・近藤の意見を素直に聞き入れてしまったのもあるのだろう。

原監督の素直さが裏目に出てしまった形だ・・。


だが、昨晩のあの行動を見て、やはり原監督には名将に成り得る可能性があると確信した。

なぜなら、自身の足らない面、誤ってしまった面を素直に反省し、そしてそれを指摘した人の意見を素直に聞き、そしてすぐ実行に移せるからだ。

例えどんなに采配が下手でも、素直に反省する心があれば、采配なんぞはいくらでもうまくなれる。

なんでも初めからうまく出来る人はそうそういない。

要は、失敗は素直に反省し、それを糧にできるかが重要なのだ。

それは、監督に限った話ではない。

何事についても言えるのだ。

人に間違いを指摘されても、素直に間違っていたと認めない者がよくいるが、それは愚かなことだ。

なぜなら、変なプライドで意地を張って、自分の間違いを認めないと、そこで成長できないからだ。

また同じ間違いを繰り返してしまう。

その典型が、無能・近藤だ。

自らの力不足で結果が出せずに、監督を解任された会見で、こともあろうに自分の力不足は棚に上げ、「もっと強いチームで監督をやりたかった」という負け犬根性丸出しの暴言を吐き、ロッテファンだけでなく世間の批判を浴びた。
この一言に近藤のひねくれた劣悪な人間性と、反省という言葉を知らないアタマがよく分かる。

反省をしないから、奴は同じ失敗を繰り返す。

つまり監督としての敗北。

だから、私は奴のことを無能と呼ぶ。

反省をしなければ、上がり目がまったくないからだ。

私は、これまで原監督のことをヘボ監督とは散々言ってきたが、決して近藤のように無能扱いして切り捨ててはいなかった。

どんなにヘボ采配をしても原監督の僅かな可能性に賭け、来季も監督を任せて、その可能性に賭けたいとも書いてきた。

それは原監督には、無能・近藤とは違い、人の意見を素直に聞き入れ、自分の間違いは反省するという素直さがあるからだ。


そのことを昨晩のあの行動で再確認できた。

昨晩のあの場面で、原監督が歩いていかずに、笑顔で走ってマウンドに行ったのは、おそらく普段あまりやったことがないことをする自分に対する照れなのであろう。

こんなところにも、人間・原に魅力を感じてしまった。

原監督のこの行動の効果は覿面だった。

昨晩の上原は降板もいつになく晴れやかな表情で自軍を応援していた。

十分に納得してマウンドを降りることができたということが、その表情によく表れていた。


これからも原監督が、人の意見を素直に聞き入れ、自分の間違いは反省するというその姿勢を変えずにいたなら、名将に一歩一歩近づけるだろう。


最後に原監督には、「ありがとう、そしてこれかももっと精進しろ!!」と言いたい。


昨晩も原監督のヘボ采配によって負けてしまった。
ヘッポコ外人グローバーを引っ張りすぎた。
初回、2回だけで3点を奪われた時点で見切りをつけ、3回に回ってきたグローバーの打順で代打を送るべきだっただろう。
グローバーを続投させたがために、5回に当然のように相手打線に捕まって火だるまとなり、冥王星論議で注目を浴びた夏の夜空に空しく散っていった。
そう、昨晩はヘッポコ外人グローバーの見納めになった。
昨晩の無残な投球で、ようやくヘボ首脳陣も見切りをつけることができたようだ。
私から言わせれば、見切りをつけるのがあまりに遅すぎる!!
何度も書いてきたが、いったい原監督はこのヘッポコ外人のどこに期待していたのかさえ理解不能だ。
グローバーは5.71という防御率が示す通り、どんなに良くてもせいぜい5回を2,3点で抑える程度の実力しかない。
その程度の投手ならジャイアンツ投手陣には、いくらでもいる。
同程度の実力なら、外人より若手を使うべきだろう。
いや、ジャイアンツには同程度でなくグローバー以上の実力をもった投手が何人もいる。
グローバーはもういいだろう。


私は高橋尚を先発に戻すことを提案する。
非常事態緊急対応ということで抑えを任されたが、高橋尚はもともと三振を多く取れる投手ではないので、抑えタイプの投手ではない。
豊田の不調で抑えに転向した後も何とかその役目を果たしてきたが、内容は実に危なっかしいものだった。
豊田が万全であれば、抑えは豊田に任せろ。
豊田はより重要な役目を任せることで、その実力をより発揮できるタイプの投手だ。
いつまでも中途半端な起用法は得策ではない。
選手の起用法はその選手の特徴や性格なども十分に考慮すべきだ。
私は以前、選手起用法について中国の『漢書』から


「之を用いれば則ち虎となり、用いざれば則ち鼠となる」


という格言を紹介し、選手起用法にもこの考えが当てはまると言った。
これは、人は使いようによっては、虎にもなるし、また鼠にもなるという意味で、
要するに、人はそれぞれ能力、性格、特徴が異なるので、それらを考慮してうまく人材登用すれば、その能力が十分に発揮できるが、また逆にそれを見誤ったり、あるいは無視してしまうと、人はまったくその能力を発揮できなくなるものだ。という教えである。

豊田と高橋尚の特徴とチーム状況を考えれば、その起用法はおのずと決まってくるだろう。
あとは起用する側がそれに気付くかだ・・・。

昨晩はパウエルの好投が勝利に大きく貢献した。

9回表の相手の凡ミスを呼び込んだ粘り強い攻撃も見事だったが、その攻撃の中で相手の凡ミス後にジャイアンツの方にも凡ミスがあった。

相手の凡ミスで勝ち越した直後、二岡のタイムリーで3塁走者が生還し、2塁走者古城までも篠塚コーチの静止の指示を無視して、タイミング的に明らかに間に合わないと思われるホームへ突っ込んだ場面だ。

私はこの凡ミスを愚かなプレーで簡単に終わらせずに、なぜあのようなプレーを敢えてしてしまったのかを考え、そしてこの愚かな凡ミスの背景にある人間の感情そして選手とコーチとの信頼関係に至るまで深く推理してみた。

明らかに間に合わないと思われるタイミングで、3塁ベースコーチの篠塚コーチの静止の指示を無視してホームに突っ込むというあり得ない様な凡ミスをした古城は間違いなく愚かだが、選手に自分の指示を無視してこのような愚かなプレーをさせてしまった篠塚コーチはさらに愚かだ。

それはどういうことなのかと言うと、篠塚コーチが選手からまったく信頼されていないということが、このプレーひとつ見ても如実に表れているからだ。

篠塚コーチが選手から信用を失ってしまったのは、彼の日々の言動や彼自身の能力ももちろんあるだろうが、このプレーの伏線は、以前に1死満塁の守備の場面で、内野守備コーチの篠塚は「内野ゴロなら全てホームゲッツー」という指示を出しておきながら、その指示通りに無理な体勢からでも僅かなアウトになる可能性を求めてホームに送球した古城に対し、「臨機応変にプレーして欲しかった。」などと本末転倒の無茶苦茶なことを言い放ち、不十分な指示を出した自分自身を責めるのではなく、自分のその不十分な指示通りに忠実にプレーをした古城を責めてしまったことにあると私は推測する。

あの体勢からホームで刺すのはかなり難しかっただけに篠塚コーチの言うことも分かるが、以前にも書いたように私から言わせれば、それならばそういう打球が飛ぶことも十分に想定できる訳だから、最初から「基本的にホームゲッツー、だが打球によっては臨機応変に判断してよい。」という指示を出すべきだったのだ。

それが責任ある指示の出し方また有能な指揮官の出す指示というものだ。

このことがいまだ頭に残っていた古城が、その無能な篠塚コーチの出した指示を信頼できずに、まるで「臨機応変に判断していいなら、自分の判断でプレーします。あなたの指示通りプレーしても失敗すれば自分が責められてしまうなら自分の判断でプレーします。」と言わんばかりに、臨機応変に自分の判断でプレーしてみせたのだろう。

こんなことをやりだしたら、3塁コーチなんてものもいらないどころか、野球が野球でなくなってしまう。

サッカーのようにプレーがあまり途切れることのないスポーツでは、選手にその判断が多く委ねられているが、野球のように1球、1球でプレーが途切れるスポーツでは、ベンチの指示がより重要になり、また選手はその指示に忠実に従わなければならないのだ。

だから、野球ではベンチの指示は絶対で、選手はその指示に従ったプレーをしなければならないのだ。

まただからこそベンチは的確な指示を責任持って出さなければならないのだ。

そういう意味でベンチの指示、采配が勝敗を大きく左右する。

それがまた野球のおもしろさのひとつでもある。

この場面では、どんな作戦が妥当か自分でも考えて楽しむ。

野球ではこんな楽しみ方がより多くできる。

またプレーする選手だけでなく、首脳陣の能力がチームの成績に大きく影響する。

逆に言えば、戦力の劣ったチームでも首脳陣の采配によっては、十分にその戦力差を跳ね返すことができる。

だから選手はベンチの作戦通りに動かなければならない。

そのためには、首脳陣と選手との信頼関係がとても重要になる。

それが野球だ。

昨晩のあのプレーでの古城の考えや事の真相は定かではないが、それでも篠塚コーチが古城からまったく信頼されていないことは十分に推測できる。

私は以前から今年のジャイアンツの低迷の原因のひとつとして、首脳陣が無能なことと、また無能であるがために、首脳陣と選手の信頼関係が崩壊してしまったことを挙げていたが、昨晩の古城のプレーはそれを如実に示すプレーであった。

昨晩はプロ入り初先発の姜建銘が、7回を投げ3安打7奪三振という好投を見せ快勝した。
姜建銘は同じ台湾出身で元中日の郭源治を尊敬しているらしい。
郭源治と言えば、マウンドで拳を振り上げ、叫ぶなど闘志を前面に出した投手。
姜建銘は「彼の『闘気』が大好き」なのだと言う。
それでも「闘志は内に秘めたいから」と、自身はそのプレースタイルを真似ることはしない。この日もパフォーマンスは一切なかった。
そして、お立ち台では「魂を込めて一生懸命投げただけ。」と言った。
私は何度も書いてきたが、例えスポーツでも心のある人間がやる以上、この「闘志」や「魂」や「根性」といった「気持ち」が重要になるのだ。
そのことを昨晩の姜建銘が証明してくれた。
ジャイアンツはこのような「気持ち」が選手に欠けていたが、最近は脇谷など「闘志」をもった選手が成長してきた。
そして、昨晩ジャイアンツに闘志ある戦士がまた一人新たに加わった。
来季に向け明るい兆しが少しずつ見えてきた。
これからのジャイアンツは、「ジャイアンツ愛」などではなく不調になってから原監督が度々口にするようになった「ジャイアンツ魂」をスローガンとして掲げるべきだろう。
ジャイアンツの応援歌は、「闘魂込めて」だが、まさしく闘魂を込めて戦わなければならないのだ。

おとといの試合は、野球少年・内海の好投で何とか12連敗を阻止できた。
しかし、この何とか勝った試合後も、中日の強さとチーム力の差そして監督の力量の差を如実に裏付ける出来事があったことを私は見逃さなかった。


それは、中日・落合監督の試合後の一言だ。
「自分に腹が立つ。野球をやめてもきょうの試合は一生悔いが残るだろうな。」
この一言に中日の強さの秘密、そして落合監督の恐るべき凄さと目指している野球の高さを改めて気付かされ、感服してしまった。
落合監督は、どこかのチームのヘボ監督のように負けても多くを語ることはなく、「腹は探るな。」と最後までその真意を明かさなかったようだが、各報道や関係筋の話によるとどうやら落合監督が悔やんでいたのは、2点のビハインドで迎えた五回無死満塁での攻撃の采配らしい。
相手が中間守備を敷いたこの場面で、9番・佐藤充にバントの構えをさせるだけで1度もバットを振らせずに、敢えてわざと三振させた。
そして結局、続く荒木は遊ゴロ併殺に倒れ、この回無得点に終わった。
落合監督は、佐藤充に敢えて三振させたことを悔やんでいるらしいのだ。
この場面、打力の劣る投手に打たせることで併殺の恐れもあるので、この采配には何の問題もないと思うのだが、落合監督にとっては後から考えると納得いかなかったらしい。
つまり相手がセカンド併殺狙いで1点は与えてもいいという守備体系なら、たとえ併殺という最悪の結果になっても打たせても良かったのではということなのだろう。
2点以上を取りにいったことで、結局相手がくれてやると言っている1点すら取れなかったという采配ミスを悔やんだのだろう。
次打者の荒木が簡単に引っ掛けて併殺に倒れたことを責めるのではなく、自身の采配ミスを責め、しかも「一生悔いが残る。」とまで言う落合監督は、やはり監督としてもモノが違う。
落合監督の野球観そして目指す野球は、一体どこまで果てしなく高いものなのかと脱帽し、それを想像するとあまりの凄さに思わず鳥肌が立ってしまった。
審判の判定にどうしても納得がいかず、試合を放棄していいか球団社長に判断を仰いだこともある。
それは、まさにいざとなれば「刺し違えてもいい」という武士の魂のようなもの。
そこまで勝負に執念をもっているのだ。
野球に対する「厳しさ」「執念」「気迫」「探求力」などいうものがどこかのヘボ監督とは雲泥の差だ。
どこかのヘボ監督は、試合に負けるとまるで情けない愚痴をこぼすように、多弁に選手を責めるだけで、その選手を起用した自身の責任や采配ミスにまったく一言も触れない。

もし、あの場面がそのヘボ監督と逆の立場だったら、そのヘボ監督は併殺打を打った選手をまるで評論家のように無責任に「あの場面で、あの併殺打が痛かった・・」と間違いなく言っていただろう。
どこかのヘボ監督とは、既にお察しだと思うが、我がジャイアンツの原監督を指している。
この監督のレベルの差が、チーム力の差としてはっきりと現れてしまっている。


この両者の野球に対する厳しさや野球観の違いは現役時代から差があった。
一度野球を諦めかけたが、そこから凄まじい努力と野球に対する探究心で球界屈指の打者になった落合。
現役時代の落合は、まさにバットを持った侍のようだった。
プロは自分のバットで銭を稼ぐ・・
一匹狼とも呼ばれ、決して他の選手と群れたりすることのなかった落合だが、チームがピンチの場面では、誰よりも頻繁にマウンドに行き的確なアドバイスを送り、また投手を勇気付けた。
「落合さんがピンチのときにかけてくれた一言に助けられた。」と口にする投手が何人もいた。
また、自分から他の選手に技術的なアドバイスをすることは基本的にほとんどなかった落合も、教えてほしいと頼まれればまるで自分のことように親身になってとことん面倒を見た。
一茂もそんな落合道場の門下生の一人であった。
落合は侍のような球道者であり、言葉は少なくとも、人一倍繊細で懐の深さがあった。
普段は無言で、自身のプレーによってチームを引っ張る。
だが、ここぞというときには重く道理のある言葉でチームを鼓舞する。
現役時代の落合は、そんな選手だった。


これに対し、原はまったく対照的だった。
スター選手としてジャイアンツにドラフト1位で入団し、早くから4番打者になった。
CMなどテレビ画面にも度々登場し、アイドル的存在だった。
チームでも若大将と呼ばれ、若くしてチームリーダーとなった。
そんな原の目指す野球観は、必要以上に協調性やチームの和を大事にするものだった。
野球に愛という言葉を持ち出し、仲良し馴れ合い集団を作り上げた。
そんな意味の無いきれいごとを掲げた野球は実にもろかった。
私から言わせれば、そんな野球はプロ野球ではなく、少年野球や漫画の世界だ。
それは「頑張れ!レッド・ビッキーズ」の世界と同じもので、同レベルの野球。
しかし、今シーズンのチームの低迷でその考えの間違いに気付いたのか、最近はそんな甘ったるい言葉を発することはまったくなくなった。
代わりに出てくる言葉は、「情けない」とか「気迫が足りない」とか選手を責める言葉と「ジャイアンツ魂」という言葉。
やはり、本当の勝負の世界では「愛」などという観念はまったく必要ないのである。
必要なのは、「気迫」、「根性」、「執念」といった「気持ち」なのである。
今年の高校野球では、信じられないような逆転劇が何度もあった。
それを生み出したのは、紛れも無く「気迫」、「根性」、「執念」そして「勝ちたい」「絶対に勝つんだ。」という「気持ち」なのだ。
ジャイアンツには、この「気持ち」が欠けている。
だから、原監督も「ジャイアンツ愛」を「ジャイアンツ魂」という言葉に代えてきたのだろう。
おとといの試合でも、当日に見た高校野球決勝戦で感化された内海が、いままで見せたことが無いくらいに「気迫」を前面に出して投げていた。
それがあのピンチにもまったく動じない不屈の好投を生み出したのだ。
まさしくそれは、「魂」のこもった投球だった。


今年のジャイアンツは、「気持ち」が入らないプレーをする選手に、監督のヘボ采配が追い討ちをかける。
いや、正確に言えば、監督の理不尽なヘボ采配にチームがしらけてしまい、「気持ち」がなかなか入らない。
その選手をヘボ監督が「気迫が足りない」、「まったく情けない」と責める。
チームはそんな低迷スパイラルに陥り、転げ落ちて行き、そして泥沼にはまってしまったのだ。
両者の信頼関係が崩壊したのだ。


もともと原監督には、落合のように緻密で論理的な計算ができる頭脳を持ち合わせてはいない。
だが、人を引き付ける魅力や人柄の良さや実直さという面では落合にはない素晴らしいものを持っている。
1年目の原監督は、代打などで起用するときあるいはチャンスのときに、打席向かう選手に声をかけて、緊張を和らげたり鼓舞したりして、選手を送り出した。
このときの原監督は、選手の失敗、そしてチームの敗戦は監督の全責任というような潔さや男気みたいなものがあった。
だから選手もそんな監督を絶対に胴上げするんだという気持ちで一致団結した。
そしてチームは優勝した。
まさに原監督の「人間力」とそれに魅せられた選手との「チーム力」で優勝したのだ。

だが、なぜか今年の原監督には、1年目でよく見られた光景の選手の肩に手をかけアドバイスを送るあの姿がほとんど見られない。
また、その采配や試合後のコメントからも選手の気持ちを蔑ろにしてしまっている。


これに対し、落合監督はこの「選手の気持ち」を本当に大事にする。
それを示すのが、投手交代時に必ずマウンドに行って、なぜ交代するのかを説明し納得させている。
またときには、交代を告げるために行ったはずのマウンドで、選手の闘志に満ちた言葉を聞きまたその気迫に満ちた目を見て、交代を告げるのを止めベンチに戻ってきたこともある。
ピンチのときも度々自らマウンドに行って選手にアドバイスを送る。
あれほどよくマウンドに足を運ぶ監督はいない。
落合監督はここまでする理由を「交代させるときは納得させて交代させてやりたいでしょ。」、「選手の気持ちを大事にしたいだけなんだよ。」といつもの穏やかな口調で平然と言った。
交代させられるときに、なぜ交代させられたのか納得がいかず、またわからないまま降板するのと、きちんと納得して、さらにその場で「次は頼むぞ。」と声をかけられ降板するとでは、雲泥の差がある。
納得できないまま、わからないまま降板すると、次回の登板の際に同じような場面で、ひょっとしたらまた交代させるかもと余計な心配が頭をよぎり、ピッチングに影響を及ぼす場合がある。
よくピッチャーは「マウンド上では孤独」また「デリケートな生き物」などと言われるが、実際そんな場面が最近あった。
西村の前回の登板時だ。
5回にそれまでの投球がうそのように突然乱れ、打席が投手でもまったくストライクが入らなくなった。
私は、西村が突然腹痛でも起こしたのかと心配したが、当日解説だった江川は、「きっと、前回5回途中で突然交代させらたので、そのことが頭をよぎったんじゃないでしょうか。ここを抑えなければまた交代させられるかもと思い、余計な力が入ったんでしょうね。」と解説した。
事の真相は定かではないが、もし前回の登板でなぜ交代させられたのかという説明があれば、この状況で交代があるのかないのかがある程度自分でも予測がつき、余計な心配はせずに投球に専念できることは間違いないだろう。
中日では実際にそれが行われている。
こういった監督の細かい気配りに基づく信頼関係も強いチームのその所以のひとつだろう。


原よ、もう一度初心に帰ってみろ。
そして、自分が1年目で優勝できた要因はなんだったのか、また今年チームがここまでボロボロになってしまったのはなぜなのかよく考えてみろ。
原因がわかったらそれを反省しろ。
そしてそれを改め、ではどうすればいいのかを考えろ。
それが自分なりに分かったら、迷わずにまず実行してみろ。
実行する前にあれこれ考えるな。
その結果は後からついてくる。
そして自分の良い面を伸ばすように努力しろ。
また他人の良い面はどんどん自分自身にも取り入れよ。
結果を残している者は、間違いなく正しいのだ。
なぜ、良い結果を残せるのかよく考え、それに気付いたら変なプライドは捨て、自分にも取り入れよ。
そういう意味で、結果を残してきている落合監督を見習え。
そうすれば、お前も名将に少しでも近づくことが出来るだろう。


昨晩は、打線が山本昌を攻略できずに完敗。

これで中日に屈辱の11連敗。

残念ながら両チームの力の差は歴然だ。

それは選手はもちろん、首脳陣にまで至る。

選手がだらしないのはもちろんだが、首脳陣もヘボすぎる・・・。



昨晩も首を捻るようなヘボ采配があった。

5回裏、2死1,2塁で打順がピッチャーのグローバーに回ってきた場面。

グローバーはここまで2失点と見かけ上好投していたが、内容は毎回のようにヒットを打たれ、何とか持ちこたえていた感じだった。

4回に1点奪われ、尚無死満塁という場面でも、運良く後続の打者が、8番、9番だったから何とか凌げただけ。

6回の相手打線が、前の打席でともにヒットを打っている森野、井上という左打者であったことからも、グローバーを続投させるのは危険だったはず。

それにそもそもグローバーのこれまでの成績から、5回を2失点で抑えたというのは、上出来でこれ以上の投球を奴に望むのは酷というもの。

またグローバーは球威がそれほどないので、常に長打の危険がある。

まして控えている中継ぎの林や久保といった投手の方が、実力的にグローバーよりはるかに上。

いったいグローバーのどこを期待して続投させたのか、皆目見当がつかない。


また、相手投手の山本昌の出来や、中日投手陣の中継ぎ、抑えの力量を考えたら、早めに積極的に追加点を奪いにいかなければならいはずだ。

実際、11連敗中のG打線の1試合平均得点は1.91と散々たるものだ。

上原、パウエルといったクラスの投手が投げている試合でないのだから、悠長な作戦を取っている状況ではないのだ。


そして、当たり前のようにグローバーは、次の回で森野にホームラン、井上にヒットを打たれた・・・。


あの場面は、グローバーに代打を送り、一気呵成に攻めるべきだった。

そして、次回からは林を投入すべきだった。

林の投入のタイミングを間違えたので、結局林がワンポイントリリーフで降板するという実にもったいないお粗末な采配になった。



また事もあろうにグローバーが打席に回ったあの場面で、ジャイアンツのヘボ指揮官は、なぜかニヤニヤ笑って白い歯を見せていた。

今のチームの置かれた状況で、なぜあのような表情が出るのかまったく不思議である。

そんな状況ではないはずだ。

危機感というものがまったく伝わってこない。

相手の力が上なのだから、指揮官はもっと気迫や危機感をもった采配をしなければならないだろう。



何度も言っているが、チーム力が劣る状況こそベンチワークが重要になるのだ。

逆に言えば、チーム力が劣っていても、ベンチワークを巧みに駆使すれば勝てるのだ。


無能な指揮官がチーム力の差をさらに広げている。

だから同じプロ同士で11連敗もするのだ。

相手監督に采配を酷評されるという屈辱を受けても仕方がないものがある。




昨晩も投打がしっかりとかみ合い、3連勝。

このところのジャイアンツは、何か「どっしり」と腰を据えた野球が出来ているように感じる。

それもそのはず、スタメンが日替わりでなく、ほぼ固定されている。

特に1,2番がしっかり機能しているのが大きい。

原監督も試合後のインタビューでそのことを認めている。

「1、2番に当たりが出てくるとね。このところ機能していると思います。」

原監督もようやく気づいてきたようだ。

だが、今まで1,2番が機能出来なかったのは、自身の起用ミスが原因だったことも気付け。

私は何ヶ月も前からジャイアンツ打線の低迷の原因として、1,2番が固定されずに機能できていないことを挙げていた。

得点力が落ちていたときのジャイアンツ打線は、3,4番がいくら打っても1,2番の出塁率が極端に悪いため、なかなか得点に結びつかず、李のソロホームランが空しく響いていた。

また、矢野を1番に固定すべきだということも何度も何度も提言してきた。

それと清水の力を信頼して相手投手が右左に関係なく起用し続けるべきだということも。

原監督は数ヶ月もかかってようやくそれに気付き、実行してくれている。

ひょっとしたら無能・近藤という呪縛霊を振り払い、奴の進言を無視しているから、ようやく原監督が正気に戻れたのかもしれない。

それ裏付けるように、無能・近藤が育て上げた秘蔵っ子の小坂の起用がこのところ極端に減った。

これまでは、いくら打てなくとも理不尽に小坂を起用していた。

その無能・近藤の呪縛霊の影響を最も受けてしまったのが、仁志。

訳の分からない、理不尽な起用で完全に調子を崩してしまった。

仁志よ、お前は今どこで何を思っているのか・・・

あのディロンが起用されてなぜ仁志が起用されないのか?

あとは仁志と小久保。

その二人が戻ってきたときこそ、本当のベストオーダーが組める。

昨日、日本の教育はもっと本質的なものにしなければならないと指摘したが、それは野球の見方にも言えることだ。


野球というものを語ったり、分析したりするときに、とかくデータを持ち出したがったり、それだけに偏重したりしがちな者がよくいるが、それは私から言わせると、野球というものの上っ面だけしか見ておらず、本質とは程遠いものだ。
昨日書いた教育の例で言えば、それは丸暗記で対応できる受験と同じ。
データなんぞは、インターネットが普及した今では、誰でも1分もあれば知りたいデータが手に入る。
だから、様々なデータを知っている者が、野球に詳しいと思ったら大間違いなのである。
本当に野球に詳しい者というのは、野球を本質的に見れる人なのだ。
つまり、データだけでなく選手や首脳陣の性格や人間性、能力そして選手間あるいは選手と監督との確執などの人間模様や裏事情などあらゆる情報やそれに基づく自らの推測を分析・整理して、そしてそれを他者も納得できるように論理的に自分の意見として言える人。
これが本当に野球に詳しい人と言えるだろう。


ただデータを並べるだけなら野球をあまりよく知らない人でも誰でも出来ること。
だからデータだけの頭でっかちで野球を本質的に見れない人は、訳の分からないトンチンカンな事を安易に言い出す。
上っ面だけで野球を見ていて、深い分析が足りないのだ。


ただそのトンチンカンな事を言う者も、何も意見を言わないあるいは言えない者よりは全然マシ。
なぜならそれがトンチンカンで幼稚で間違っていても、自分の意見として堂々と発しているからだ。


とかく日本人は自分の意見を言えないあるいはそれを考えることすらしない人間が多すぎる。
何も考えずに周りに流されるように安易に大勢の意見に同調する。
それは協調などというものではまったくない。
それはただのアホ。
それは一般人だけでなく、国を動かす者たちにも言えること。
外交でもアメリカの機嫌ばかりを気にして、自分たちの意見をなかなか言えない。
だから中国や韓国にもなめられる。
日本は物事をはっきり言わずに、うやむやにあいまいに何とかうまくまとめようとする。
そのやり方は安易なその場凌ぎで、上っ面だけしか見ておらず本質的でないから、きちんとした解決にならない。
日本はもっと毅然した態度で、自分たちの意見を言うべきだ。
靖国問題にしても、自国内の問題なのだから中国にとやかく言われたからと言って、わざわざ中国まで行って、説明したり中国側の意向を聞き入れるなどする必要はまったくないのだ。
馬鹿な一部の政治家はそんな国家の恥さらし的な愚かな事をやってしまった。
だから中国になめられ、奴等が言いたい放題、やりたい放題になる。
中国では、将来日本は中国の属国になるなどとふざけたことを言っているバカもいる。
北朝鮮の拉致問題もそう、小泉のバカは訪朝以降まるでロボットのように「対話と圧力」と繰り返し言うだけで、実際は何もやっていないから、問題が解決するどころかほとんど進展もしていない。
こんなへっぴり腰外交だから、相手になめられて弾道ミサイルを発射され、挑発される。


何も意見を言えない一部の愚かな日本人よ、もっと自分の意見をもち、それを堂々と言ってみろ。


そのためには、物事を深く分析して、本質的に考えることが大切になる。
それは全ての物事について言えるのだ。
野球も側面だけでなく、本質的に見るともっとおもしろくなる。


昨日も猛暑で私はだるく、不調だ。
しかし、ジャイアンツは好調。


昨晩もエースが好投して連勝した。
実にしまったいい試合だった。
スタメンオーダーも現時点では、ほぼベストと言える布陣だった。
ほぼと言ったのは、そのオーダーの中にディロンが入っていたからだ。
先日も書いたが、サードはディロンでなく古城を使え。
打力も守備力も古城の方が上。
特に守備力は雲泥の差だ。
その他のオーダーは、問題なし。
清水の打力はジャイアンツの中ではトップクラス。
その打力はアマチュアクラスの守備を補って余りあるもの。
仁志のいないセカンドは、調子の良い脇谷を起用することも賛成。
相手が左投手ならこちらも好調の木村拓でもいいだろう。


私から言わせると、原監督は気付くのが遅すぎる。
適性の高い矢野の1番固定も、
調子の良い木村拓の2番起用も、
相手が警戒するヨシノブを5番に戻したことも
私がこのブログで指摘してからしばらくたってようやく原監督は実行した。
サードはディロンでなく古城を起用した方が、現状を見ても将来的にもチームにとって有益であることを早く気付いてくれ。
膝に古傷を抱える小久保とってフル出場は無理。
またFAを再取得し、来期はジャイアンツに残ってくれるかどうかも微妙。
もし王監督が来期も監督をすることになったら、小久保は恩師である王監督に最後の恩返しをするためにホークスに復帰することは十分に考えられる。
親会社が変わったことで、しがらみも無くなっただろう。
古城はいい選手だ。この選手を成長させろ。


選手を成長させるにはたった数打席の失敗だけで切り捨てるようなことをせずに長い目で見てあげることが大切だ。
首脳陣も「七転八起」の精神で選手を見て、育てなければならないのだ。
おとといのヒーロー吉川も、もし原監督が3打席3三振という結果だけで、安易に切り捨てていたら、あの感動的な初安打は生まれていなかったのだ。
そういう意味で、選手の野球人生は、本人はもちろん首脳陣がその運命を握っていると言ってもいいだろう。
あのイチローも仰木監督ではなく、土井監督がそのまま続投していたら陽の目を見ることはなかったかもしれない。
いかに良い監督とめぐり会えるか。
コメントを聞く限り、原監督は吉川のことを高く評価している。
そういう意味で、最低限良い監督にめぐり会えたと言えるかもしれない。
最低限としたのは、私から言わせれば、吉川を1軍に上げるのがあまりに遅かったから。


「七転八起」の精神で育てるという考え方は、何も野球に限った特別なことではなく、ごく当たり前の考え方。
赤ちゃんがハイハイから立ち上がって歩けるようになるときも
補助輪のついた自転車から、それを外して運転できるようになるときも
漢字を覚えるときも
野球というスポーツを覚えるときも
どれもほとんどの人が失敗しながら、忘れながら、それを身につけてきたはずだ。
これを少し失敗したからといって本人が諦めたり、あるいはもう駄目だというような切り捨てる教育をしたら、プロ野球選手もどんな偉人も生まれないだろう。
しかし、日本ではこの切り捨てるような教育もしてしまっている。
それは受験主義の学校教育だ。
それはまさに切り捨て主義そのもの。
受験という最も安易でくだらない方法で、人の才能を分別してしまっている。
もっと言えば才能を潰してしまっている。
なぜなら、私から言わせれば、受験勉強などという安易でくだらないものは、丸暗記で簡単に対応出来るもので、この受験で受かることを主目的とした教育は、本質から外れたまったく意味がないものだからだ。
それを証拠に、日本で中学から高校まで6年間英語を勉強して、いくらテストで満点をとったとしても、おそらく英語を話せる人はほとんどいないだろう。
日本の学校教育はもっと本質的に学問というものを教えなければならないだろう。
本質的に学べると学問は一転とてもおもしろいものとなる。
英語も、歴史も、古典も、物理も、化学も、音楽も、なんでもそうだ。
例えば、英語なら言語なのだから最低限会話ができるようになるなど。
会話や聞き取りがうまく出来たら言語はおもしろい。
いや、逆にそれが出来なければ言語として意味が無い。
歴史では、日本の受験対策的な無意味な教育だと、
「いいくにつくろう鎌倉幕府」と 大声で何度も読み上げさせ、丸暗記させる。
私から言わせれば、「バカじゃないか?アホらしい」となる。
その滑稽な光景は、教育現場などではなく、おかしな宗教団体と変わりない。
なぜならその本質は、「1192年に鎌倉幕府が誕生した」ということではなく、どのような歴史的背景や流れがあって公家社会から武家社会に変わり、またその武家社会で源頼朝が何を目指し、どのような社会にしたかったということだからだ。
そういったことを深く探求していくことが、本来の学問であり、またそうすることでどんどん興味が沸いてくる。
鎌倉幕府が誕生した年が1192年だろうが、1193年だろうが、1195年だろうが、そんなことは本質ではなくどうでもいいことのなのだ。
実際、歴史学者の中では、鎌倉幕府の誕生は1192年ではないという見解、意見もある。
たったこの一つの事例からも「いいくにつくろう鎌倉幕府」と丸暗記させるような受験対策的教育がいかに意味の無いものかが分かる。
そんな意味の無い教育ではなく、本質的な教育だと学問は本当におもしろい。
その本質的に教えるという事が、各分野でのスペシャリストを育てるのだ。
本質的でない、切り捨て手段の受験の対策で意味の無い教育だからつまらないものとなる。

またその意味の無い教育は、その教育における勝者の典型である官僚などのように、官僚になることが目的で、実際なってから何をやりたいという高い志がなく本質に欠けているために、その目的を達成した後に悪事を散々やらかすような大バカ野郎を生み出してしまう。
そんな奴らがバカな政治家を動かし、国家を動かしてきたから莫大な借金を抱えた国になってしまう。
また一方でその受験戦争で敗れ、切り捨てられた者の一部では、昨今社会問題となっている「ニート」や「ひきこもり」といった生きる目的を持てない卑屈な迷走者も生み出してしまっている。
このままでは将来日本は諸外国との競争に負け、次第に埋没していくだろう。
そうならないためにも、教育は本質的なものへと変え、画一的でなくもっと個性を尊重した教育をして、個性のある人間を育てていかなければならないだろう。
なぜなら人はそれぞれ異なる無限の可能性と能力を秘めているからだ。
それを画一的な教育で、画一的な人間を育てるような教育をしたら、それぞれ持っている能力を潰してしまっていると言っていいだろう。
切り捨てるような安易でネガティブなやり方では駄目なのだ。
まさに、「七転八起」の精神で育てなければならないのだ。


話が少しそれたので、話を野球に戻してからこの記事を締めようと思う。
前述した「個性」と言えば、昨晩のTV中継の中で、ベンチに座っている吉川がアップで写った。
厳つい顔つきで、ギラギラとした目で、自慢も揉み上げをなでなでしていた。
なかなか絵になる奴だ。おもしろい。個性がある。
これからは、「七転八起」の精神で、長い目で見て、この吉川や古城をはじめ、その他の若手選手をその個性を殺すことなくうまく育ててもらいたいものだ。


昨日は、本格的な夏が訪れたような猛暑だった・・・

そんな猛暑の日に、猛牛・近鉄から数年前にやってきた一人の熱い戦士が活躍した。

その戦士とは、猛牛魂を受け継いだまさに野武士のような風貌の吉川だ。

昨晩は、久しぶりに「おもしろい試合」であった。


昨晩の試合は、苦労人・吉川の勝ち越し打が効き、見事な逆転勝利だった。

吉川はその勝ち越し打が嬉しいプロ入り初安打でもあった。

吉川と言えば、以前このブログでも早く1軍に上げるべきと紹介したが、もう一度私なりに吉川を紹介すると、吉川はかつて野武士軍団と呼ばれた近鉄から移籍してきた選手で、また揉み上げを伸ばし、厳つい顔立ちのその風貌は、猛牛魂を受け継いだまさに野武士のような選手である。

また、出身高校は東農大二高。

実に渋い・・・。

同じ揉み上げを伸ばした選手でもヤンキー上がり的な矢野とは一味違う。

眉毛を方位針のように尖らせて、まるでチンピラ兄ちゃんの矢野とは違い、吉川のそれは菅原文太や「西部警察」で見せた渡哲也のようで、そっち系である。


以前吉川について書いた記事のURL↓

http://ameblo.jp/cm118142731/day-20060529.html




原監督が試合後、そんな吉川について珍しく興奮気味にこんなコメントを残した。


「いいものを持っている選手です。今日が彼の野球人生を変えるくらいの、いいきっかけになってくれればいいですね。あの場面でよく期待に応えてくれました。」


原監督もたまには良いことを言うもんだ。

吉川は1軍昇格後ここまで3打席3三振であったが、たった3打席だけの結果で安易に判断して切り捨てるような愚かなことをせずに再チャンスを与えた原監督の好采配と言えるだろう。

いや、私から言わせれば、それは当たり前の采配だ。

なぜなら以前にも書いたが、選手を育てるには過度の期待をかけずに、すぐに結果を出すことを求めずに長い目で見てあげることが重要なのだ。

吉川は、これで1軍昇格後の成績は、

4打数1安打 2打点 3三振、よくやっているじゃないか。

今後は、吉川を積極的にまた長い目で見て起用していくべき。



だが、これだけで話を終わらせないのがこのブログ。

吉川よ、お前に少し注文がある!


打席に入る際のあの中途半端な洋楽のテーマソングはやめろ!!!


お前にはまったく似合わない!!

どうせなら、もっとインパクトのあるテーマソングを使え!!

今日からは、 「仁義無き戦い」「西部警察」のテーマソングだっー!!


そして、ベンチから打席に向かうときは、「西部警察」の大門のようなサングラスをかけるのだ。

そしてそのままバッターボックスに入る。

これだけで終わらせたらおもしろくない。

さらにバットを「大門が車上から狙い打つように」、「ゴルゴ13が屋上から狙い打つように」、ライフルを構えるようにして投手に向ける。

その後、サングラスをサッと外して、バッターボックスの後ろにポーンと投げ捨てる。

そして相手投手にガンを飛ばしながらようやくバットを構える・・・。


さらにユニフォームの裏地には、「竜」と「虎」の絵柄、そして「男・吉川」という刺繍を入れるのだ。

そして、ヒーローインタビューでお立ち台に上がったときは、この裏地を観衆に披露して、こう言うのだ。


タイガース戦では、「虎」の絵柄を披露して、『「猛虎」も俺のライフルの前では、猫同然でしたね。』

ドラゴンス戦では、「竜」の絵柄を披露して、『「恐竜」も俺のサングラスで見ると、「まんが日本昔話」に出てくる竜に見えましたね。』


そう、この裏地の「竜」と「虎」は、強敵「ドラゴンス」と「タイガース」を手中に収めるということを表しているのだ。


前々からその素質とキャラクターに注目していた吉川の活躍で、気分が良くなり思わず突っ走ってしまったが、冗談はさておき・・



今のジャイアンツには苦労人・吉川のような「泥臭さ」、「ひたむきさ」、「根性」といったものを持っている選手が必要だろう。

原監督が吉川を「いいものを持っている選手」と称賛したが、その「いいもの」とはその素質はもちろん、そういった「泥臭さ」、「ひたむきさ」、「根性」というようなものを指しているのだろう。

今のジャイアンツ、これまでのジャイアンツにはそういったものが欠けていた。

またそれは、ジャイアンツ入団以来常にスター街道を歩き、またチームを仲良し馴れ合い集団にしてしまった原監督自身にも欠けているもので、その事を自分自身でよく分かっているのだろう。

だから「泥臭さ」、「ひたむきさ」、「根性」のような「気持ち」をチーム再建のキーワードにしているのだろう。

それを裏付けるように、今年原監督が他球団から獲得した選手は、皆共通してそういったものを持っている選手ばかりだ。

豊田、大西、小関、木村拓、古城。


現役時代「根性」という言葉が枕詞になっていた星野が、昨晩のTV中継解説の中で高校時代の原の映像を見て、こんなおもしろいことを言っていた。

「原は、高校時代こんなにギラギラした目をしていたんですねー。いやー、驚きました。」

そう、それが原の現役時代とジャイアンツに欠けていたものなのだ。

吉川はそのギラギラした目を持っている。

また今年ジャイアンツに移籍してきた選手にもそれがある。

今後、ジャイアンツを抜本的に再建するためには、有望な生え抜き選手を育て上げると同時に、外部からジャイアンツには無い異質な血を入れることも効果的となるだろう。



最後に、吉川に私なりのメッセージを残し、この記事を締めようと思う。


吉川よ、プロ入り初安打、おめでとう。

だが、喜ぶのはまだ早い。

これまでの苦労はこんなものでは報われないはずだ。

これがお前の野球人生のスタートにすぎないのだ。

これからが本当の勝負だ。

お前のその素質を爆発させるんだ。

ドームのカクテル光線というスポットライトを浴びて、野球というドラマの役者になるのだ。

お前なら、なれる。

そして、思う存分その魅力的で味のある揉み上げを躍らせるのだ。