まず、前回のお詫びの意味です


私は「お叱り」がとてもいいことだと思っています。

私ならば、相手のことを思わないと「叱る」ことができないからです。


そして、お叱りという言葉に語弊があったことに気が付きました

お叱りを、悪いことだと思う人もいたことです。


かばってくださいました、いろんな人が


そんなこと気にすることはないんだよって・・・


嬉しかったです


その方々もまた、私のことを考えて下さっていることを感じたからです。


お叱りをくださったかたも、

私をかばってくれる人も


私にとって大事です。


そしてこの年齢まで生きてこられたのは、

他にこの病気で生まれた方と同じように

母が守り、大事にしてくれたことが一番で


母が母であったことが幸せなことだと思っています。


自分で調べて手を尽くして(少なくとも当時知りえていた情報はすべて尽くし)

決意したラストライブ


メディアを通して知りえた一人の同じ病気のお母様が、小児科を案内していただけました。


28の私は新たに小児科受診はできないと断られましたが、そのお母様のお力により


移植コーデネイターさんを通し受診が叶いました。


そこから、移植ができるようになりました。


ライブを通して、開けた道でもあるのです。


守る会さんやコミュでも相談したり、してきました。


手を尽くしてみつからなかったときは、死を覚悟しておりました。



それを理解していただきたかったのです。


きっと、命と向き合ってきた気持ちは同じなのだから


分かり合えるはずの人と、誤解が原因でわかりあえないなら、誤解を解きたいです。



自分が一番不幸だと思ってもいないですし、

私は、幸せものだとおもっています

だからこそ、手術ができる今、自分を誇り最善を尽くしたいと思っています


だからこそ、今、恐怖心や不安はまったくないです。


気持ちはすごく満たされています。


強がりでもなんでもないです。


ここに書き込みを下さる方には悪意のある方はいません。



言葉を下さる皆様に本当に感謝しています


言葉の使い方で誤解を生むことはあるけれど、それは本音です