本読みを哀れむ歌 -4ページ目

図書館の殺人    青崎有吾

図書館の殺人           青崎有吾

 

図書館の殺人図書館の殺人
1,944円
Amazon

 

期末試験中のどこか落ち着かない、ざわついた雰囲気の風ヶ丘高校。試験勉強をしようと学校最寄りの図書館に向かった袴田柚乃は、殺人事件捜査のアドバイザーとして、警察と一緒にいる裏染天馬と出会う。男子大学生が閉館後の図書館内で殺害された事件らしいけど、試験中にこんなことをしていていいの?山田風太郎の『人間臨終図巻』で撲殺された被害者は、なんとなんと、二つの奇妙なダイイングメッセージを残していた…。“若き平成のエラリー・クイーン”が満を持して贈る、書き下ろし長編ミステリ。

 

 

一作目、二作目と、成長の跡が見える三作目。
何を偉そうにと自分でも思うが、一、二作目と比べると、よく練られていると思う。分かりやすくなったとも言う。
この場合の分かりやすいというのは、犯人が分かりやすいという意味ではなく、文章や話の展開が分かりやすくなったという意味。
ただ、手掛かりについてフェアか、アンフェアかと、問われたら、少し微妙。グレーゾーンとしておく。
プラス、これは他の方も言っていることだが、動機の点では、ちょっと首をかしげてしまうようなトンデモ説っぽいかもしれない。
が、許容範囲内といえば、許容範囲内なので、全体的に見れば、ポイントは高い。
また、図書館の事件のほかに、期末試験での顛末記、裏染天馬の過去話も絡めてメリハリもあり、今までの長編の三作の中では一番よくまとまっていたのではないだろうか。
期末テストの時間割が各章のタイトルとなっているが、小節ごとに、小説や歌、アニメのタイトルなどのパロディになっていたりして、元ネタ考えるだけでも楽しい。

 

 

あらすじは図書館の殺人のみ。期末試験騒動記と天馬過去話はちょっとスルーで。

 

夜は電子ロックで施錠され、無人となるはずの公立図書館。その中で真夜中に大学生城峰恭助が殺され、次の朝に発見された。
そして、その傍らには血文字で書かれたダイイング・メッセージが。
それを持て余した警察は、三度裏染天馬に協力を要請。
図書館へやってきた裏染は、「ダイイング・メッセージは根拠薄弱、時間の無駄」と言い切る。そして、被害者が持っていたカッターナイフにこだわり、その破片を二階のトイレで発見した。
遺体の周りには本が散乱していたが、裏染はその中に記憶の中にあった本がないことに気付いた。
被害者のパソコンを調べた結果、彼はその「本」を創り、勝手に図書館に紛れ込ませていたことが分かった。
書いたのは、裏染たちの同級生で大学生の従妹、城峰有紗だった。
彼女は事件の夜、図書館の前で血を流した男とぶつかっていた。それは、その夜、図書館の忍び込んでいたもう一人の男だった。
だが、裏染はその男は犯人ではない、という。
その男、桑島は有紗の家に現れ、警察に確保された。
桑島は警察で、「本」の作者を調べるために、元の職場の図書館にと忍び込んだことを認めたが、殴られて気を失っていたと供述した。
大体のつじつまは合うが、肝心なことがわからない。
犯人はどこのだれで、なぜあの場にいたのか?

 

 

以下ネタバレです。

犯人は被害者城峰恭助の母親だった。
裏染はそれを論理的に割り出したのだった。
それには五つの条件があった。
<第一、肩にかかる程度の長髪の人物>
<第二、メガネをかけており、それを落とす可能性のある人物>
<第三、極端に目が悪い人物>
<第四、ダイイングメッセージを偽装するメリットのある人物>
ここまででの条件で、逆に犯人候補がいなくなってしまい、裏染は第五の条件を思いつく。
<第五、貸出レシートに触れる機会のあった人物>
その唯一条件にあてはまる人物が、城峰恭助の母親だったのだ。

読者にとって大切なのは、第一の条件だ。ここで、裏染と同じことを思いつかなければ、あとの論理も思いつかない。
では、ヒントとして、フェアか、というと、少し微妙。
作中には「本の小口についた血痕が細い線のようなもの」としか書かれていない。ここはもう少し描写が欲しいところだ。
この<肩にかかる程度の長髪の人物>という絞り込みができれば、あとは証拠から結構簡単に思いつけるロジックだろうと思う。
実をいうと、最後の条件の貸出レシートについての、推理は少しさえない感じ。自分自身は貸出レシートのことがずっと気になっていたので、早々に裏染が犯人を「夜間パスワードを知っている司書たち」に絞ってしまったのをおかしいとは感じていたのだが。
はじめから、この条件で絞ると、すぐ犯人が分かってしまうから、最後に気が付いたことにしたんでしょうかね。

動機について、自分の息子を殺してしまうものとしては、少し弱いのかもしれないが、犯人が極度の興奮状態に置かれていたとすれば、逆上してしまった、錯乱していた等々、説明はつく。だから、そのあとのダイイングメッセージの偽装やアリバイ工作などをかなり冷静にやっていることの方が異常である、と言えよう。
そういう利己的なところがある人間だったのか、何か思わせるようなエピソードの一つもほしいところだが、そのあたりは少し物足りないかもしれない。ただ、「本」の内容と同じ犯人(被害者の母親)ということで、有紗が犯人に思い当たり、そのことに裏染も気づく、というダブル・ミーニング的な場面は秀逸で、ここがこの作品の「肝」(裏染によれば)だろう。

 

小節のタイトルになっているものは、元ネタが分かるものや、自分にはさっぱり見当がつかないものもあり、そのまんまのものもある。
元ネタがわかるもの(右が元ネタ)
・期末テストがやってくる→ビートルズがやってくる
・人間臨終図書館→人間臨終図鑑
・ペンライトパワー・ウェイクアップ→セーラームーンの変身シーン、ですね
・今日からクのつく犯人捜し→「今日からマ王」だろうな、たぶん
・勉強会ウォッチ→妖怪ウォッチ?
・文学少女と知りたがりの探偵→“文学少女”と死にたがりの道化(ピエロ)
・第三者Xの方針→容疑者Xの献身
・晴れた日は図書館へ移動→晴れた日は図書館へいこう
・シロにはないネジはクロがみんな持ってる→「鉄コン筋クリート」


不明なもの
・モーニングコール→「ダックコール」かな、と思ったが、違うかも
・すれ違イズム
・純喫茶アカシックの回想録
・青い栞→「青い麦」くらいしか、思いつかない。
・Red Fraction
・触るものは皆すべて
・赤いメッセージの論理

 

そのままのもの
・年下の男の子
・目にうつる全てのことは→「やさしさに包まれたなら」
・図書館内乱
・比類のない神々しいような瞬間→有栖川有栖「白い兎が逃げる」の短編のタイトルだが、元はクイーン「Xの悲劇」内でドルリー・レーンがダイイングメッセージついて語った言葉。(この前にビアーズの「アウル・クリーク橋の出来事」への言及がある)
「……彼の頭脳のどこかで、絶妙な考えがひらめいたのです。彼は、死ぬ直前のほんのわずかな時間に、自分が残すことのできる唯一の手がかりを残したのです。このように――死の直前の比類のない神々しいような瞬間、人間の頭の飛躍には限界がなくなるのです」

 

ヘセド Chessed ―12 <38>

ヘセド Chessed ―12 <38>
 

 

33

 

P334
*パピュス Papus
本名ジェラール・アンコース Gerard Encausse 1865‐1916
フランスの医師、オカルティスト。
スペイン生まれ。若くしてフランスへ渡る。神智学協会に属したが、その後、キリスト教的神秘主義に惹かれ、薔薇十字運動に加わる。またマルティネス・ド・パスカリあるいはサン・マルタンの信奉者を統合した独自の結社〈マルティニスト教団〉を組織し、キリスト教を基本とした神秘哲学の系譜を復興させた。

 

*マルティネス・ ド・パスカリ Martinez de Pasqually 1727?–1774
生涯については、不明な点が多く,出自についても定説はない。1754年ころから「エリュ・コーエン(elu cohen)」と称する秘教結社を創設。精霊を召喚する魔術に強い関心を示し、フリーメーソンに似た位階制とイニシエーションが行われていた。


*ポンバ・ジーラ Pomba Gira
エシュの配偶者。心、愛、欲望をつかさどる。

 

*ヨルバ Yorùbá
アフリカの民族。主にナイジェリア南西部に居住し、 西アフリカ最大の民族集団のひとつ。

 

P335
*カボクロ caboclo
作中ではウンバンダ独自の霊的存在のことだが、本来はポルトガル語で「銅色の肌」の意で、ブラジル先住民族(あるいはアフリカ系)と白人の混血児を指す。メスティーソと同等の意味だが、主にブラジルで用いられる言葉。

 

*プレト・ヴェーリョ Preto velho
「黒老」

 

*アゴスティーニョ神父
アントニオ・アゴスティニョ・ネト António Agostinho Neto 1922 - 1979
アンゴラの民族主義者・政治家・社会主義者・詩人で、初代大統領。ベンゴ州のカテテ町でメソジストの牧師の息子として生まれた。

 

*シュペングラー
オスヴァルト・アルノルト・ゴットフリート・シュペングラー Oswald Arnold Gottfried Spengler 1880 - 1936
ドイツの文化哲学者、歴史学者。

 

*ブルート・ウント・ボーデン Blut und Boden
ドイツ語で「血と土」の意。もともとはドイツ社会民主党のアウグスト・ヴィニヒが主張した、民族主義的なイデオロギー。
民衆と、彼らが住み耕す土地の関係を祝福し、地方の生活を美徳として高く評価。
ナチス・ドイツの台頭とともに、ナチズムのイデオロギーとして扱われた。

 

P337
*コンコバードの丘 Corcovado
ブラジルのリオデジャネイロにある標高710メートルの丘。両腕を広げた形の巨大なキリスト像がある。


*デュボネ Dubonnet
赤ワインにキナの皮を漬け込み、樽で熟成することで製造される混合酒。

 

*キナ機那(アカキナノキ)
樹皮にアルカロイドを含み、マラリアの特効薬であるキニーネが生成される。また強い苦味を持つ物質として知られ、トニックウォーターに苦味剤として添加される。

 

P342
*サラバンド sarabande
17、18世紀にスペインをはじめヨーロッパ各地 の宮廷で流行した,ゆるやかな速度の三拍子の舞踊。および,その音楽を様式化した器楽曲。古典組曲中の基本的な曲。

 

P343

*アカイア Achaia
アカイオイ Achaioiとも。
「イリアス」や「オデュッセイア」といった叙事詩では、ギリシア人の総称として用いられている。

 

P344
*コパカバーナ Copacabana
ブラジルのリオデジャネイロ市南東部、大西洋に面しているリゾート地。レーミからコパカバーナ要塞までの、全長約4キロメートルにわたる白い砂浜のビーチは世界的に知られ、コパカバーナ海岸、コパカバーナビーチとも呼ばれる。


P345
*聖テレサ・デ・アビラ
アビラのテレサ Teresia Abulensis 1515 - 1582
16世紀、スペインのローマ・カトリック教会の瞑想神秘主義者、聖人、教会博士。
様々な幻視体験をしたのち、女子跣足カルメル会を創設、修道院改革に尽力した人物。
その幻視体験の一つが、天使に黄金の矢で心臓を射ぬかれ、その甘美なる激痛に恍惚となった、というもの。

 

*聖フアン・デ・ラ・クルス
十字架のヨハネ Juan de la Cruz 1542-1591
16世紀のスペインのカトリック司祭、神秘思想家。
アビラのテレサとともに、カルメル会の改革に取り組み、「暗夜」などキリスト教神秘主義の著作を残した。

 

P346
*ペトロポリス Petrópolis
ブラジル東南部のリオデジャネイロ州の高原上にある都市。

 

クララ殺し   小林泰三

クララ殺し     小林泰三

 

 

大学院生・井森建は、ここ最近妙な夢をよく見ていた。自分がビルという名前の蜥蜴で、アリスという少女や異様な生き物が存在する不思議の国に棲んでいるというものだ。だがある夜、ビルは不思議の国ではない緑豊かな山中で、車椅子の美少女クララと“お爺さん”なる男と出会った。夢の中で「向こうでも会おう」と告げられた通り、翌朝井森は大学の校門前で“くらら”と出会う。彼女は、何者かに命を狙われていると助けを求めてきたのだが…。夢の“クララ”と現実の“くらら”を巡る、冷酷な殺人ゲーム。

 

 

前作の「アリス殺し」が荒唐無稽でありながら、ミステリとしてきちんと整合性のある展開を見せて、びっくりさせられたが、今回もかなりひねりが聞いている、と言える。
ただ前作からみると、ミステリ作品としてのハードルは格段に高く、高跳びで言えば、クリアしたもののバーがゆらゆらしてて落ちそう、といった感じ。
前作同様、蜥蜴のビルはかわいらしい阿呆(褒めてるんです!)で、アーヴァタールである井森建は優秀ということにはなっているが、井森が三回も死んでしまい、まさに『死んでしまうとは、情けない』
前作のときも思ったが、ビルが異様に冴えているときもあるし、井森の飲み込みが悪くて「ビルが乗り移ってる」と思うときもある。
ビルと井森は奇妙に融合していているのかもしれない。

さて、今回の舞台設定は、<不思議の国>ではなく、ドロッセルマイヤーいうところのホフマン宇宙(1)。<不思議の国>ほど、奇妙奇天烈ではないが(十分変わってるが)、19世紀のヨーロッパと幻想世界が入り混じっている独特の世界観。
そして、キーポイントとなるのは、ホフマン作の「くるみ割り人形(とネズミの王様)」の主人公はクララではなく、マリーという名前だ、ということなのだ(2)。
ホフマン作品で(この作品で言及されている作品では)クララの名を持つのは、マリーの人形と、ナターナエルの婚約者だ。
ここですでに名前の錯誤がある。
小説の冒頭で、ビルはクララとドロッセルマイヤーと出会い、その後、地球でアーヴァタールの露天くららとドロッセルマイヤー教授と会う。つまり、ホフマン宇宙での姿かたちと、アーヴァタールの姿かたちは同じ、ということになる。
だが、しかし!
ビル=井森は騙せても、こちらは騙されないぞ。
<不思議の国>でも、驚くようなことを仕掛けてきた小林泰三だからこそ、そんな単純な話ではないはず、と思う。
が、思う間もなく、くららと井森は死んでしまう。だが、ホフマン宇宙でクララは行方不明だが、遺体は見つかっていない。クララ=くららは死んだのか?
そして、探偵となるスキュデリが登場したすぐ後に出てくる新藤礼都。
なんだか、これも怪しい。本人は名乗らないが、スキュデリ=礼都とこちらに誤認させるような書き方をしている。ただ、二人の印象は全く別人のように違うので、ここで、ホフマン宇宙と地球では姿かたちが似る、という前提はやはり崩れてくる。
そして、ナターナエルの自殺(3)。クララは行方不明のまま。
いったい誰が何をたくらんで、何をしようとしているのか。ビルは巻き込まれただけなのか、それとも何か役割を追っているのか。
半分を過ぎてもまだ、ホフマン宇宙と地球のアーヴァタールの一致は、ナターナエルだけだ。まだ何もわからない。
これは相当入り組んでいるようだ……。


以下、ネタバレです。
地球でくららの遺体が発見され、ホフマン宇宙でマリーの遺体が発見される。
スキュデリは「複雑な人違いだったのよ」と言ったが、この時点で、やっとマリー=くららという図式が成り立つ。
だが、クララはいったいどこに?そのうえ、ホフマン宇宙での姿かたちと、アーヴァタールの姿かたちが同じとは限らないとすれば、地球のドロッセルマイヤーは誰のアーヴァタールなのか?
スキュデリはビルと井森に指示して、ドロッセルマイヤーを罠にかける。
井森が地球のドロッセルマイヤーに言ったことが、ホフマン宇宙のドロッセルマイヤーには通じていなかった。やはりここでも、アーヴァタールは別人。
スキュデリは関係者を集めて言う。
なぜ、マリーはクララ=くららと見せかけてビルを騙したのか。それはホフマン宇宙の探偵役を騙すため。
ホフマン宇宙のクララが死に、地球のくららも死ねば、クララ=くららが成立し、マリーに追及の手が伸びないから。
だが、死んでしまったのはマリー。
どこかで被害者が入れ替わってしまった。
犯人はクララ。そのクララはどこにいるのか?
スキュデリは「その人物は事情聴取でミスをした」と。『論理的にマリーは犯人ではない。被害者なのだから』と答えたのは、オートマータのオリンピア。マリーの遺体が発見される前にマリーの死を知っていたのは、犯人だけ。クララはオリンピアに入れ替わっていた。
それ以前にマリーとクララはドロッセルマイヤーとコッペリウスに(心を?体を?)入れ替えられていた。マリーは自分の立場を奪ったクララを憎み、殺そうとしたのだ。
だが、捕まらないためには、アリバイを作る必要がある。そのために、ビル=井森が利用されたのだった。
ところが、クララはそのたくらみに気付く。
クララのアーヴァタールは地球のドロッセルマイヤーに扮していた男だったのだ。マリーの計画はダダ漏れだった。そして、マリーの計画を利用して、クララは反撃したのだった。

地球ではスキュデリのアーヴァタールの徳さんが、ドロッセルマイヤーのアーヴァタール新藤礼都を追い詰めようとしていた。

井森は大学の食堂で女性ににある言葉を口にする。
「スナークは?」
「ブージャムだった」(4)

 



(1)ホフマン宇宙 サイクリック宇宙とかブレーン宇宙のような宇宙論からくる名前かと思ったが、単にホフマン作品の登場人物のいる世界。ということなのか。
(2)クララはデュマ親子により改変された「くるみ割り人形」の主人公。チャイコフスキーのバレエの主人公はこちら。
(3)ナターナエルはホフマン「砂男」と同じように、塔から身を投げて自殺してしまう。そこで、地球のアーヴァタール諸星も死んでしまうはずだった。ところが、諸星は飛行機事故から生還する。そして、ナターナエルの夢は見なくなり、別の夢を見るようになったという。
(4)これは前作「アリス殺し」と同じセリフ。

蜥蜴のビルは<不思議の国>からホフマン宇宙へやってくるとき、文章を読む限り、一度死んでしまったようだ。
そして、ナターナエルもホフマン宇宙で一度死んだにもかかわらず、アーヴァタールは生き返り、他の夢を見るようになる。つまり、ナターナエルは他の世界へと移動しているようだ。
これは何を意味するのだろう?
前作「アリス殺し」では地球は赤の王の見る夢―バイオ量子コンピュータのシュミレーション、ということになっていた。
これはたぶん「シュミレーション仮説」と呼ばれているものだと思う。(シュミレーション仮説とは、この宇宙が誰かの手によって作られたシュミレーションではないかという考え。難しいことは各々お調べください。実際、作者は「シュミレーション仮説」という短編も書いているが私自身は読んでない。手落ちです。書評を見る限り、アホSFらしいが)
一つのシュミレーションが終われば(赤の王が目覚めれば)、世界はまた新しく構築される、ことになっていた。世界が新しくなるということは、アーヴァタールも新しくなる(生き返る?生まれ変わる?)のではないか?
だが、蜥蜴のビルもナターナエルも、本体は一度死んだのに、アーヴァタールは生きていたし、その上、ある宇宙から他の宇宙へ転移したように見える。
これば偶然なのか?それとも、なにか別の意図があるのか?何かの伏線か?
「クララ殺し」の中では、ハンプティ・ダンプティのアーヴァタールである王子はまだ生きているし、最後のシーンは「アリス殺し」とほとんど同じようなせりふだった。だから、話の順番として、「クララ殺し」→「アリス殺し」と考えられるが、シュミレーションが再構築された世界と考えると、「アリス殺し」→「クララ殺し」なのかもしれないのだ。

徳さんや新藤礼都、何たびめかの登場。彼らもアーヴァタールだったというのは、軽い驚き。

 

 

すいません、無駄に長いですね。

満願   米澤穂信

満願       米澤穂信

 

満願満願
1,728円
Amazon

 

人生を賭けた激しい願いが、6つの謎を呼び起こす。人を殺め、静かに刑期を終えた妻の本当の動機とは――。驚愕の結末で唸らせる表題作はじめ、交番勤務の警官や在外ビジネスマン、美しき中学生姉妹、フリーライターなど、切実に生きる人々が遭遇する6つの奇妙な事件。入念に磨き上げられた流麗な文章と精緻なロジックで魅せる、 ミステリ短篇集の新たな傑作誕生!

 

 

<古典部>シリーズ、<小市民>シリーズなどで、青春ミステリ、というイメージがついていたような気もするが、「さよなら妖精」や「インシテミル」「儚い羊たちの祝宴 」など、イヤミスと言えないまでも、後味があまりよろしくないものも多い。(実は<小市民>シリーズもさわやかな青春ミステリ、ではすまない側面もある)
連作ではなく、一遍一遍独立した短編集だが、神とか、民話とか、祈りとかそういうもの(生きるとき、あるいは死ぬときよりどころとなるようなもの)が一本貫いているような気がする。
さて、この6つの短編だが、トリックミステリというわけでもないので、ネタバレ反転にはせずにあらすじは軽めに。

 

・夜警
「臆病者なら使い道がある。(略)だが、川藤のような小心者はいけない。あれは仲間にしておくのが怖いタイプの男だ。誤魔化そうとしたのが鍵のかけ忘れ程度ならかわいいものだ。実害はない。しかし、次もそうだとは限らない」
「こんなはずじゃなかった。上手くいったのに」
臆病者も小心者も同じような意味にとらえていたが、これを別物だとすると臆病者と小心者の違いはなんだろうか。
臆病者が気弱で怖がりである人、小心者は失敗すること、体面を気にしすぎる人、だろうか。
近いけれど、微妙に違う。
小心者は、ビビりなくせにプライドだけが高い人とでもいえばいいのか。
殉職した川藤は、上司の柳岡から見れば、ただの小心者だった。
そして小心者の怖さは、何をしでかすか見当もつかない、という怖さであったのだ。

 

・死人宿
6篇の短編の中で、割と好きな話。
姿を消した恋人、佐和子を訪ねっていった私。そこはいわくのある山奥の宿だった。宿の身内として働いている佐和子によれば、楽に奇麗に死ねるという、火山ガスの吹き出ている窪地があり、死にたい人たちの間で話題になっているのだ、と言う。
その後、脱衣所から遺書が見つかり、佐和子に書いた人を探してほしい、と頼まれるが。
あの世とこの世の境に位置するような宿は、富士の裾野の樹海のように、いとも簡単に死を引き付ける。
死はガスのようにあたりを漂い、冷酷にすべてを奪おうと、窺っている。
そして、自ら望めば、死はいとも簡単にその腕を広げる。誰にも止めることはできない。


・柘榴
タイトルだけで内容がわかってしまう。
鬼子母神、そしてペルセポネ。
柘榴は人間の肉の味。柘榴は冥界の果物。
一度口にしてしまえば、逃れられない。
柘榴という果物は、神話で語られるとき、どうしてこんなにもまがまがしいイメージを持たせられてしまったのだろう。
その実の形状からだろうか。血のように赤いからだろうか。
そして、赤は罪の色だから、だろうか。

 

・万灯
伊丹はいま、裁かれている。思いもよらなかった存在によって。
バングラディシュでの天然ガスの採掘開発を進めていた伊丹の商社は、思わぬ障害にぶち当たっていた。
同じ天然ガスを狙うフランスの商社が現れたこと、またパイプラインの通る村の有力者アラムが、開発を強固に反対していたのだ。だが、同じ村の指導者は開発を推し進め、村を潤そうとしていた。彼らに従いアラムを殺害した伊丹たちだったが、同じ犯罪に加担したフランス商社の森下は退職し日本に戻っていた。伊丹は森下を追って日本へ飛ぶ。森下は体調を崩していた。アラム殺害の露呈を恐れた伊丹は森下を殺害する。
だが、森下はコレラに感染していたらしい。そして、伊丹にも嘔吐の症状が。

無慈悲な神の、見えない手は誰を裁こうとしているのか?
何か恐ろしいものに、ひたひたと追いかけられる恐怖。逃げても逃げてもどこまでも追い回される。それはもしかしたら、死ぬことよりも恐ろしいのではないだろうか。
罪が露見する恐怖と、死の恐怖と。
死はすべてを奪う。
命も、そして罪も。洗い流されてしまうのだろう。

 

・関守
フリーライターの俺は伊豆半島の人が次々と事故死する峠を取材にやってきた。
峠のドライブインで店主の老婆に、それとなく事故の話をむけてみたが。
これは想像の範囲内。
都市伝説の真実。むやみやたらと、都市伝説を調べるものではありません。

 

・満願
藤井が司法試験の受験生のとき、下宿していた家の大家鵜川妙子、夫が金を借りていた男・矢場英司を殺害した。
弁護を担当した藤井は、妙子の言動を不思議に思っていた。
衝動的な犯行であり、正当防衛とした藤井の主張は認められず、妙子は懲役刑の判決が出た。だが、控訴を行わず、刑に服していた。だが、借金は夫の病死による保険金で支払われたのだった。
藤井は妙子が計画的に殺人を行ったのではないかと考えた。家宝である掛け軸を守ろうとしたのではないか。
掛け軸には血がついていたから、証拠品として押収された。だが、絵には飛んでいない。控訴を行わなかったのは、借金が保険金で支払われ、掛け軸が奪われることもなくなったからだ。

犯行の動機が身勝手としか言いようがないが、本人にしてみれば、罪を犯し刑に服してでも守りたいもの。
たぶん、こういう犯行は今までもあったのかもしれない。
誰も気が付かなかったというだけで。

 

レイナムパーヴァの災厄   J.J.コニントン

レイナムパーヴァの災厄        J.J.コニントン       

 

 

英国の片田舎で、アルゼンチンから来た男3人が次々と不可解な死を遂げていく。警察本部長の職を退き、姉の家を訪ねたクリントンは、瞬く間に事件に巻き込まれ…。犯人当ての要素を盛り込んだコニントン初期の意欲作、原著発行から85年目にして初邦訳!クリントン・ドリフィールド卿シリーズ、初期の作品を完訳。

 

 

初期の作品とはいえ、「ドリフィールド卿最後の難事件」である。
解説によれば、作者はドルフィールド卿シリーズを終わらせようとしていたのではないか、と思われるようだ。
確かに、これでシリーズが終わっていれば、意外ときれいでかっこいい幕引きだったかもしれない。
が、作者の意向に反して、他のシリーズが不発だったため、ドルフィールド卿は復活せざる負えなくなったらしい。
というわけで、「レイナムパーヴァの災厄」は作者にとっての黒歴史となってしまったようだ。
だが、作者が駄目な作品と烙印を押したにもかかわらず、かなりの野心作で、漫然と読んでいると足元をすくわれてしまう。
これが1929年に書かれているということがすでにすごい。
ともかく、一筋縄ではいかない、反則すれすれの驚きの展開が待っている。

 

 

クリントン・ドリフィールド卿は警察をリタイアした後、姉を訪ねて英国の片田舎レイナムパーヴァへやってくる。
その途中、夜道で、女性を巡って二人の男が殴り合いをしている現場に出くわしてしまう。
その場はなんとなく収まったものの、邸についてドリフィールドは驚かされる。
姪のエルシーが、アルゼンチン人のフランシアという男と突然結婚したという。姪夫婦はもうすぐアルゼンチンへ渡るらしい。
その次の朝、警察が邸にやってくる。
フランシアの自動車が道路の側溝に落ち、その中で男が死んでいる、という。フランシアは車は友人のケヴェトに貸した、と言う、が。
警察から意見を求められたドリフィールドは、現場を見て、偽装された殺人だと見抜く。
その後、近くのホテルで、ドリフィールドは知り合いの外国人医師ローカと会う。彼はアルゼンチン政府のエージェントだった。
このイギリスの片田舎で何が起こっているのだろうか。
そんな中、今度は自動車が炎上していたのが見つかった。その中にあった死体は、ローカらしい。
ドリフィールドは前日のローカとの会話で、ケヴェト殺害の犯人はローカではないか、また、その背後に人身売買組織の暗躍があるのではないか、と疑っていたのだ。
ドリフィールドは姪かわいさのあまり、もと警察関係者としてあるまじき行為に及ぶ。
フランシアの鞄をこじ開け、中を盗み見てしまう。
そこには、人身売買組織の決定的に証拠があり、姪のエルシーはそのために連れて行かれるところだったのだ。
そんななか第三の殺人が起こる。
フランシアが喫煙室で射殺されたのだ。
同じ部屋の中には、エルシーに想いをかけていたレックスがいたが、彼はかたくなに証言を拒む。
フランシアはいったい誰に殺されたのか?

 

 

続きはネタバレです。

 

部屋の中を捜索すると、薬きょうやおもちゃのねじにばね、たばこの吸い殻などしか見つからず、拳銃は出てこない。
おまけに銃声を聞いて駆けつけてきたメイドはレックスの「行くんだ!早く!」という大きな声を聞いていた。
そして、その拳銃は窓の外の茂みから見つかったのだ。
調べると、レックスの指紋が付いている。
地元警察はレックスを逮捕するが、ドリフィールドはそれに異を唱える。
フランシアは椅子に座ったまま、背後から撃たれていた。
銃声が聞こえたとき、レックスは電話中だった。それは電話の相手も確認している。電話のコードは1mほど。電話から窓際にあったフランシアの椅子までは10mは離れていた。つまり、電話をしながら拳銃を撃つことはできないのだ。
警察はレックスを釈放するが、レックスの「行くんだ!早く!」という声と、湖の向こうから望遠鏡をのぞいていた人物の証言から、ベランダに現れたエルシーが窓から撃ったのではないか、と疑う。
だが、またもドリフィールドはそれに反証してみせる。
拳銃からはレックスの指紋以外は出ていない。それは犯人が指紋をつけないように用意していたから。
望遠鏡をのぞいていた男はエルシーは手袋をしていなかった、と証言しているし、窓枠にはエルシーが体を支えようとしっかり握った指紋が付いている。だから、エルシーは拳銃を撃ってはいない。
ドリフィールドは犯人はローカの共犯者なのだろう、と示唆するのだが。

その後、ドリフィールドは遺書を書く。
自分が、おもちゃのエアガンの部品(ばね)と導火線、たばこを使って拳銃の仕掛けを作り、フランシアを殺害したことを認めるものだ。
ドリフィールドは自らの犯罪現場で地元警察を翻弄したのだった。


サスペンス調で、正統派の本格ミステリとはいかないまでも、後半、ドリフィールドの見せるロジックに、地元警察はぐうの音も出ない。自分が犯人なのだから当たり前だが、疑われた人物が犯人ではない、という反駁は冷静で論理的。
撃った人物を誰も見かけなかったことについても、(そんな人物がいないと分かっているのに)明解な推理を展開していく。
これが最近の作品なら、探偵=犯人という図式も思い浮かぶが、半世紀以上前の作品というのだから、驚き。


ただ、ひとつピンとこなかったのが、自動車の説明。
スロットルはアクセルのことか?でもアクセルのことも書いてあったから、ますます?
調べたら、今はアクセルペダルとスロットルをワイヤでつなぐのが、一般的らしい。アクセルペダルを踏めば、スロットルが開くということか。
昔の車って、スロットルを手動で操作したんでしょうかね?よく分からない……。
AT車なら、ハンドレバーだけだし、ペダルもアクセルペダルと、ブレーキペダルだけ。
昔の車って、変速がかなり難しかったみたいだ。自分だったら、手足バラバラになりそう。慣れれば運転出来るのか?