気づく
誕生日を迎えて、ふと現実に気づいた気がした。
”いい大人になって”、私は何をしているのだろう。何をしようとしているのだろう。
何もしていないし、何もしようとしていないのではないか?と。
ずっと5年前のことを引きずってきた。と、思っていた。
失った、と思っていたものは、私の手の中から消えてしまったのではなく、見ることをやめていた、だけではないのか。と。
フリカエル
お盆休みも今日で終わりでして、なんだか毎日流され続けるだけの日々のような気がしていて、ここらできっちりようく考えてみようと思っていたのだけど、時間があったとて、すっかり自分と向き会うことはできなかった。
つまり、私は自分と向き合うことから逃げているのだと、ようやくそのことに気づいたのだ。
何をするのも怖くて、私は逃げているだけなのだ。いろんな理由を足かせと見せかけて。
ホントにやりたいことは何なのだろう。ホントに自分があるべき姿とは何なのだろう。
私は逃げずにこれから毎日この問題と向き合わねばならない。
私は私をあきらめてはいないのだ。
でも、このままでは、いいわけをするだけのことだ。
青春という名の日々
大学時代の友人に会うために、車でそこへ向かった。
私が大学時代を過ごした街へ。
そういえば、ここしばらく足が遠のいていた。
理由はない。行かない理由も、行く理由もなかった。
久しぶりの街だった。
バイパスができていて、その道を行けば友人の家には近いことはわかっていたけれど、
大学の周辺を通りたくて、わざと遠回りした。
そこかしこに懐かしい景色あって、なんだか青春の臭いがするな、と思った。
思って、”青春”と言う言葉を何のてらいもなく使えることが我ながらおかしくもあった。
私の大学時代は、既に遠かりしものとなったのだと思った。
その思い出をひきずって生きていることは、もしかしたら何の意味もないのではないかと、
思えたりもした。
今ここにいる自分とあのころここにいた自分と。
何かが大きく違ってしまっているのだろう。
そのことに気づくのが少し遅かったのかもしれない。
青春という名の日々に出会 えた一日の軌跡。
私の心に確かに何かを残したようなのです。
本当のわたし
性格診断、なるものをやってみた。
結果、均整のとれた申し分ない性格です、と出た。
本当かー?
まっすぐとは、自分でもいいがたいと思うが、出るところは出る、引くところは引く、というところは、
性格とかじゃなくて、大人の常識として身についている、と思う。
もういい年なのだ。
さて、本当のわたしは何なんだろう。
先日、元の職場の同期と会って、辞めずに会社に残っていれば、私はどうなっていただろうと思った。
ちょっと前まではそんなこと考えるのも悔しかったのに。
今でも大きな声では言わないが、そのことは自分の中でちょっとした疑問になった。
それは、辞めたことを後悔しているから、ではなくて、今の自分に不満があるからだ。
今の自分は本当にやりたいことをやっている自分ではない。と、私は思っている。
5年近く勤めた会社を辞めたのは3年前。それから会社を2つ変わった。
営業で会社の前線で働いているという自負は、きついなりにもやる気になった。
それからベンチャーで製造業に首を突っ込み、今は地元に古くからある会社で事務やさんだ。
ある程度自由も聞くし、やりがいのない、仕事ではないと思う。
職場という環境ではなく自分自身だということも知っている。
しかし、今の私は流されることに慣れてしまっている。
だから、新しい世界を夢見るのだ。今、ここにいる自分は本当の自分ではないと。
それすらも、本当は本当の自分ではないのかもしれないのだけれど。
自信を裏付けるもの
自分の生き方に自信を持って生きている。
見栄っ張りで自信家の私は本気でそう思っている。
しかしながら、本当の所はそんな自信など何もない。
いつも後悔して生きている。
これでよかったのかと。
私の選んだ道は間違っていたのではないかと。
それでも自分の人生を信じていたい気持ちに変わりはない。
例えそれを裏付けるものがなかったとしても。
自分が思いもしなかったところで、その自信を裏付けてくれるものに触れたとき、
だから私は心底感謝する。感動さえするほどに。
また、自身で肩をいからせて、風を切りながら、歩いていける。
やさしい気持ち
気持ちにもいろいろあって、喜怒哀楽とはいいますが、それだけでは到底あらわすことのできない、自分でも説明のしようのない感情が、あるものです。
私は今その感情を上手く表現することができない。
できないのだけども、何かに残しておかなければいけない気がしてたどたどしく口を開いたわけ。
死というものは、生きるということをくっきりと際立たせるものなのかもしれません。
対極にあって、決して反対などではない。隣り合わせで、紙一重の世界。
死という現実を突きつけられたとき、誰もそれに抗うことはできません。
生きていく者は、なんらかの理屈をつけて、乗り越えていくようになっているのかもしれない。
死が生きるということを意識させることになる。
いくつになっても、自分の生き方に自信などもてないでしょう。
けれども私は生きていく。
自信のない人生も、私の輝く人生なんだと、ずうずうしくも心の片隅に思っておきましょう。
でなければ、生きながらにして死んでしまう。
喜でもなく怒でもなく哀でもなく楽でもなく、
喜のような怒のような哀のような楽のような、
つまりはあらゆる感情のあるようなないような高まりが、今私の胸に渦巻いているのです。
誰も誰かを責めたりしない。
いつも誰でも支えを必要としている。
そのことが私をやさしい気持ちにしているのかもしれないと、ようやくわかり始めたのです。
好きなものを選ぶ人生をいきたい
本屋に行くと、読みたい本を選ぶ。
自分が読みたいと思う本を選ぶ。
私の場合、ベストセラーと言われると読む気が失せる。
ブームになればなるほど意固地になる。
そして、ほとぼりがすぎてからこっそり読む。
ということがよくある。
本は読みたいと思うものを選ぶ。
もちろん読みたくなくても読まなくてはならない書物が存在することも否定はしないけど、
普通は読みたい本を読む。
きっとみんなそうだと思う。
しかし、洋服を選ぶ時はどうだろう。
こういう服を着るべきだ、こういう服は着るべきでない、と思うこと、ないだろうか。
反対に自分が気に入った服、好きな服も、自分の年格好ではどうだろう、と考えることが
なくはない。
自分の好きか嫌いかじゃなく、誰かの視線を気にして選んでしまう。
無難なものを選んでしまう。
まあ、着るべき服より、自分の好きな服を選んで失敗することもなくはない。
多いかもしれない。
でも、自分の好きな服を選ぶことは自分にとって、わくわくするような素敵なことだ。
失敗もするけど。
人生を選ぶ時はどうだろう。
本のように、洋服のように、選んだ道を簡単に取り替えることは難しい。
一つの失敗がとても怖い。
けれども、私は私の好きな生き方をちゃんと選んでいるだろうか。
できそうでできないことですが。
ドラマの世界さ
今シーズンは、負け犬が主役のドラマが人気というので、身につまされるのはわかった上での
ことだけども。
私は稲盛いずみの曲がり角の彼女、と篠原涼子のanegoを見ております。
anegoの方が評判はいいみたいだけど、私は曲がり角の彼女が好き。
でもまあ見てて、実際にはありえない話やわな、とは思うわな。
ドラマの世界さ、と思えちゃうところはいっぱい。例えば相手が年下の副社長とかさ、
ありえないものねー。実際には。
そう思うとAnegoの世界の方がリアルに近いのかもしれません。
しかし、今日、Anegoを見ていて、どろんと疲れてしまった。
そおりゃそーよねー。10コ近く上のAnegoからプロポーズされちゃったら、ああなるわな。
そして次に控えるのが不倫?
そのリアルが重い。
恋愛とか結婚に年齢は関係ないんだろうけど、やっぱ30代ていうのは重いねー。
20代のころは結婚なんてしなくても、私には何かがあるさと思っていたけれど、
その何かに見放されるかもしれないという不安と背中合わせの30代は、
惑わずにはいられません。
だか らせめてドラマの世界だけでも希望を持ちたいのよ。
汚れた舌は、論外。
うががー
阪神巨人戦。
再三のチャンスにもかかわらずー、阪神の負け・・・。
風呂場でうがーとうなってしまった。
気を取り直して気持ちは週末中日3連戦へ。
それにしても、開幕から面白い試合が続いていると思いません?
