≪スープ・オペラ≫阿川佐和子
- 阿川 佐和子
- スープ・オペラ
トバちゃんの店は、もうずいぶん前からお客さんがほとんど来なくなっている。昔のように街の洋装店で服を作る人はいなくなってしまった。そのかわりにリフォームの注文が来るようになった。多くて日に十人、ひどいときは一日一人なんてこともある。
いずれにしろ単価が安いので、たいした収入にはならない。しかしそんなことをトバちゃんはいっこうに苦にしない。苦難が顔に表れにくいタチなのだ。
でも私にはすぐわかる。献立が変わるからだ。経済的に苦しくなると、トバちゃんは決まって鶏のガラを買ってきた。いちばん頻繁だったのは私が高校生の頃で、二週間に一度ぐらいのわりだった。
それも、肉屋さんを半ば恐喝し、なるべく身の多くついているガラを手に入れる。
「ルイ、見てごらん。こーんなにお肉のいっぱい残っているガラ買ってきたよ。このお肉をこうやってはがせば、ほーら、こんなに取れる。これで今夜はチキンライスを作るからね。残りはスープにして。大ごちそうだね、ルイ。これ全部で79円だぞぉ」
鶏ガラに関してトバちゃんは天才だった。そのみごとな工夫の数々は、『暮しの手帖』に発表しても話題になるのではないかとさえ思われた。
一羽分の鶏ガラの、あちこちにへばりついている身を丁寧にこそげ落とし、細かく叩いてそぼろ煮を作ったり肉団子にしたり、ネギと一緒に卵でとじて親子どんぶりを作ったり。さらにすっかり骨だけになったガラをたっぷりの水でコトコト煮てスープを取る。
このスープでだいたい一週間はもつ。
「覚えておきなさい。鶏ガラスープは栄養満点なの。これさえ作っておけば安心なんだからね。お雑炊もお粥もできる。そのままご飯にかけてお塩とこしょうで味付けして、海苔をパラパラってのせるだけで、おいしいスープご飯もできちゃうんだから」
思えば私は素直な子だった。お粥も雑炊もスープご飯も、みな似たり寄ったりなのに、トバちゃんにまくしたてられると、なるほど鶏ガラは何品もの料理を生み出すことができる魔法の骨だと感心した。
トバちゃんの作るスープご飯はたしかにおいしくて、ちっとも飽きることがなかった。食べる前に採点するのも楽しみの一つである。
スープが完璧に澄み切っていて、なかのご飯の一粒一粒が透けて見えるときは「二重丸」。ところがたまに濁っている場合がある。そのときは、「三角!」。
トバちゃんにも自覚があるらしく、「ミシンに熱中してたら沸騰させちゃったの。一度沸騰させると濁るのよねえ」と、素直に失敗を認める。
どんなに美しく澄み切ったスープを作ることに成功しても、毎日温め直しているうちに、どうしても白濁していく。
スープのなかで行儀良くうずくまっていたガラが、長湯をしすぎた老婆のようにふやけ、骨もバラバラに崩れてしまう。そうなるとトバちゃんは、「白いスープは中華風」と言って、具に春雨や白菜や椎茸などの野菜を加え、新たなメニューに仕立て上げる。
しかも、「ここまで煮込むと骨も食べられるのよ。ガラってホントに無駄がない」と満足げな顔でニンマリ笑う。
そんな堅実トバちゃんのおかげで私は無事に高校を卒業できた。いよいよ働きに出て家計を助けようと思ったら、卒業する半年前になって唐突に、「あんたはなんとしても大学に進みなさい」とトバちゃんがいきり立った。
もう学校はいいよ、早く社会に出たいよと、いくら言っても聞いてはもらえず、結局、妥協案として短大へ進むことにした。
結果的には短大での二年間は楽しい思い出になったし、その後、私立大学の事務局に勤めることにしたときも、たまに合コンをするときも、「短大出」という肩書きが案外有効であることを知り、トバちゃんの言うことを聞いておいてよかったと思った。
そういえば合コンでショックなことがあった。あれはたしか二十六歳の夏休み前だった。男女三人ずつで中華料理を食べ、二軒目のバーでなんとなくできあがった三組のペアがそれぞれ並んで座って焼酎のウーロン割りを飲んでいたときだ。
私とペアになった大学病院の薬剤師が言った。
「ルイさんって、エラ、張ってますね」
驚いた。生まれてこのかた、エラの張った顔だと指摘されたことはない。
「え、あたし、エラ、張ってます?」
私は反射的に顎に手を当てた。
「いや、悪い意味で言ってんじゃないんですよ。エラ張ってる女性って貴重だと思うんですよね、今の時代」
男は慌ててフォローしたが、まったくフォローになっていない。すると彼の隣にいた、いかにも脳味噌の軽そうな新米外科医が割り込んできて、甲高い声で言った。
「こいつ、ホント、変わった趣味なんっすよ。丸より四角いほうがいいって。な、いつもそう言ってるよな、お前」
もし私が不治の病になっても、絶対コイツの世話にだけはなるまいと心に決めた。
その夜、私は少し落ち込んで家に帰ると、トバちゃんはテレビの深夜番組に見入っていた。ためしにさりげなく訊いてみた。私はエラが張っているかと。そうしたらトバちゃんは、小さな目を見開いて、言ったのだ。
「あったりまえじゃない。だってあんた、あたしの姪よ。血つながってるんだもん。今まで気づかなかったほうが不思議なくらい。ま、あたしと一緒にいたから目立たなかったのかもね」
そんなこと言われても納得できない。自慢じゃないが、私は何度も、オードリー・ヘップバーンに似ていると言われたことがあるのだ。そうトバちゃんに食い下がると、
「あら、偶然だ。あたしも昔はよくオードリー・ヘップバーン似だって言われたわよ。特に『昼下りの情事』のときの彼女に似てるんだって。あの人もエラ張り美人だもんね。あたしたちと同じだよ。自信持ちなさい」
そしてトバちゃんは、エラが張っている人間のほうが骨が丈夫で長生きするとか、我慢強いから金持ちになるとか、力持ちが多いとか気だてがいいとか、論拠のあるようなないような話をたくさんして私を慰めてくれた。
以来、私は合コンから足を洗った。急に興味が失せたのだ。すると妙なもので、たちまち恋人ができた。
二十六歳の九月のことだ。彼は同じ大学の事務局に勤める、私より五歳年上の人で、長らく挨拶を交わす程度の仲だったが、たまたま帰りが一緒になり、話してみたら予想外に意気投合した。
スネ夫というのが彼のあだ名で、本名が純男(すみお)であるうえに顔も似ているからと、小学校の同級生につけられたそうだ。そう言われればたしかに逆三角形の顔のつくりや切れ長で一重の目が似ているような気もするが、性格がひねているような印象はない。
話してみると素直で優しくて、上目遣いで人の顔を窺う癖があるけれど、あの漫画のキャラクターとは似ても似つかないと思われた。
二人がつき合っていることは、余計な噂になるのが面倒なので仕事場では内緒にしていたが、トバちゃんには報告し、つき合い始めて一ヶ月ぐらい経った金曜日の夜に、家に連れていって紹介した。
トバちゃんはとても喜んで、さっそく得意の鶏ガラスープでもてなしてくれた。
その頃はもう、私の収入もあったので、トバちゃんの店がたいして儲からなくても経済的には苦しくなかったが、トバちゃんは相変わらずいつもの肉屋さんで肉厚の鶏のガラを買ってきてはスープを取っていた。
もはや鶏ガラスープを作るのはトバちゃんの趣味だった。私の誕生日や卒業式、初任給をもらった日など、記念的な日になると、いつも私に訊いてくる。
「今晩、何にしようか」
訊かれるので、あれこれ思い巡らせるのだが、私が答える前に、
「よし、やっぱりスープご飯にしよ。最近作ってないし。あんた、大好きだもんね」
そう言われると、いやとは言えない。
「どお、お口に合うかしら」
スネ夫の隣に顔をすり寄せて、トバちゃんは何度も味の感想を求めた。トバちゃんとしては遠慮がちに訊いているつもりらしいが、スネ夫がスープをスプーンですくって一口すするたびに同じ質問をし、その都度、緊張気味のスネ夫は何か言おうとして必ず咳込む。
咳込むから答えにならず、トバちゃんがまた訊き直す。それでもサービスが足りないと思ったか、「味が薄いかも」と言いながら無理矢理、塩を勧めたり、「辛くしてもおいしいわよ」と七味唐辛子を横から勝手にふりかけたりと、お節介を焼き続けた。
私はその夜、スネ夫が帰ったあと、トバちゃんと喧嘩をした。スネ夫は明らかに気分を害していた。そうでなければスープご飯とニース風サラダとチキンカツを食べ終わり、コーヒーを飲んですぐに暇乞いをするわけがない。所要時間はたったの一時間半。
六時半に来て、きっかり八時に帰っていった。もう遅いからなんて、八時のどこが遅い。
「連れてくるんじゃなかった」
私は暗い声で呟いた。
「じゃ、外で食事してくればよかったじゃないの。スープご飯じゃ失礼だったってこと?」
「そうじゃないよ。でも、もっとそっとしておいてくれればよかったのに」
トバちゃんが食卓のお皿を片づけながら、言った。
「あたしはそっとしておきましたよ」
「してなかったよ。質問攻めだったじゃない」
「だってルイの好きな人がどんな人か知る権利はあるでしょうが。保護者なんだから」
「でもあんな根ほり葉ほり。出身はどこ? お父さんは何する人? 兄弟は何人? 好きな食べ物は? 趣味は? って。初対面の人に訊きすぎだよ」
「訊いて何が悪いの。スネ夫さんだってちゃんと答えてくれてたわよ」
「答えてはいたけど、絶対、不愉快だったと思う。だからさっさと帰っちゃったんだもの」
「じゃ、あたしがスネ夫さんを不愉快にさせたって言いたいの?」
あの晩は、二人とも興奮していた。なにしろ十年ぶりの事件である。中学三年生のとき、クラスメイトで好きだった男の子を家に連れてきて以来の快挙だ。トバちゃんが張り切るのも無理はない。
私にしても、短大を卒業して大学に勤めて、久々にやっと見つけた恋人だったのだ。この恋を逃したくない。一週間後、スネ夫は予想通り、気まずそうな顔で私に謝った。
「すみません、ぼくたち、友だちでいるほうが……」
弱火にして、静かに煮込まれていく鶏ガラスープを見ていると、昔のことをいろいろ思い出す。あれから九年経ち、今では大学でスネ夫にばったり会っても、胸がチクチクしなくなった。あんな弱虫で根性なしの男となんか、別れてよかったのだ。
ただ、今後自分はどういう人生を送るのかと思うと、少しだけ不安になる。
「なに、浮かない顔してんのよ」
隣の部屋で縫い物をしていたはずのトバちゃんがいつのまにか隣に立っていた。
「びっくりしたー。やだ、脅かさないでよ」
「あ、驚いた? もっと驚くことがあるんだけど、聞きたい?」
トバちゃんは妙にウキウキしている。
「なにその、うれしそうな顔」
「聞きたい? 聞きたい? さあ、何でしょう。聞いたら驚くぞー」
じらして何を言う気なのだろう。私は玉じゃくしを振り上げて、怒るふりをした。
「もう、聞きたいから早く話してよ」
「じゃ、発表します。私、この家を出て行くことに決めました。オトコができちゃったの」
ケロリと言ってのけると、トバちゃんは鼻歌を歌いながらスープの味付けを始めた。
第2話 残された部屋
トバちゃんが出ていった。五月のよく晴れた日の朝、本当に出ていってしまった。
物心ついて以来三十数年、トバちゃんと私はずっと二人で生活してきたのである。なのに、こうあっさり別れることになろうとは思ってもいなかった。
この家を出るとすれば、当然、私のほうが先だと思い込んでいた。それが世間一般の常識というものだ。親がわりのトバちゃんを残し、私が巣立つ。ところが現実は逆だった。
残されたのは私のほうである。
≪ 阿川佐和子 (あがわ・さわこ) ≫
1953年、東京生まれ。慶應義塾大学卒。
報道番組のキャスターを経て渡米、1年間アメリカで暮らす。帰国後、エッセイスト、インタビュアー、司会者として活躍。
1999年、『ああ言えばこう食う』(檀ふみとの共著)で講談社エッセイ賞、2000年には『ウメ子』で坪田譲治文学賞を受賞した。
◇◇◇書評二題◇◇
※ 『阿川佐和子はホント、うまい』(北上次郎/文芸評論家)
阿川佐和子の小説のうまさに今さら驚いていてはいけない。坪田譲治文学賞を受賞した『ウメ子』は、みよちゃんとウメ子の幼稚園生活を鮮やかに描いていたし(特に個性豊かなウメ子の造形が抜群)、数年前に上梓された『屋上のあるアパート』は、ウェブマガジン編集部に勤める二十七歳の麻子を主人公にした都会派軽恋愛小説の傑作だった。
その『屋上のあるアパート』を評したときの末尾を引く。
「『屋上のあるアパート』と『ウメ子』は、ジャンルの異なる小説ではあるけれど、この二作を読むと共通性があることに気づく。食べるシーンがことさら多いわけではないのだが、強い印象を残すのである。『屋上のあるアパート』の試食パーティーの場面、あるいは『ウメ子』に出てくるマカロニサラダなど、阿川佐和子が描くと、とっても美味しそうなのだ。肉感的といってもいい。ならば、次なる作品は、ぜひとも料理小説、あるいは食事小説を書いていただきたいと思うが、どうか」
おお、自分で自分を褒めてやりたい。というのは、今度の『スープ・オペラ』はまぎれもなく料理小説なのである。いや、こういう書き方は誤解を招くので言い換える。料理の場面が前二作に比べて圧倒的に多い。控えめに、そう書いておくにとどめる。
タイトルにもなっているように、その中心はスープだ。たとえば、ルイが、トニーさんと康介と三人で共同生活を始めることになったとき、その条件の一つに「食事当番は、かならず一日に一品、スープを加えること」という条項を入れたほど、このヒロインはスープにこだわっている。トバちゃん(ルイを育ててくれた叔母で、電撃的な恋をして家を出ていく)の鶏ガラスープで育った影響がずっと残っているのだ。トニーさんと入った洋食屋のガスパチョも美味しそうだが(これはレシピつき!)、その意味でこれはスープ小説といってもいい。
『スープ・オペラ』は〔ソープ・オペラ〕(アメリカの連続通俗ドラマ。石鹸会社が提供したのでこう言われる)にかけたタイトルと思われるが、したがって美味しそうなスープが次々に物語に登場してくる。
ヒロインのルイがひょんなことから、放浪の老画家トニーさんと年下の青年康介と三人で共同生活を始めることになるのが物語の縦糸で、さまざまな料理とスープが横糸だ。
トバちゃんを始めとするわき役の造形が例によって群を抜いているが、なんといってもヒロインのルイがいい。トニーさんとすごく深刻な話をしているとき、トニーさんが「ご飯をスプーンですくってスープのなかに入れ、スプーンの背でペタペタ押さえ、スープに浸している。その上に、数滴、お醤油とレモンを垂らし、さらに七味をふりかけた」のを見て、このヒロインは「おいしそうだ。私も真似してみよう」と思っちゃうのである。繰り返すが、深刻な場面なのである。重大事なのである。「私も真似してみよう」なんて思っている場合ではないのだ。それなのに食欲が勝ってしまうのだから、爽快なヒロインといっていい。『屋上のあるアパート』を思い出す。ゴリラ男と仕事のために食べ歩く麻子は、彼への感情が恋なのかどうかわからず、二人きりになると緊張するものの、レストランに入ると恋の感情が食欲に負けてしまって、そんなことはどうでもいいやと思ってしまう。麻子はまず食べようと思うのである。ルイもまた、そういうヒロインだ。こういうヒロインを描くと、阿川佐和子はホント、うまい。いや、美味すぎる。
小説家井上豪の講演中の台詞をここに並べれば、この小説の意図も見えてくる。彼はこう言うのだ。
「人間と人間の出会いというものは、そこに恋愛感情とか特別の感情が付随しない場合でも、あるいは関わった期間がどれほど長くても短くても、それには関係なく、人生にとってかけがえのないものになる場合があるということです」
ルイは三十五歳。結婚願望がないわけではないが、なんだかなあという思いの中にいる。そのルイが「恋愛感情とか特別の感情が付随しない場合でも、あるいは関わった期間がどれほど長くても短くても、それには関係なく、人生にとってかけがえのないものになる」奇跡と遭遇するのがこの物語なのである。軽妙な物語であるのに読み終えても胸に残るのは、その奇跡がまぶしいからだろう。いい小説だ。
”週刊ブックレビュー ”でも書評家の吉田伸子さんが取上げていた。特に、「鶏ガラスープは美味しそうで、そのレシピを知りたいなあ」と感心、それに応じて司会の中江有里も”云々”と頬を緩ませながら頷いていたのが印象に残っている。
釣られて自分は「日本のスープで一番美味いのは、どういうスープだろうか」と書評そっちのけで考えてしまった。結論、京都産の大根の葉と塩と水・・・・・・!
< 本の内容 >
テレビでもおなじみの著者が、ちょっと不思議な、男女3人の恋模様を描いた長編小説です。
5月のある日、35才のルイは、一緒に暮らしていた叔母に置いていかれ、一人暮らしを始めることに。ようやく一人にも慣れ始めた頃、突然、派手なアロハシャツを着た白髪の男が現れます。「トニー」と名乗るその男と、知人の紹介で知り合った青年・康介。いつの間にやら、3人はルイの家で一緒に暮らし始めます。
トニーさんはルイの生き別れの父親では?
ミステリーの味わいもちりばめられた、新しい感覚の恋愛物語です。
人は社会で長年生きて、垢や埃ばかりがつくのでもない。自分というスープに溶け込む具(相手)によって、オペラのような舞台にも人生はなるのだ!
そう思わせる作品!