永六輔さん78歳。去年パーキンソン病と診断された。
しかしラジオは続けている。「前傾衝突型歩行を直しているところ」と語り、隠さない。それを客観的に見て笑いにしている。
パーキンソン病と前立腺がんを抱えて、その「戦いの夏」を追った。
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被災地支援のため、孫に付き添ってもらって東北地方を訪問。
孫の良太郎君、と小室等さんが同行。
永さんは自分の目で見たことを大事にしてきた。今回も障害者の施設を訪問。弱い立場の人たちが、大災害でどうしているのか確かめる。通所の老人施設「ささえ愛 山元」を訪問。支える人たちと話をする。
仙台市の長町仮設住宅では小室等さんとトークライブ&コンサート。
こういったことで聞いたことをラジオで話す。
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放送作家として世に出てヒット番組を作り、作詞家としても「上を向いて歩こう」は言うまで無い。その後もタレントとしてもテレビ出演する。
パーキンソン病に冒されてからは、声も良く出ない時期があった。
番組には「何をしゃべっているかわからない」という投書と、「それでも頑張ってください。」という投書が半々だった。
親しい矢崎泰久さんも心配だったと語る。しかしその声を不安に思いながらも多くの人々が聞いていた。
医者嫌いだった永さんがいろんな医師の診察を受けた。
永さん「当人にはろれつが回っていないかどうかがわからない。それが難病たる所以」
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永さんは夏の京都で1ヶ月頑張る決意をする。
1973年に第1回開催となった宵々山コンサートを今年も続けるというもの。
フォークソングの盛り上がった時代、永さんは作詞をやめた。自分達で作った歌を自分達で歌うことの力に新しい時代を見たから。
第15回の様子をVTRで流れる。
永さんは、このコンサートを今回で最後と決めていた。若い世代に引き継ごうと考えていたからだ。
永さん「僕が考えている終わり方になったら、ちょっと素敵だと思う。」
合間を縫って、京都の知人を訪ねる。高校生だった頃からの付き合いになる渡辺都さん。当時は松江にいた渡辺さん。大人になって結婚して、京都のおかみさんになっている。
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永さんは民族学者の「宮本常一」さんの言葉を大事にしている。「スタジオで想像するなよ。」
宵々山コンサート前の1週間いろんなイベントを仕掛ける。
お寺の説法、喫茶店のトークショー、高石ともやさんとのやり取り。
妻を亡くした永さんと高石さん、自然とその話になる。
永さんは妻の昌子さんに旅先から手紙を書いて出す。
永さんは「大往生」という新書を出している。老いや死が、わりと近い時期になり、やれるのはせいぜいあと5年と語る。
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この夏、永さんはモンゴルに招かれた。第15回モンゴル国際マラソン。草原を走るおおらかなマラソンだ。
永さんはもうひとつの目的。旧知の近さんを訪ねる。住まいはウランバートルから自動車で7時間もかかる。
近さんは遊牧民とともに草原を移動して暮らしている。テント(パオ)の中に入り、暖かいミルクで一息入れる。
70歳を越えて異国の地で暮らす近さん。その暮らしも悪くないなと永さん。
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再び京都での活動。お寺の本堂でトーク。リハビリで♪上を向いてあるこう!を歌ったといって集まった人を笑わせる。
円山公園野外音楽堂、ここがコンサート会場。そのイベントの嗜好を出演者に説明。
そしていよいよ第30回の宵々山コンサートが始まった。
永さん「人が集まるってことを大事にしてください。」と挨拶。
高石ともやさんから始まり、人間国宝の桂米朝さんが、車椅子に乗り久々に姿を見せる。会場も大拍手。
八坂神社の「おけら火」が人から人へと渡されて、灯しながら「上を向いて歩こう」を合唱。
中島啓江や有森裕子などがステージに見える。
最後は観客がステージを通ってから横に出る形式で別れを告げる。
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9月、「夏は旅をしたいという思いだけだったけど、それが出来て、今後何をしたいかも見つかった。とてもいい旅でした。」