ウクライナの首都キエフ。北に130km走るとあのチェルノブイリだ。

5月下旬撮影が許可された。放射線量は3.5マイクロシーベルト。

建物は鉄骨で強化されたが、今でも放射能は漏れ続けている。5万人の住民がいたプチャリ市は強制退去で誰も居ない廃墟となっている。幼稚園のあった場所、遊園地などを撮影。マンホールに計器を近づけると高い放射線量を示した。排水溝に汚染水を流したためだ。

ミンスクに住んでいてモギリョフに遊びに行って被曝した女性。

首には20年前に受けた甲状腺がんの手術跡が生々しく残る。

この町に医師がやってきた。日本人の日本医科大の外科医・清水一雄(62歳)教授だ。12年前からチェルノブイリに通っている。1998年、清水教授は世界で初めて内視鏡を使った甲状腺ガンの手術に成功。内視鏡を使うため手術痕が小さく、完治も早いという利点があった。そして翌99年に清水は、単身チェルノブイリへボランティアとして渡った。事故から13年、そこで見たのは「20年遅れた医療技術では、ガン患者を診断することさえできない…」という現実だった。そこでこれまで現地にはなかった日本の最新検査システムを導入、ガンの早期発見・早期治療を実現するため、ロシア人医師たちの指導を始めた。そして「自分の開発した技術で若い女性たちを救いたい!」という思いで2009年からは、日本医科大の医学生たちを連れて、現地の病院で内視鏡手術を実施(日本製の機材を日本から持ち込む)。これまで一般的 ・セったメスを使った手術は大きなキズが残ってしまう(現地ではそれを隠すためタートルネックの女性が多い)。内視鏡手術は、20代の女性たちにとってまさに夢のような技術であった。今後は現地でも内視鏡手術ができるよう、研修を進める予定だ。

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江口君・・・チェルノブイリの場所、汚染地域を説明。甲状腺がんに4000人が発症した。そこで働く医師の活動と日本への適用とは。

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1986年4月26日、チェルノブイリ原発事故が起きた。現場では、様々なガンで数万人の住民が亡くなっている。とくに女性が多く発症する甲状腺ガンは、放射線による影響が最も指摘されている。

ミンスクでは当時被曝したため、甲状腺がんを発症した患者が多い。

放射性ヨウ素は甲状腺に集まる性質がある。1986年の事故から25年たった今も健康被害があり、甲状腺がんが増えている。事故の前と比べると73倍もの発症率だ。年間手術者1500人の8割が甲状腺がんだ。

東京・文京区の日本医科大学の清水一雄外科部長は、内視鏡を使用した手術の第一人者。1970年に患者を来日させて手術し、手術跡を残さない内視鏡手術で喜ばれた。

清水さんはベラルーシの医師に技術を伝えるため、毎年訪れている。

この日も清水さんは、若い女性タチアナさんの手術を行う。スタッフは助手以外はベラルーシの医師と看護師だ。ところがいきなり手術台の金具が入らない。日本から持ち込んだ器具をスタッフが落とした。電気メスが使えない。などなどトラブル多発。

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清水先生の手術は吊り上げ式内視鏡手術といい、先生が女性の患者が多いことから編み出した。別室では手術の様子を多くの医師が見つめる。無事に右甲状腺を取り出した。「だいたいスムーズに行きました」と清水先生。

翌日、清水先生はタチアナさんの病室に向かい、キズの経過を確認。特に問題は無かった。タチアナさん「胸元の開いたおしゃれな服も着られるのでうれしいわ。」

清水先生は現場で手術が可能になることを願っている。

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福島県相馬市と県では被ばく線量の調査を開始。子供たちの甲状腺の状況を検査するという。清水先生は、エコー検査で簡単にわかり、早期発見されれば簡単に治ると語る。

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江口君・・・東京板橋区の普通の住宅の中にある町工場の雰囲気の一木製作所を訪問。様々な医療用ハサミが製造されていた。手作業部分がほとんどだ。

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長野県岡谷市、精密機械工場が集まるこの町に、全国の医師たちが詰めかける会社がある。リバー精工は、大手医療機器メーカーとは違ったアプローチでユニークな製品を作り出す会社。社長の西村幸(みゆき)(60歳)氏。従業員は22人。小さな部品が手のひらに!0.3ミリの部品だ。

小さなハサミになったが、医療機器で内視鏡に付けるオーダーメードの超極小「ハサミ」だ。通常は電気メスだが、極小ハサミは操作が飛躍的に向上した。

西村さんは元々、モノづくりの世界に身を置いていたわけではない。実は、法務省の官僚。地元・長野に戻った西村氏の目にとまったのが、家内制手工業で作られる医療器具の部品だった。人の為に頑張れるのはこの仕事だと思い、30年前に西村さんは職人のもとに弟子入りし、半年間技術の取得に没頭した。

注文は西村さんを知る医師から入る。5月中旬、山形県酒田市に西村さんが向かった。担当医が待ち望んでいたのは大腸がん手術用の極小ハサミ。患者の腫瘍の形状に合わせて作られていて、開腹手術を強いることなく腫瘍を切除できる。

手術は麻酔の必要も無い。西村さんも手術に立会い、ハサミの様子を確認する。見事にがん細胞を切り取っていた。患者からも喜ばれた。

手術終了と思いきや西村さんのお腹に内視鏡が入った。西村さん自身もがん患者で2度手術をし、今も薬の治療をしている。今回も検査したのだ。西村さんは5年前に大腸や胃など5つのガンがあることが判明。それ以来、自らもガン患者の身として、患者にとっても負担の少ない器具を作ることを目指している。
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5月中旬、西村さん新たなハサミを作っていた。依頼者は盛岡の遠藤先生。熊谷巌さんの手術に合わせて依頼した。西村さんは手術に間に合うように造って、持参した。

今回はがん細胞の下からハサミを入れて持ち上げるように手術をしたいという要望で、ハサミに僅かにわん曲を入れた。

午後胃の内視鏡手術が行われた。すぐに西村さんのハサミの出番となり、狙い通りにがん細胞の下にハサミが入り、カーブをつけたことで切れ味も増した。手術は30分足らずで成功した。熊谷さん「清々した。」と感想。

岩手の手術から1週間後、いつものように作業場でハサミを作っていた。

西村さん「日本が世界に勝てるのは医療」

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中国でもがん患者の内視鏡治療は人気だ。

最近では海外からも注目され始めている。世界中からその処置具を試してみたいというオファーが来ている。日本の最先端医療を世界に広めていくために西村さんの活躍は続く。