4月4日福島。報道が自粛された原発20km圏内に鳥越がいた。

線量計を手に瓦礫の町を歩く。

2005年にがんが見つかり、その後4回の転移による手術を受け、大腸がんはかなり重度だ。しかし筋肉トレーニングに励み、まだまだ意気軒昂。

新聞記者・雑誌記者・ニュースキャスターとして、特ダネは数知れず。

「真実は現場にあり」と、危険を恐れず現場に出向いてきた。

闘うジャーナリストの生き様を見よ!

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龍さん「自分自身を取材して公表してこられたが、新聞記者の魂を感じる。ものの見方、捉え方についてビジネスマンにも参考になるかと。」

1965年毎日新聞記者としてスタート。

1976年サンデー毎日に異動。そこで浜幸のギャンブルを取材。パリへの飛行機で隣に座り、渾身のスクープを書いた。

1989年テレビキャスターに転進。1999年桶川女子大生殺人事件に関わることになる。2000年北海道の湖で犯人が自殺。事件は決着かと思われたが、鳥越は「警察に殺された」と語る友人の話にピンとくる。被害者の両親も最初は口を開かなかったが、ストーカー被害を訴え告訴までしていたことが判明。しかも警察は告訴状を改ざんしていた。鳥越は徹底的に調査し、追求し、結果がストーカー規正法として法制化された。

鳥越「警察が告訴状を被害届に書き換えていた。最初はわからなかったが、警察は何か隠しているなという直感があった。」

鳥越「ジャーナリストは税金が適正に使われているかをチェックする使命を与えられていると思っている。」

鳥越「怖いことは無かったが、暴力団を相手にしているときに’電車に乗るときは気をつけや’と言われた。今でも電車に乗るときは柱のあるところを使う。」

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イラクを取材していたとき、日本メディアとして始めて、サダム・フセインが潜伏していたという場所を取材し、小さな穴から実際にサダムが寝ていたという洞穴に入ってみる。’狭い’と実感。この時64歳だった。

龍さん「イラン・イラク・カンボジアなど危険な場所に行かれたが」

鳥越「基本的に怖がりで、怖いが好奇心にかられる。好奇心に足をとられて死んじゃうかなと思うこともある。」

鳥越「人づてに聞いたのではわからないから、自分で見て。」

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4月4日いわき市、自ら車を運転して制限区域に入った。0.51マイクロシーベルトという線量計を持ちながら、住民を取材しようとするが、屋内待機しているはずの住民はいない。ゴーストタウンだ。

20km圏内に入ると3.78マイクロシーベルトになる。原発の作業員に案内されて、車を走らせ、第一原発の正門前に着いた。

龍さん「何か現場に行って予想外だったことはありますか?」

鳥越「30km圏内も屋内待機指示だったが、誰も居なかった。実際は避難所に避難していた。店なども閉まり、生活が成り立っていかないからのようだ。」」

小池「怖くなかったですか?」

鳥越「年間4・5回CTスキャンやっているから、あそこでの線量は桁違いに小さい。」

鳥越「30km・20km圏内とかは報道も自主規制しているので入っていない。」

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6月22日虎の門病院。CTの検査結果が出た。

これまで4度の手術を受けて、今は注意深く経過を見ている。

長い戦いが今後も続きそうだ。だが主治医は「前向きなところがいい。」と語る。

2005年8月に体の異常を感じた。朝9時に出血し、そのときから取材を自分でするような形になった。検査では「大腸がん」。そのときワイドショーのMCをやっており、生放送でそのことを報告。さらにがんと闘う姿を放送することにした。

手術の翌日には何本も管をつけながらリハビリに励んだ。

退院して仕事に復帰。しかしがんは手ごわかった。転移した悪性腫瘍が見つかり、2007年1月に2度目の手術。「がんは付き合い方さえ間違えなきゃそんなに恐れることは無い。」

再び退院すると娘のコンサートにも出演。仕事にも復帰した。

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自宅、クローゼットの中に哀しい思い出がある。

テーラーのいとこがガンで亡くなった。永利修さん61歳で逝去。

最初から総合病院で先端医療を受けていれば命は助かったかもという思いがある。

そして自身3度目の手術をして、ラジオ番組にも復帰したが、肝臓にも見つかった。

4回目は腹を開いての手術で無事摘出。

鳥越はこれまでのがんの闘病を本に著した。「渡哲也さんが僕の支えになたので、僕の経験も誰かの支えになれば。」

そしてジムに通う。専属のトレーナーのアドバイスを受けながら肉体改造に励む。

大きな手術跡を腹部に残しながらも「70代でも前向きに。」

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小池「がんを公表された理由は?」

鳥越「全部ありのままを言って’休みます’と正直でいたかった。」

龍さん「何故がんを記録しようよされたんですか?」

鳥越「しめた!がんが身近で見られると客観的に観察する気持ちもあった。」

本の内容には、「手術後の排泄のための管が気持ち悪くて’抜きたい’と言ったら抜いてくれたが、膀胱にたまったけど出ない!夜になっても出なかったら’再導入しまうよ’といわれて、ほんとうに困った。」といったことも。

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今年、鳥越は桜井なおみさんが理事となっているCSRプロジェクトに参加。

がん患者の就労問題に踏み込んでいる。

19年働いた会社に解雇された。昇給がストップしている。などの声を聞き、転職や年収の減少の調査をした。

鳥越さんの一言一言が大きな影響を持つ。「がんになったらなったで、後悔しない生き方をしよう。」

鳥越「がんになったことを会社に言えない。実際にがんになってから手術後働けない。といった就労の問題は今後も取り上げていきたい。」

龍さん「がんは体に起こった大事件。起こって欲しくないけど、起こったら向き合う姿勢が大事ですかね。」

鳥越「人間はいいこともするけど、悪いこともする。とんでもない生き物だ。真実に向き合って忠実にいたい。」

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編集後記・・・個として報道に携わる人がほとんどいないが、鳥越さんは「新聞記者」の魂を持つ稀有な人だ。精神の奥底にはヒューマニズムが溢れている。

鳥越「取材している相手(自分)が、痛がったり、辛かったり、情けない思いをしているのも、隠さず伝えたい。」