伊豆半島鳥島沖。操業を続けるかつお船がいた。高知や宮崎などの“カツオの一本釣り”の船団だ。海鳥を捜し、その下を目指す。
エサの鰯をばら撒き、1本釣りする。1kg前後ののぼり鰹が獲れた。
千葉県勝浦に水揚げする。しかし今年の鰹は大きな不安を抱えていた。
いつもなら、かつおは夏場に向けて北上する。高知や宮崎などの“カツオの一本釣り”の船団も、それに合わせて北上する。毎年6月下旬から11月にかけて、三陸沖で操業し、これを宮城県の気仙沼港に水揚げする。気仙沼港は生鮮カツオの水揚げ量で日本一を誇り、“カツオの気仙沼”とも呼ばれてきた。しかし、震災と津波の影響で、岸壁は1メートル以上も沈下し、満潮時には冠水する。市場や貯蔵施設など港の機能も全壊した。
果たしてこの先、三陸沖に向かうべきかどうか。気仙沼港が水揚げの始まる6月下旬までに復旧するのか?そして、放射能の影響がないことを証明できるのか?気仙沼港の復旧プロジェクトと、高知県のかつお船団の決断を追った。
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江口君、横浜の中央卸売市場にやってきた。日本全国から様々な魚介類が集まっている。岩本さんに三陸の魚が入っているか聞いてみる。震災前に比べると85%も減っているという。カツオはこれからが旬なんだが・・・と心配する。
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気仙沼港は生鮮かつおの水揚げ量で日本一を誇り、“かつおの気仙沼”とも呼ばれてきた。突貫工事で岸壁をかさ上げして6月の「かつおの水揚げ」に間に合わせ、これを復興への起爆剤にするために。
冠水した港の修復はもちろんだが、もう一つ大きな問題があった。それは陸に打ち上げられた石油タンク。船に燃料を補給するための石油タンクを港に設置しなければ、かつお船団が寄港できない。さらに、かつおの餌となるイワシをどう確保し、かつお船団に提供できるのか。
重油の燃料供給ができずにいた。地元の燃料会社の高橋さん、3つ保有していたタンクは全て流された。
高橋さんはタンクローリーを使って給油船に燃料供給をしようと考えた。
しかし給油船も損傷し、3000万円かかるという。当面の赤字は覚悟して修復に乗り出した。あと1ヶ月、間に合うのか!
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気仙沼商会の高橋さん、給油船の修復が突貫工事で間に合った。
2日後にタンクローリーが到着し、給油船に給油した。
只越漁港では、港の瓦礫撤去に忙殺されていた。このあたりはエサになる鰯を提供してきた。しかし生簀は壊れて5年はかかるという。
そこにイワシの仲買人の今野さんが買い付けたイワシを、勝浦から500km離れた気仙沼に届けようと計画。福島沖を通過するリスクを抱えながらも届けようとしていた。
しかし5月2日水産庁は福島沖の北緯37度以北の漁を自粛するよう要請してきた。
水産試験場の研究員が福島沖で獲れたカツオを検査。採取場所は操業自粛海域だ。横浜市の水産庁研究施設に持ち込まれ、まずは高濃度の放射性物質が付着していないか検査する。
その頃、漁労長の森下さん。水産庁の結果を気にしていた。カツオを追って北に上がっていいものかどうか。
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6月21日、検査の結果が出た。極々微量のセシウムが検出されたが、基準値の100分の1だった。他の献体からは採取されなかった。
1日50トンの水揚げも可能になった気仙沼港だが、まだこの日は揚がってこなかった。
森下さんも満面の笑みで漁に出る。しかし気仙沼にはもう少し様子を見てからだという。
「木の屋石巻水産」木村社長。20億円にものぼる損害をこうむった。缶詰会社だが、再開の道は遠い。3個千円で残った缶詰を支援で購入してもらっている。
木村さんは、三陸海岸再生プロジェクトを立ち上げた。
漁師と加工業者がタッグを組んで、会員制をとって一般消費者に直接届けようというもの。流通革命を起こすこと。妻と仮の住まいで生活しながら、このプロジェクトに手ごたえを感じていた。
全国から1000万円近い復興支援金をすでに集め、漁師の説得交渉を始めた。
この日は、漁師の町に出かけ、タッグを組もうと呼びかける。
これまでのように仲買人やスーパーが値段を決める仕組みを変えていこう!と。しかし従来の流通システムを変えることには、漁師たちも「理想だが、難しいのでは」と二の足を踏む。
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江口君、漁船の修復にかかる費用を説明。大型船はエンジンだけで1億円。網や塗装などでも1億円。小型船でも1000万円かかる。漁師の人は住まいも財産も失った人がいる。そんな人に支援の手を差し伸べる試みが。
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あさりやノリの養殖をしている木更津の漁師。隣町の富津に行き、今は使われなくなった中古の船を引き取り、三陸に送る試みをしていた。
フィッシャーマンズ・ネットワークという会社が中心に行っている。
5月17日、牡鹿半島を訪問したひゅうまさん。船の写真を見せる。
しかし港を見たときに、船を係留する岸壁も破壊されていた。
東京日本橋に戻ったひゅうまさんは、クレーン車の手配を依頼する。無償で貸してくれるなり、中古の船14隻と、小型船を引き揚げるクレーン車が届いた。
ひゅうまさん「同じ海で繋がっている。」
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木の屋の木村隆之社長。この日も漁師さんを訪問。漁師の西條さんは、船は無事だったが、鮮度を保つ氷を保管することができずに困っていた。西條さんのところに木村さん経由で大きなコンテナが届いた。
これで鮮度も保つことができる。西條さんは木村さんの会員に漁獲した魚を販売することにした。
三陸とりたてパック、東京なら1万円以上はするものが5000円で届けられる。
都内の塩貝さん宅。早速料理にとりかかる。あいなめの煮付けやイカの刺身に舌鼓を打つ。
塩貝さん「おいしいものをいただけて、三陸の人も元気になってくれれば、小さくてもうれしい。」
木村さん「私達はここを離れることはできないので」と缶詰の販売に立つ。