エジプト・カイロにあるビルの一室。反政府運動のアジトだった。全てはここから始まった。
大統領辞任の前夜、カメラはこの部屋への取材を許可された。
政府の目をかいくぐるフェイスブックの呼びかけ、これがムバラク政権打倒のきっかけとなり、さらに動画投稿が、支援を加速して言った。
これに対し政府側も利用者や活動家を特定するためネットスパイを送り込んだ。
ハッカーも登場し、’ネット革命’を後押しした。その活動を追う。
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チュニジアに端を発した中東の反政府運動は、近隣諸国に広がっていった。
これまでは不満が鬱積していっても、そのはけ口は無かったが、
ネット革命は微動だにしなかった独裁政権を打倒するまでになった。
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舞台となったカイロの広場。この日タレク・コーリーさん25歳が現れた。これまで何度も政府に拘束されながら、機会をうかがっていた。
タレクさんが同行を許可し、そのアジトへ案内。この日は翌日のデモの作戦会議が開催されていた。メンバーの中心は20代。大学を卒業しても就職できずにいる多くの若者がいるその代弁者たちだ。
彼らはフェイス・ブックを利用、アラビア語で使用可能になったのが2年前だった。
エジプト政府は情報検閲を行ってきた。全て政府の監視下にあったが、フェイス・ブックはブロバイダーに到達する前に暗号化できるため、検閲できない。また仲間内で集合場所などを特定し周知することができる。
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ムバラク政権は反対勢力を弾圧してきた。親米路線を貫きアメリカから様々な援助を受けてきた。しかしその恩恵を受けたのは一部の人だけ。貧富の差は広がり、大学を出ても職が無かった。
タレクさんの父親、商売の更新には役人に多額の賄賂を求められた。
タレクさんが反政府運動に動いたきっかけは、弟が政府関係の車にひき殺されたが、政府は非を認めず、補償も無かった。
8年前、反政府運動が盛り上がったが弾圧された。まだフェイス・ブックも無い時代だった。それがチュニジアの運動が政権打倒に追い込んだ。発端はフェイス・ブックに投稿された映像だった。役所に詰め掛けて抗議しているもの。屋台の持ち主が政府に拘束されその後焼身自殺を図ったことに対する抗議だった。
この様子を撮影したアリさんが、携帯電話の動画を撮影しフェイス・ブックに投稿した。
焼身自殺を図ったのはアリさんの知り合いモハメドさん。屋台は1日でも売り上げ500円ほど。モハメドさんは無許可との理由で屋台を取り上げられた。商売道具を取り上げられたモハメドさんは抗議の焼身自殺を行った。
モハメドさんは貧しい内陸部に育った。家族の支えだった。母のマノビアさんは事件後体調を崩して外出もできない。
チュニジアのマスコミは当初この事件を報道しなかった。いつも大統領の記事だった。報道の自由は無かった。
アリさんはメディアが報道しなかったこの事件をフェイス・ブックに投稿した。
モハメドの無念を晴らす唯一の手段だったと語る。この映像を見たチュニスの女性ニーナさんがが強い憤りを感じネットワークに配信、瞬く間に広がっていった。
「若者が焼身自殺したのに黙っていていいのか」「ともに立ち上がろう」といった書き込みが続き、チュニスでデモが発生。
動画はアルジャジーラでも放送されてデモが拡大。
決定的になったのは鎮圧舞台に打たれて病院に運び込まれる動画だった。
1月14日、ベンガリ大統領は国外逃亡。アリさんが投稿してから1ヶ月のことだった。
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その翌日、エジプトで「変革か死か1月25日に集まれ」という呼びかけが書き込まれた。
1月25日、参加者数万人になったデモが行われた。タレクさん自身も驚く参加者数だった。
エジプト内務省も、秘密警察を使って、フェイス・ブック利用者を探る。
スパイがハッキング技術でパスワードを盗み、文章を変えたり、ネットワークをつぶしたりしていった。これを繰り返して、運動をつぶそうとした。
内務省のオマルさんは「対策室を作っていた。ネットをつぶすだけでなく逮捕しようと考えていた。」
しかしタレクさんは反撃する。政府がつぶせば、新たな登録をする。その攻防に人海戦術を使った。この戦いに勝ったのはタレクさんたちだった。
エジプト政府は更なる強硬手段に打って出る。ネットワークそのものを遮断することだった。プロバイダー接続会社を閉鎖させることだ。
政府の動きでネットの通信量がガクンと減少した。
しかし効果は無かった。デモの計画はその前に周知されていたからだ。
さらにタレクさんたち以外の組織もデモに参加した。ムスリム同胞団だ。
それまで数万人規模だったデモがこれによって数十万規模に膨れ上がった。
若者達のネットの呼びかけが、反政府運動の大きなきっかけになるとふんだムスリム同胞団が動き、事態は大きく急激に変わり始めた。
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同じ頃、インターネットの世界ではエジプトが遮断していることに大きな危惧を抱き、電話回線を迂回する方式を提案。
さらにエジプト政府の遮断を打破する世界のハッカー集団が動き出した。「アノニマス」である。アノニマスは世界で600人が参加。エジプト政府にアクセスを集中させた。政府の機密も取得。エジプト政府に圧力をかけた。
この謎のハッカー集団の動きと、ネットは自由であるべきだという世界の圧力にエジプト政府は屈した。
2月1日ムバラク大統領が動き出した。9月退陣を表明したのだ。
デモは収束に向かい始めた。市民生活の妨げになるという意見も出始めた。
タレクさんはこの動きに危機感を抱いた。「我々は粛清されてしまう。」と。
恐れていた事態が起こった。タレクさんらが拘束され、数十時間も連れまわされT、砂漠地帯に連れて行かれた。牢屋に連れていかれ拷問を受ける寸前だった。人権団体の運動でどうにか拘束を解かれてから、タレクさんらはこれまで以上に強い態度で臨むことにした。
フェイス・ブックでは、この間に数百人の若者が犠牲になったことが伝わり、ネット上で怒りが噴出。若者達は続々と広場に戻った。
フェイス・ブック利用者は500万人に達した。
そして沈黙を保ってきた軍が、デモ参加者を傷つけないと表明し、デモ隊はさらに増えて、広場から公道に溢れた。銀行などの施設が機能しなくなり、政府も機能不全となった。
そして2月17日夜、大統領は辞任に追い込まれた。
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革命は終った。しかし新しい政府をどう作るのか。まだこれから難問が立ちはだかる。
1週間後、エジプトでは新たな混乱が始まった。賃上げなどのデモが頻発。ムスリム同胞団などとの主導権争い。タリクさんも若者達の中でも先鋭的なグループができていることを危惧する。
チュニジアでは、混乱が収まらず、リーナさんもいっこうに収まらないデモに苛立ちを隠せない。この国のために今何をすべきか優先順位を考えないと!と語る。
アノニマスは次のターゲットに動いている。
中東各地に広まるネット革命、今それはどこに向かおうとしているのか。
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個別の背景がある中東諸国の動きだが、若者達でさえその後がわからない状態。次に何が起きるのかは予見が難しい。エネルギーを中東に頼る日本も決して全く関係が無いということではない。