沖縄、事故現場に到着したのはアメリカ軍の消防車。在日アメリカ軍兵士の起こす事件や事故は日常的に発生。

知事選が行われたが、対抗する候補者はどちらも基地の県外移転を主張した。

一方の日米政府は、基地の存在を重要視している。隔たりを見せる県民と政府の意向。今回は「沖縄’平和’の代償」がテーマ。

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キャスターの国谷裕子さんが今夜も沖縄から説明する。沖縄には海兵隊も駐留する、世界にも稀な米軍の基地集中状態を説明。本土とは比率が逆転し、今は7割以上が沖縄にある。

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戦後しばらくは海兵隊は沖縄には無かった。

実は戦後、日本本土に駐留していた。朝鮮戦争をきっかけに日本に再び派遣された海兵隊は、関東・関西に配置された。湘南海岸や茅ヶ崎ビーチで海兵隊の訓練が連日のように行われていた。

それが駐留から4年、次々と海兵隊は本土から姿を消す。その移転先は沖縄だった。その真相をアイゼンハワー大統領時代のバンフリート陸軍大将の分析報告書に示されている。

日本は1952年以降、アメリカ軍基地の反対運動が起こり、基地の設置が難しくなっていた。アメリカはその代替地に沖縄を上げた。アラン・ミレット博士は、「兵士を隔離して見えなくするには、アメリカの管理下にあった沖縄が良かった。さらに土地の接収や賃料の安さがあった。」

名護市辺野古なども、当初は田畑が奪われるなどの理由で基地受け入れに反対した。アメリカ軍兵士に対する恐怖があった。「戦争の余韻がまだ残っている時代だったから、暴行とかも良く行われ、聞いていた。」と古老。

無期限に土地は取られるといったことで基地受け入れを反対した住民は日本本土にその救いを求めた。

沖縄の主権は日本にあると主張していた日本は重光・アリソン会談を行ったが、沖縄に海兵隊を置くことはやむをえないこととされ、新たな土地の接収も同様になる。そのことをいわば黙認したことになった。

アメリカ軍の強硬姿勢の前に追い詰められた住民。しかし激しく抵抗する住民を米軍は排除し、土地は接収され田畑は更地に変えられていった。

「実力でおさえつけてくるから、結局動けなくなる。」と古老。これを機に受け入れを容認する方向に舵が向き、アメリカ軍は沖縄の基地の面積を1.8倍に拡大。

海兵隊は実戦さながらに上陸訓練のように沖縄の新たな基地に入った。

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それから50年、基地と隣り合わせの生活が住民に続いた。

1972年本土復帰で、その基地を減ることを期待したが、変わらなかった。

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東京府中市の巨大なアンテナはアメリカ軍が使用していたもの。

30年前まではアメリカ軍が駐留していた。当時の佐藤首相は国会答弁で「首府の側にアメリカ軍兵士が多くいるのは好ましくない。」と発言。その一方で佐藤首相は沖縄訪問、激戦地を訪れて、沖縄の基地縮小期待を抱かせる演説を行った。

しかし返還の交渉過程で、佐藤・ニクソン日米首脳は、沖縄に基地が存続することを本土復帰の前提としていた。

中曽根元首相「沖縄の方々には申し訳ないが、米軍の駐留を続けていくことが政府の要請だろうと。」

沖縄本土復帰後も存続することになった普天間基地。

元来は、各地主が所有していた土地だ。日本政府は復帰と共に各個人地主と契約を交わす必要があった。

宜野湾市に住む花城さん73歳。家や田畑をアメリカ軍に接収された。

歩道橋から基地のほうを眺める花城さん。高校卒業後タクシーの運転手になった。客は米軍兵士がほとんど、その後にタクシー会社を設立したが、踏み倒しもままあったが米軍に訴求することはできなかった。「共栄ではなく、共存しているだけ。」

土地を取り戻すことが難しいと考えた地主は、軍用地の賃料を確保する方針にした。当時の本土側で契約推進にあたった男性は「これで収まる。」と戦略的な契約更改が成功したことを語る。

花城さんは契約金を苦しい会社の資金に回した。11年前には米軍から感謝状が贈られた。

しかし軍用地代が高値で取引されるようになり、家族同士でいさかいが起こるようになった昨今、花城さんはこの軍用地代に疑問を抱くようになった。

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軍用地代の大幅値上げで基地拡大の反対を抑制していった政府の方針で、基地関係収入が15%となった時代もあったが、現在ではそれが5%にまで下がってきた。

沖縄では、基地集中反対運動が盛り上がってきた。花城さんも初めてこういった運動に参加。用地受け入れを行ってきた人たちも参加するようになっていた。

そのきっかけは政権交代にあった。「最低でも県外」という鳩山発言に裏切られて、わだかまっていた県民感情が沸騰した。

花城さん「子や孫の時代にはこういった苦労を味わわせたくない。」

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リチャード・ローレス国防副長官は、「頼むからアメリカを沖縄と日本政府の板ばさみにしないでくれ!と言い続けてきた。」

菅総理も国会で「在日米軍の駐留は安全保障上、極めて有効」と回答。

政府は460億円にのぼる補助金・振興策を行ってきた。

名護市議会では基地容認派、基地反対派の議論が行われ、採決では反対派が多数をしめた。振興策とは縁を切る決意の現われでもある。受け入れを容認してきた人にも揺れが起きている。

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後戻りできないところまできている住民感情と、政府の感覚のギャップ。

さらに本土住民と沖縄県民とのギャップ。

日米安保による米軍基地には今も住民の頭越しに軍用機が離着陸している。