人をその気にさせる技

亀井十四郎充てには、最後に気にかけていることをそれとなく表す。

1万通も出したといわれる秀吉の手紙。出張先から妻へ愛情溢れる手紙、子供へのいきすぎた愛情表現、晩年の暴走まで手紙から窺い知ることができる。

信長から中国地方攻略の任を受けた秀吉。

まずは播磨を戦わずして手に入れようと、黒田官平衛を味方にすべく、「あなたの事は弟の小一郎のように信頼しております。」と具体的に信頼度を述べる。

「この手紙は字が汚く読みにくいと思いますが・・」と直筆であることをさりげなくアピール。直筆は相手に誠意を伝えるアピールなのだ。’誠意を直筆で示す

黒田官平衛は秀吉のために奔走し、ついには軍師となった。

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禁断の裏技は「嘘も方便」

本能寺の変が起き、明智軍1万3千、秀吉軍は1万だった。

秀吉は態度を決めかねている武将中川に「信長は生きて膳所まで逃げ延びた。」とかを具体的に様子を書いて信憑性を与えた。

情報コントロールによってか、中川は秀吉側につき、明智軍を破る。’嘘はつくなら徹底的につくべし

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大勢の人に協力してもらう手紙とは

北条との戦いにおいて、諸国の武将を味方に付けるために、敵を倒す理由とともに、自分のこれまでを細かに書いて正当性をアピール。’自分の正しさを正々堂々と書く

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信長の自筆・・・大胆で、まっすぐで力強い字

家康の自筆・・・外にほとばしるエネルギーではなく、なかに篭るような字

秀吉の自筆・・・まわりにエネルギーを発散している字

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出張先からは妻の「おね」に手紙をたくさん書いている。遠慮のない仲睦まじさが見える。

1580年秀吉の小田原城攻め。大軍で城を包囲した秀吉は「おね」に、その包囲の様子などを書いている。長い戦になることも予測、しかし淀を呼びたいとも記載。正室から側室に命じるよう依頼している。

秀吉は淀を呼び寄せ、箱根に宿をとり、リゾート気分を満喫したようだ。

しかし「おね」からの便りが長い間きていないようで、再び手紙をしたため返事を促した。待つこと10日、「おね」から返事が届き、その返事に「おね」への感謝をいの一番に書いた。会津への出兵により2ヶ月も帰りが先になることの前に。

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手紙のサイズも出世によって、関白になってからは、それまでの1.5倍になり、紙質も向上、最後のサインも最上級品になり、花王から「印」になった。

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わが子可愛さは、晩年に産まれた秀頼には盲目的となる。

秀吉は生まれたばかりのわが子「ひろい」に手紙を書いている。「遠くを見える鏡をもっているのでいつも見ています。口を吸いたい。」というわが子へのラブレターだった。

やがて、わが子の願いは全て叶えてあげたいと、おめんを手に入れましょう!と書いている。

豊臣秀次を切腹においやり、幼い子供も含めて妻妾39人が殺される。街には秀吉批判のたて看板も出る始末だが、秀吉は意に介さない。

秀吉にはもはやわが子秀頼しか映っていなかった。遺言状では「秀頼のこと頼みます。かえすがえすも秀頼のこと頼みます。」

がしかし、かつての人を動かす手紙ではなかった。

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現存する「おねが秀吉から受け取った最後の手紙」・・・そなたにもうすぐ会える。私の能をそなたにも見せてあげましょう。

手紙をいくら書いても、やはり会うことが一番だったようだ。

おねの実家木下家、家老の子孫の家から、豪華な蒔絵のすずり箱が見つかった。鳳凰の絵柄で銀が使われ、家紋がデザインされている。