星野リゾート社長の星野さん。まず始めたのは大量退社に伴う新人社員の獲得だった。社員満足度の高い会社を目指した。

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1960年軽井沢の星野温泉の旅館の息子として生まれ、何不自由無く育ち、大学ではアイスホッケーのキャプテンも努めた。海外に留学した後にリゾート法の施行で危機感を持った星野は社長として旅館経営にあたることになった。

同族経営の良さ・・・長い目で経営を見られる。

同族経営のディメリット・・・公私の境があいまいになる。

軽井沢という場所のブランドに胡坐をかいていた状態でもあったので、理想の経営者になることを目標にやろうとした。リチャード・メルマンが目標だった。レストラン経営者で、働いている人たちもハッピーな感じだった。20代の人たちにも店の経営を任せて、会社を大きくしていた。

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一方、星野の会社は変革に反対する、昔からいた社員が3分の1辞めてしまった。食事にしろ、サービスにしろ、悪い部分を言う人はいなかったが、それを表に出すべきだという方針に馴染めなかったという。

愚痴を意見に変える」という変革がその一歩だった。

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星野はこの事態にすぐに動く。

リクルート活動を開始したが、最初の3年間は動きが鈍くて集まらなかった。

すごく大変だったが、新卒者2人が面接にきてくれて、すぐに説得した。

人材を確保しなければ、会社の未来は無い!と考えて「社員満足度」をあげるしかないと考えた。

しかし給与を上げるといったことは当時出来なかったが、「夢」を与え、ビジョンに向かって最先端で行くことを約束した。

社員や自分達に夢・ビジョンを示していって、少しずつ増えていった。

1984~89年あたりで集まっていった。

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長屋さんも中途入社で入ってきた。星野さんは長屋さんにブライダルを担当させた。

和洋折衷からフランス料理のみにしたが、不評で、そこで和洋を選択するシステムにした。しかし仕入れも経費がかかることになり、内部からは批判されたが、星野が飛行機でも選択できるのに何故出来ない?と問われて、和洋の率を推測するシステムも確立し、食べ残しが減るという派生効果もあった。

お客様の満足度・社員の満足度ともに上がる結果となった。

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地方の企業に人を集めるにはどうしたら良いか?

「ひとり欠けても困るので、逆にやりがいがあることをアピール。やりがいを実感する、貢献を実感できる組織であることをアピールする。」