タイのバンコック。世界の一大製造業基地となったタイ。技能五輪でも世界一を獲得したのはタイの若者だ。

自動車輸出も絶好調。日本の金型メーカーがタイの企業に買収されるケースも出てきた。シリーズの第1回は「脱日入亜」に苦闘する日本企業を追う。

-------------------------------

コンテナで輸出される製品。経済成長率は7%と絶好調。その躍進の原因はFTA自由貿易協定だ。輸出品の圧倒的な価格競争力を身につけたASEAN。徐々に関税撤廃をしていこうとしている。

タイのバンコクとレムチャバン港を結ぶ国道沿いには大きな工場が立ち並ぶ。世界の製造業の中心地になろうとしているのだ。アマダ工業団地。こちらには日本企業も多く進出している。

人件費では中国などに及ばないが技術力の高さが売りだ。

-------------------------------

日本の海外進出のひとつとして「オオタ・テクノパーク」がある。その中に金型部品の油圧シリンダーを作る会社が進出したが、もうタイ人技術者でもそん色無い製品が出来る。

吉冨英明社長。取引先からの誘いで進出したが、今はアジアをマーケットに考えている。タイの金型メーカーと商談に向かう。黙っていても日本企業から注文が入った時代は終わったのだ。タイの地元企業との商談は「価格」がモノをいう。ライバル会社との熾烈な競争があり、そのライバルもどんどん増えている。

-------------------------------

アジアは空前の自動車ブームに沸いている。所得が増えたことによる。輸入の関税もゼロになり、タイは絶好の生産拠点となっている。即断即決の販売が行われており、関税ゼロのタイを目指して、日本のみならず中国企業も進出してきている。

震雄鋼業は中国本土より生産量が高くなっている。インドのNRBベアリングは「インドでやれないことをタイでやる。」と意気込む。

地元タイも負けていない。タイサミット副社長タナトーンさんは31歳の辣腕社長。タイ最大の部品メーカーにのし上がり、去年3月、日本の金型メーカー「オギハラ」を買収した。300億円を越える資金を投入した。

社長「中国やインドと伍していくには、日本の技術力が必要」

1枚の鉄板を圧して部品を作るアウターパネルがうまくいかない。日本のオギハラから技術者が呼び寄せられた。リーダーの新藤さんは、何とか技術力を示したいという。

-------------------------------

タイサミット社長の自宅を訪問。父のパッタナーさんが築いた会社は子供達に引き継がれ、大きく成長した。

日本のメーカーのシートカバー生産からはじまり、通貨危機で現地での部品製造技術を日本並みにすることが求められて、その技術と労働力を活用し、大きく成長した。

-------------------------------

吉冨社長のところに急ぎの仕事が飛び込んできた。インドネシアの日系メーカーからの要望だ。早乙女工場長はなかなか首を縦にふらなかったが、吉富社長は万全の体制で臨むために体制を変更。夜勤をいれて24時間体制にした。仕事を持っていかれることのないよう体制を組んだ。

納期まであと2日に迫り、まだ不良品もある状態で臨戦態勢だったが、雷で停電発生。弱り目に祟り目だった。

ジャスト・イン・タイムは今やアジア全体に広がった制度。

いよいよ出荷まで4時間に迫った。ミスによる不良が見つかり再作成。トラックが来るまで2時間に迫り、なんとか出荷できる体制ができた。

しかし吉富社長はデモによる検問での遅延を気にしていた。「赤シャツ」取締りで検問が強化されて、トラックが遅れた。何とか出荷した。

-------------------------------

タナトーンさんが日本を訪問。群馬県太田市のオギハラを訪問。協力を要請。タイでは新藤さんをリーダーに技術指導していたが、当初の設計ミスを見抜いてタイの会社に忠告したが聞き入れrたれなかった。シミュレーションで見抜いていたが、タイ側は、作っては直し作っては直すやり方。事前にシミュレーションする日本側のやり方とは大きく違っていた。日本側のスタッフはアドバーザーとして呼ばれたが、このままでは手出しができないと、タイ側に改善(組織改革)を申し入れる。

一方タイ人の技術者も不満を抱いていた。うまくコミュニケーションが出来ず、教え方がうまくないという感想を述べ、技術を盗めというより、マニュアルを作るべきだと主張。

タナトーン副社長が現場視察に訪れた。金型の失敗も、上記のやり取りも報告されていた。期待はずれの状況に、大胆なリストラも辞さないという副社長。

オギハラの技術者も焦りを感じていた。今後の対応をどうするかで協議。

技術者8人は決断した。プライドはひとまず置いて、一従業員としてやっていくことにして懐に飛び込もうという。

-------------------------------

吉冨社長のところにはまた難題が持ち込まれた。

納期をさらに短縮して欲しいというもの。奥の手はタイの会社の要望を日本の本社に支援してもらい、部品を作ってもらおうというもの。

10日後に空輸されてきた部品。タイ人の担当者が日本の製品をチェックする。

吉冨社長は食い入るように見ていたのはタイ人の「溶着」作業。猛特訓したタイ人技術者が行う高度な作業だ。

-------------------------------

オギハラの技術者達は、実演しながら手取り足取り指導していく。タイ人技術者も今まで溜め込んだ疑問を次々とぶつけてくる。

次第に互いの見えない壁が融解し、笑顔と技術者の誇りが戻った。

-------------------------------

バンコクの工場進出のために不動産会社に頻繁に問い合わせがくる。

この日は新潟の精密機械メーカーが訪問。「座して死を待つより、出てしがみついても生きる。」

日本はASEANの一員に組み込まれる。これからどう日本企業・日本人は生きていくのか。