松井大輔と遠藤保仁のフォトからスタート。

ベスト16の成果で、たたえられながら帰ってきた。しかし始まる前はほとんど期待されなかった。

松井は2009年2月の放送、遠藤は2010年6月の放送。情熱大陸は二人を取材していた。

7月1日、関西国際空港には歓声が待っていた。しかし二人はその騒ぎをどう感じているのか?取材班は再度声をかけてみた。

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遠藤「始まる前は長かったけど、もうちょっと長く試合したかった。」

遠藤は取材を断り、自宅に直行。そこにはメダルを持った家族が待ち受けていた。

一方、松井は東京に降り立ち、宿舎までの短い時間取材。

松井「自分には70点かな。得点が足りなかった。」

ゴールは奪えなかったが、彼が大きな戦力であったことは確か。

コンビニに寄って、甘いものなどを買い込む。ゆっくり疲れを癒したいというが、その後はゆっくりする暇はなかった。

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久々に地元の京都に戻った松井。京都府庁舎でのセレモニー。大勢の職員が待ち構えていた。

母校の京都市立大宅小学校にも招かれた。

松井「すごいことになってるよ。」しかし歓声が怒号に変わることはフランスのリーグでわかっていた。

代表デビュー戦で初ゴールを決めたジーコジャパン当時、最終の選考には漏れてフランスに残った。だが日本代表の試合は必ず見ていた。

フランスで移籍したが、成績を残さないとすぐに評価が出る。ワーストランキング2位になった。受けた屈辱はプレーで晴らすしかない。

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4年前に果たせなかった夢をこのW杯カメルーン戦で先発を果たした。

個人で打開する力を期待された。監督から早めにセンタリングをあげるよう指示されていた。当初はタイミングが合わなかったが、例のセンタリングは自分でタイミングをはずしDFをずらしてから利き足の左でセンタリングをあげて、それが本田の足元におさまってゴールが決まった。

毘沙門堂にお参りした。戦いの神様なのだ。何を誓ったのか・・・。

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7月13日、遠藤はガンバの練習場でトレーニングを開始。

前の日まで取材を全て断り家族旅行をしていた。他の選手は良くテレビに出ているなという感想。

デンマーク戦のフリーキック。本田のポーズにDFも一瞬騙された。この一瞬で遠藤には十分だった。

ゴールを決めて駆け寄ったのは控え選手のいるベンチ。4年前はそこにいたのだった。

2010年6月の放送内容が再び流れる。(これは僕もメモしているので割愛)

6月は連敗していた。遠藤は岡田監督を「賢い、どんな時も冷静で、投げない。」と評価していた。

デンマーク戦はそれまでと違うポジションセットで攻撃的に臨んだが、なんどもトマソンに抜けて出られた。マークができなかったのである。そこで遠藤はポジション変更を申し出て、前の2戦と同じ布陣でいくことにした。

流れを掴んだ日本は、FK2本で先制した。

遠藤「意思はすごく感じた。あういう舞台でまた戦ってみたい。」

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遠藤と松井は鹿児島の先輩・後輩。

松井「自分のプレーが出来なかったら多分潔く辞める。」

松井の4年後は32歳。遠藤がその4年後を想像。「想像できないけど、お父ちゃんになっているのかな。」

遠藤の4年後を松井が語る。「やってて欲しいと思います。もうちょっとしゃべりを早くして欲しいと思いますけどね。物が落ちてきても’おお、落ちてきた’という感じだから。」

飄々とした遠藤とマイペースの松井。その二人が涙を流したのがPK戦の後だった。

最後に、スタッフが遠藤にハーフタイムのロッカーでシャワーしたかどうかを聞く。

遠藤「シャワー浴びましたよ。大概監督が数を数えているところに裸で僕が通る、みたいな。」