明治15年、東京千住、お灸をしてもらっている岩崎弥太郎。

郵便汽船三菱の社長となっていた。傍らには佐那がいた。

千葉道場は明治になって廃業。佐那は道場のあとに医療所を設けていた。

話は「海軍操練所」廃止の後から、弥太郎の口を通して龍馬のことが語られるという嗜好で第3部が始まった。

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1865年長崎、胡蝶丸に乗った龍馬達は長崎に立ち寄る。

長崎は異人だらけで異国のような街だった。見るもの全て珍しい。

その中で、「商談」をする異国の人たちを見る。龍馬たちの宿は小曾根邸、小曾根乾堂の屋敷であり、西郷は小曾根と親しい。その口利きであった。

龍馬は直に小曾根に目通り、そこにいた西郷にも会う。龍馬はしばらく長崎に泊めてくれないかと申し出る。西郷は薩摩藩のために働いてもらわないとと苦言を呈するが、龍馬はどこの藩にも頼りたくないと自分たちで稼ぐことをして、どの藩にも頼らない方向であることを語る。西郷は龍馬は脱藩者であることを肝に銘じるよう諭す。

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沢村や陸奥など、一緒にきたものたちに、このことの成り行きを説明する。世の中の仕組みを変えたいという思いとともに。

この頃、幕府はフランスの後ろ盾で力を盛り返していた。

幕府の承諾なくして外国との交易を行うことが出来なかった。

薩摩藩もこの措置に苦慮していた。イギリスとの交易が自由に行えなくなったのである。トーマス・グラバーは日本との交易で一大財産を築いていた。

龍馬はそのグラバーと面会する。陸奥陽之助の通訳をとおしてであるが、海軍操練所での英語教育が役にたったのである。そこで龍馬は蒸気船1隻を借り受けたいと申し出る。グラバーは1ヶ月3000両というとてつもない金額を提示。龍馬らは怒りに震えるがどうすることも出来なかった。

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龍馬は花街の「丸山」に出かける。そこには薩摩藩の面々が先んじていた。龍馬は「竹の間」に通される。

龍馬らは、どこの藩のいる間に飛び込もうかと相談していた。

「梅の間」には「お元」がいて踊りを披露していた。梅の間の客は津和野藩(?)の高杉達だった。

そこに龍馬達が飛び込んできた。「お主らの味方じゃ」と言い寄る。

龍馬は「わしらは脱藩者である。船を貸して欲しい。」と申し出る。怪しむ高杉らは刀に手をかける。しかし龍馬は「津和野藩ではないでしょう。」と見破る。高杉は長州藩であるが、長崎に出入りを禁じられているので津和野藩だと偽っていることを打ち明ける。

お元は高杉の指示でその場を去る。

グラバーはこのとき、儲けるだけ儲けたら日本を去る決意を固めていた。幕府がフランスのいいなりになっているというのが理由である。

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長州藩の高杉は1万丁の銃を用意し、幕府から独立することを模索していた。

イギリスのグラバーたちはは着々と戦争の準備を進めていた。ミカドを拘束すれば1日で降伏するだろうと予測をたてていた。

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梅の間に長州藩士がいることが薩摩藩にバレた。薩摩藩は梅の間に押し入る。両藩がにらみ合っている中、龍馬は立ち上がり「日本人同士で喧嘩している場合ではない。」と諭す。

高杉は銃を打ち、退路を開く。西郷は銃の前にたって高杉を制する。

幕府は警護の立場で駆けつけるが、逃げ出した後だった。

(つづく)