レナウンは4期連続赤字で、中国企業との提携でその傘下に入った。

アパレルで生き残りにはユニクロ式の大量生産、激安しかないのか?

カネボウ買収、ハイテク染色プリンター開発など、衰退産業の反逆児。

入社以来の窓際族から社長になった男。不屈の男の反逆経営術を聞く。

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イクステリアの店で、1着1万9千円のジーンズ。伸縮性の記事にデニムのプリントをしているのだ。ファスナーもプリントしたもの。ビスコテックスという色・柄も自由に選べるシステムだ。

福井市にあるビスコテックスセンター。ここには200台の機械が並んでいて、インクジェットの要領で生地にプリントしていく。20色が限度の染めに対して、1977万色もの色が出せる。

人気なのはバンクーバー五輪の衣装にも使われたことでもわかる。ヨネックスやデサント、フェニックスなどスポーツメーカーもこぞってビスコテックスを使用。

もちろんアパレルメーカーも「限定商品」を求めて集まってくる。ロットは通常染色なら2000mだが、ビスコテックスなら1mでokだ。

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福井市のセーレンは明治22年創業。セーレンは精錬から名づけた。

1990年川田はビスコテックスを開発。経営は逆張り。国内の超少人数工場で、人員削減はパイプで布を運んだりして人員削減を行い、国内での生産に拘る。

2005年カネボウを買収。鯖江市のKBセーレンは2年後に黒字化させた。

厳しい繊維業界にあって希望を無くさないために、苦言も呈する。

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スタジオに社長登場。ニットのように見えるシャツや、デニムじゃないジーンズなどが並ぶが、画面上は見分けが付かない。

従来の染色とビスコテックスの違いがフリップで出された。

社長「在庫リスクを無くすのがビスコテックス」

社長「カネボウは繊維業界の巨人だった。輸出も日本一だった。」

社長「反対されて異端児と言われた。」

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福井精錬加工株式会社がその前身。天皇陛下も訪ねられた。

川田が入社したときは、「偉い人、何もしていない人がたくさんいた。」と語る。

明治大学を卒業して名門のセーレンに入社した川田は、そこで研修を受けて、下請け作業の会社の現実を知る。研修後の意見を書き、その内容から勝見工場配属となる。その後会社の営業に回るが、会社の改革をぶち上げて、左遷させられる。営業開発部への異動だった。

だがそこで川田は新しいビジネスを考え続けて、ついに宝の山に当たる。それがクルマのシートだ。塩化ビニール全盛だったカーシートに布製のカーシートを提案した。いまや市場シェア4割りのトップに君臨し、セーレンの収益の半分を上げるまでに成長した。

そしてついに47歳で社長に就任。名門企業が一人の窓際族に託された。

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社長「500人のうち3人が入社。幹部候補なのでグリーン車だった。だが入って会社を回って、会社が’下請け’作業で頭を使わないことに愕然とした。」

社長「工場や窓際が僕のサラリーマン生活のほとんどだ。ただ現場を5年半勉強できたことは非常に大きい。」

社長「窓際族は’勝手にやれ’だったので、勝手にやった。一緒にやってくれたのは工場の仲間だった。カーシートもいよいよ量産というときに、機械を作る必要があったが、役員会で否決された。なので独自にKP(kawada plant)を密かに立ち上げた。必ず協力者がいるものだ。」

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1987年社長就任後、川田は驚くべき社内訓示を行う。

21世型の産業は’繊維’ではない。として収益源を変えようとした。

そして今は、電磁波シールドのメッシュ生地、48ミクロンはセーレンのみの技術。

包帯のような細長い布は筒状になっており、これは手術で使う人工血管。

白いタイルに色がつき外壁用建材として使う。などなどもはや収益は衣料繊維以外で90%を超す。

スタジオに人工血管が登場。人になじみやすく抵抗がないという。

社長「100年蓄積した技術があって’種’がたくさんあった。それで何ができるかを考えた結果。」

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コンピュータ染色システム「ビスコテックス」開発に200億円を投じた。売上高500億円のときにである。

そして今は店頭で自由にコーディネイトを見ることができる映像設備などを開発中。開発にかかるオカネに糸目はつけない。

「無縫製服」ハイテクマシーンも開発。コシノヒロコもこの無縫製を使用したブランドをたちあげている。

社長「設備投資は夢。夢だけは常に失いたくない。」

フュチャーマテリアルセンター、ここではフィルムの上に様々な電極を施していく。

社長「失敗したことは今まで幸いにしてない。技術者は見えているので、’見える’部分までしか語らないので無謀なことはしない。われわれは夢があるので、夢があれば飛べるんです。」

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編集後記・・・「下請けからの脱却」を目指した川田さん。需要が旺盛な時期は売り上げも上がったが、今は自立のとき、現状打破はなかなか難しい。どれだけ変われたかが成果に結びつくという社長の言葉にあるとおり、下請けから自立へが日本全体の企業にいえることではないか。」