悪魔の兵器「地雷」、戦力を削ぐための兵器だ。戦争が終わっても、埋まった地雷は被害を与え続けている。

そんな中、日本人の技術者が地雷除去マシンを作った。山梨日立建機の雨宮清社長だ。

番組は山梨の会社におけるインタビューからスタート。龍さんと小池が訪問。

---------------------------

アンコールワット遺跡のあるカンボジア。1992年から2008年で1000人以上が地雷の被害にあっている。

雨宮はロータリーカッターという建設機械を改良したマシンに乗り込んで地雷除去の先頭に立つ。自らマシンを操作して確認する。

山梨日立建機は南アルプス市にある。

1961年生まれ、東京の建設機械会社に就職し、27歳で山梨に戻り起業した。山梨で成功し、カンボジアを視察した。

カンボジアへは20年にもわたる内戦で、疲弊していた。ひとりの老婆が言った「あなた日本人でしょう。私たちを助けてください。」という一言で、金儲け以外にできることをしなければと思い立った。

足の無い老婆や、若い人、子供の姿を見て地雷除去を思い立つ。

しかし、マシンはまず草や木を伐採し取り除くことから始めなければならない。ロータリー・カッターはそれをも可能にして、人手による作業を不要にした。

こうして地雷除去された場所は、今は実りの田んぼに変身している。カンボジアのフン・セン首相からも感謝された。

---------------------------

小池が実際にロータリーカッターに乗り込み、アームを動かしてみる。

続いて龍さんも乗り込んで花壇をガーとやるにはどのくらいかかるか?と質問。答えは10秒。

雨宮「地雷除去してその後農作物ができるまでが仕事」

---------------------------

ここからはスタジオで

雨宮「中学校しか出ていないし、漢字も読めなかったから、自分で必死で勉強した。23歳でほとんど仕事に必要な国家試験は合格した。」

雨宮「映画のエルビス・プレスリーの’ブルー・ハワイ’を見て、海外への進出を始めた。カンボジアもビジネスで行ったわけだが、負傷した人々を見て’俺は何をしてるんだろう’と自問した。」

雨宮「1995年から頻繁にカンボジアを訪問し、現地の人の気持ちをつかむことから始めて、その要望が’地雷を除去してください’だった。」

雨宮「東京では毎日ブラシで泥落としの日々だったが、それがネジを回したいという渇望になっていった。」

---------------------------

去年建設業界は不況の荒波にもまれたが、山梨日立建機は過去最高益をあげた。朝早くから故障・修理依頼が来る。早く的確なアフターサービスが評判で、山梨県内で建機の70%のシェアをほこる。

さらに建機の進化・改良も怠らない。しかし地雷除去機はずっと赤字だ。あと20年間は黒字化は無理だろうと社長。しかし、地雷除去機は社員の誇りという大きな財産を手にしていた。

2007年に日立建機の子会社化になり、経営基盤は強化された。もちろん日立建機本社側も「地雷除去機」を大きな経営の柱にしようとしている。

雨宮「ここ2~3年は売上高も収益もあがって、シェアもトップになった。それは社員のモチベーションだと思う。事業として夢があることが大事。」

雨宮「世界中に地雷があり、グローバル化しすぎて私の会社だけじゃ追いつかない。それで日立建機の傘下に入った。」

---------------------------

2008年10月、コロンビアのサントス副大統領がやってきた。2008年の被害者が100人という地雷大国なのだ。雨宮は地雷原を視察にその4ヵ月後に現地に出向く。

政府軍の護衛付だ。全国の40%の市町村で地雷被害が発生している。ゲリラが埋める手作り地雷、これはワイヤーがあったり、プロパンの大型爆弾があったりと200種類もある。

地雷で怪我を負った若者たちがふるさとを離れざるを得ない。ある若者の故郷、山奥の村は地雷で埋まり立ち入り禁止。村人は全員が避難していて、廃村のようになっている。

トラップワイヤーの仕掛けが無いかを確認してから、手作り地雷を除去している。村の小学校は閉鎖されている。兵士が近づくと、注射器型の地雷が校庭の中ほどに仕掛けてあった。

---------------------------

2009年7月、雨宮はコロンビアの状況に合わせた地雷除去機を作り始めていた。

2010年2月、再びコロンビアに向かった。山梨日立建機の除去機とともに。雨宮はまず自ら研修生に操作を指導。下り坂にさしかかると大きくゆれる。言葉は通じないが、伝わることはしっかり伝わる。

現場にサントス副大統領もやってきて、機械が正式に引き渡される。この日、雨宮は機械に乗り込みデモンストレーション。最後にはアームが両国の国旗を掲げてお辞儀するパフォーマンスも。

副大統領との信頼関係が築かれていた。

---------------------------

雨宮「日本のODAでコロンビアが機械を購入する。平和貢献することによってお互いが利益も得られる。」

龍さん「ボランティアだけでは長続きしない。納税者としての自覚を持ってODAをチェックする国民担って欲しい。」

雨宮「外に出ると、空気がわかる。」

----------------------------

雨宮「ハワイで悠々自適な老後というのは僕には合わない。死ぬときは地雷原で死にたい。」

編集後記・・・地雷原で死にたい!の意味は地雷除去をずっと生涯やっていきたいの意味だが、使命感と目標、何をやるべきか、何をしたいかわかっている人は強い。