史上最大規模の万博を目前に控えた上海。最も人気のあるコメディアン周立波のライブが行なわれ、上海の今を笑いに包む。長く苦難の歴史のうえに今がある。

上海租界。1900年代、外国人が投げた食べ物に群がっていた。

1920年代、生きることにやっとの人々。1960年代、中国全土を襲った戦争の嵐のあとの内乱。激動の百年を振り返る。

-------------------------------

94歳の沈月亭さん。租界が華やかだった頃を知る数少ない一人。実家は金持ちで、タバコ会社の御曹司と結婚。裕福な暮らしをしていた。おじいさんは車も人力車も持っていて、外国人しか入れない映画館にも入れたという。

租界とは19世紀半ばに英国が中国から関税自主権を奪い、租界を基地に経済支配を進めた。外国人は大勢の召使を抱えて王侯貴族のような暮らしをしていた。

沈さんも華やかな租界の時代に育った。上海は魔都とも呼ばれ、中国全土からあこがれてやってきた。

劉徳保さんは祖父母が田舎から4ヶ月かけて上海に出てきた。

劉さんは昔の上海の記録映画を娘たちに見せる。改革解放後の世界しか知らない娘たちに、当時の貧しい暮らしを見せる。劉さんは蘇州河に来て、祖父の話をする。祖父は蘇州河の近くの有数の工場地帯で働いたという。

1920年代、港や工場で50万人の人たちが働いていた。貧しさから脱却するために。

--------------------------------

豊かさと貧しさの二つの顔を持っていた租界時代。バンドといわれる地域に列強は競って建物をたてた。旧わい豊銀行、英国系の銀行だが、中国の中央銀行のような役目を担った。欧米の進出を象徴するわい豊銀行はその後、数奇な運命をたどる。

席與善さん54歳。席一族は租界時代に、金融で名をはせた。バンド沿いに多くの支店を擁したが、新中国誕生とともに国に没収された。

席さんの曽祖父がわい豊銀行に入り、努力してわい豊銀行の中枢の地位を得て、礎を築く。わい豊銀行は、国民党との結びつきを強める。

一方、ソヴィエトは上海の労働者を中心に中国革命を推し進めようとしていた。プロバガンダの映像では、中国の共産党員が射殺されるシーンも生々しく映し出されている。

-------------------------------

満州事変から太平洋戦争へと進んだ時代。日本軍が侵攻し、沈さんの家も没収されて、通信局として使用された。沈さんはせめて家賃をと掛け合ったが、断られたという。それは屈辱的だったと沈さんは涙ながらに語る。

写真屋を営む劉さん一家も日本の敗戦後、生活が変わった。

共産党が上海に入り、旧わい豊銀行に上海政府がおかれた。

西欧から日本、そして中国人がようやく支配するようになったが、沈さんは「思想改造」の勉強をさせられて、自宅も会社も国に取り上げられた。

-------------------------------

わい豊銀行の席一族の末裔たちが集まる会が開催された。世界中に2万人がいるという。上海を離れた一族の中には、新たなビジネスで成功した人たちも多いが、上海でもう一度という人は少ない。

席さんに不安を残したのは「文化大革命」だ。毛沢東の言葉を信じ、造反派がのしてきて、運動は暴徒化するところもあり、人を死に追いやることもあった。

造反派の労働者を中心に上海市革命委員会が設立された。毛沢東が北京で揺らいだ地位をこの上海の造反派によって逆転させようという狙いがあった。

劉さんも紅衛兵に参加した。若者らは豊かだったものを窮地に追い込んでいった。沈さん一家はその標的にされて、家族は皆、別々にされ、沈さんは自殺さえ考えたという。

席さんの一族も父が財産を奪われ、ガンに冒されて、失意のうちに死んでいった。その死目に遭った席さんは造反派への復讐を誓ったという。

-------------------------------

としょうへいの改革開放路線がその閉塞感を打ち破った。豊かになるものから豊かになる。浦東開発などによって上海は再び経済都市へと変身した。

席さんは、上海にも支店を作り順調な業績だが、上海には戻らないという。

「海外に居住権を持っており、この国に頼るつもりはない。」と語る。

-------------------------------

屈辱・権力への不信、この百年、上海の人々は波に揺さぶられながら生きてきた。

劉徳保さんにとって気がかりなことは、あまり歴史を知らないこと、文化大革命や毛沢東もあまり学校で教えないのだという。

文化大革命は誤った考えの人々による「内乱」と評価されている。

当時紅衛兵だった人たちはその行き場を失っている。今でも激論が交わされる。

劉さんは街角に即席の展示会を開く。文化大革命当時の記事や絵のパネル展示だ。貧しかった頃のことをしっかり伝えるのが紅衛兵だったことの責任だと考えている。

-------------------------------

沈さんは、政府からもらったという「栄誉賞」を示す。国から認められることは難しいことだと、今はそれが誇りだという。

席さんも心に変化が生まれてきていた。「私は上海人です。銀行の中でがんばっている曽祖父の姿が見えるようだ。20年後には上海で暮らしていかも。」