石見神楽、第六天魔王の素顔とは?今夜は戦国時代のカリスマ織田信長。この世のすべてはオレのものというスタイルを貫いたが、親しい家臣の前ではやさしい一面を見せていたという。今夜は本能寺における織田信長の素顔に迫る。

本能寺の変、前日に公家が見た信長は魔王の顔、消えた信長の遺体の謎。僧侶や、女中が見た信長の顔とはどんなものだったのか。

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本能寺の変で焼けた茶器。その前日公家たちに見せたパフォーマンスとは?

織田信長49歳、すでに日本の中部をおさえて天下人に近づいていた。

信長は富士山を見て「誠に稀有の名山なり」と評した。本能寺の変の2日前安土をたった信長、京の公家たちは出迎えに出たが、なかなか現れない。何時間か待たされた後、信長の使いが来て「出迎えは無用」と伝える。公家たちは山科からすごすごと京に引き返す。それを見てから信長は定宿の本能寺に入る。

藤四郎丸茶入れ、これがその茶器だが、信長はこのときに名品の茶器をたくさん並べて公家に見せたという。手段を選ばず日本中から集めた名品に公家たちは圧倒される。この世のすべてはオレのものというパフォーマンスだった。

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その夜、本能寺では宴が開かれて、信長の気に入った身の回りの世話をするものが集まっていた。そこで信長はひとりひとりに感謝の言葉を述べたという。

そのころ、明智光秀が軍を本能寺に向けていた。本能寺は今の場所から西に15kmほどのところにあり、住宅街となっているが、発掘調査が行われ、大きな堀があり、堅い守りの寺だったことがわかった。また焼けた瓦や壁土が出土して、かなりの大火事が発生したことが証明された。

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様々なテレビドラマで「本能寺の変」は演じられているが、実際のところは不明なのである。わずかに生き残った女中の証言や兵士の覚書によると

・本能寺にはわずかの側近しかおらず、門も開いていたという。

名台詞の「是非に及ばず」も、実は謀反どころか、自分が襲われるという予想もしていなかったことがわかる内容がその前に記載してある。

信長勢は多勢に無勢、絶望的な闘いの中でも信長は決してあきらめようとせずに戦った。

森蘭丸もその一人として知られているが。供正林は相撲が強くて取り立てられた。さらに意外な家臣は黒人の弥助。弥助はイタリア人宣教師が連れてきた奴隷だったが、6人力という腕力が気に入られて取り立てられた。

弥助は消息不明、伴正林は厩から一気に出たところを撃ち込まれ、森蘭丸は信長の盾となって死んだ。これを見届けてから信長は奥に入っていった。

そのときに女中が信長を見ていた。その女中たちに信長は「生き延びよ」と声をかけていった。これが最後の言葉であり、信長は自ら命を絶ったと思われる。

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信長を祀る廟所や墓は全国各地にある。信長の首塚があるといわれるのは静岡県内だが、実際のところ遺体は謎である。

上京区の阿弥陀寺。ここに信長を密かに埋葬したという書き物が残されている。

寺に残る文書が秀吉vs僧侶の対決が見てとれる。

光秀は信長の遺体を捜していた。しかし本能寺の焼け跡から見つけることができなかった。羽柴秀吉は本能寺の変を聞き、全国の武将に文書を送った。クーデターは失敗したので光秀にくみしないようにというものだった。

多くの武将が秀吉に寝返り、山崎の戦いで光秀を破った。

信長の遺体が無いことを利用したわけだが、秀吉にとっても遺体が無いことは困ったことであった。しかし上京区の寺で密かに信長の葬儀が行われたと伝えられた。

阿弥陀寺の僧侶「清玉」は、本能寺に潜入したが既に信長は遺体となっていた。

清玉は、おなかの中にいたころ、母親が陣痛に見まわれ、織田家に助けられた。母親は出産後亡くなり、清玉は織田家に育てられた。その恩義から清玉は織田家と深いかかわりを持った。

秀吉は信長の葬儀を政治パフォーマンスに利用しようとするが、清玉は決して認めなかったという。

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秀吉は仕方なく、阿弥陀寺とは別の大徳寺で信長の葬儀を盛大に行う。

では遺体がない中でどうして葬儀をおこなったかというと、信長の木造をこしらえて、それを焼いて遺体の代わりにしたという。

秀吉と阿弥陀寺の確執は後日談があり、阿弥陀寺は清玉が死後、縮小されて阿弥陀寺は寂れていったが、これを助けたのが森蘭丸の一族だった。寄進を続けて寺を復興した。

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信長の話は「信長公記」にやさしい一面も記載されているが、天下を狙った魔王のイメージが席捲している。今は建勲神社に祀られて「神」となったが、信長は時代を超えて人々の心を捕らえ続けている。