建築家の坂茂氏、口ひげと顎ひげがちょこっとあって、目が優しい。

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ハイチ共和国の大地震。坂は建築家の目でその現場を見て回った。52歳、建築家として出来ることはないかをさぐっていた。当局の人にも質問し、坂は紙で作る被災地の仮設住宅を提案。

軽くて運搬がし易い、そのうえリサイクル可能で、何よりコストが安い。

1995年、阪神・淡路大震災をはじめ、1999年のトルコ大震災でも紙の住宅が活躍した。世界にその名を知られる売れっ子建築家でもある。

異端にして先端を行くその建築は、大好評。ハーバード大学の客員教授でもある。

国境を越えて世界で活躍してきた坂であるが「建築ってそんな重要なことじゃないんじゃないかと。」と語るが、パリ・ニューヨーク・東京に事務所を構えて、130ものプロジェクトが同時進行している。

いろんな国の人がスタッフとして働いている。

中東の国から発注された美術館のデザインを考える。

砂を見つめて、建物のイメージを広げる。ユニークな発想が現実化していく。

気になった帽子から、フランスのポンピドー美術館の屋根になり、窓は額縁のように「ピクチャーウィンドー」になった。「ここでしか出来ないデザインをしたい。」

屋根からやわらかい光が入り込む。

ところが外回りに問題発覚。「半透明」を依頼したが、「透明」になっていた。よくよく見ると仕上がりも雑な箇所があった。だがここからの「粘り」が大事だという。

坂「デザインよりゼネコンや役所との交渉のほうが時間がかかるし大事」と語る。

教壇に立っては学生に話しかける。

世界中を回るために、行く先ざきのホテルが事務所になる。

坂「坂本龍馬が好きなんです。」

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1959年東京生まれ。イラクの被災地で「紙の教会」を作って喜ばれて、そこから被災地での家造りが主な仕事になる。

めったに無い大仕事が舞い込んだ。中東国の教育施設だ。コンペが開催されるため、その模型創りに励む。

2週間後、アブダビにとんだ。コンペに勝つことは重要なこと。さてスタッフに任せた模型はどうなったか?

「モダンな感じが伝えわらないね。」拘った感じが出ていない。「自信が揺らぎましたね。」と打つ手の無さを嘆く。

そのままプレゼンに臨んだ。主催者からは「今回ダメでも次があるよ。」と励まされた。

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2010年2月ハイチに大地震が起きた。坂は急ぎ現地に向う。

現地でアレックス教授と合流し、バスをチャーターしてドミニカからハイチに入り、目的地のポルトーフランスに向う。

まずは建物がどんな被害を受けたかを視察。「やはり人災ですね。揺れでは人は死なないけど、建物が壊れて潰されたりする。」

坂はすぐに自分が設計したテントの説明を国の当局者に説明する。

新製品を売り込む営業マンのような努力が必要だ。

街の中心を少し離れると、支援の手が届いていない地域があった。むき出しの地面に布を目隠しにして囲っただけだ。住民は何よりも雨を恐れていた。

坂はこの地に紙のテントを建てることを決めた。費用は寄付金を頼ることにした。建築家として出来る被災者救援の実践だ。

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隣国ドミニカ共和国のイベロアメリカーナ大学で学生を中心にテント作成が始まった。

強度に頼り切らないテントを紙原料(紙管)で製作。しだいに学生達が自主的に製作するようになった。

坂「建築家として出来ることをやる。」

4月半ば、彼らの手で造られたテントがハイチに配置されるという。

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イタリアの被災地、ハーバードの学生達を連れて被災の現場にいた。

坂「有名な建築家になりたいと思っている学生も多いけど、金持ちの住宅を作ることも、被災地の被災者のためにつくることも、同じような満足感が得られることをわかって欲しい。」