厚いコートを着込んだタモリさん。六本木の交差点からスタート。

久保田アナにとっての六本木はリルズからだという。でもテレビ朝日は入社試験で落ちたんだって。

六本木ヒルズと東京ミッドタウンですっかり様変わりしたが、江戸時代は大名屋敷町だった。

その大名屋敷跡にはいったい何ができたのか?

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まずは東京ミッドタウン。かつては萩藩毛利家のお屋敷だった場所だ。

ここで東京学芸大学の大石学さんが登場。今夜の案内人だ。

発掘調査の結果、江戸時代の屋敷の様子が良くわかったのだという。

そのお屋敷の様子がCGで再現。広い広い敷地だった。門だけでも25mもあったらしい。続いて表御殿。客と会ったりする場所だが、門から100mほど歩いてようやく表御殿の入り口。駕籠はここまで入ってこれたという。

殿様はいったいどこにいたのか?ミッドタウンの中央エスカレーターのあたり。

裏手は今も公園だが、当時も庭園があって、憩いの場所だった。

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次に向ったのは国立新美術館。ここは伊達家のお屋敷だった。

現在はルノワール展をやっているらしい。美術館に「別館」がある。

この「別館」は旧陸軍の歩兵兵舎だった。明治以降多くの大名屋敷が軍の施設に使われたのだ。

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石垣の上にコンクリートで固められたところにある2本の道路は江戸の道と明治の道。上に凹凸の無い道を作ったらしい。江戸の道は坂になって細いが、明治の道は平らで広い。

古くからあるうどんや、お蕎麦屋さんの主人に聞いてみる。

子供が塀を乗り越えると、門番が上官にビンタされたという。

2.26事件もおばあちゃんに抱っこしていておぼろげに覚えているという。

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戦後連合国の統治下に置かれた。軍の施設も米軍が接収したりした。

日本の軍人の街が一挙にアメリカ軍の街になったという。

戦後一気にアメリカの街になった六本木。歩いていると井上順が現われる。

井上順は六本木育ちだ。50年前から知っている。ハンバーガーショップが日本で一番に出来た街だ。常に最先端の街となっていったのも頷ける。’ちょっと外国風なバタ臭い街’というイメージが出来上がっていった。

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ブラタモ写真館は六本木にあった二宮金次郎像。建てたのは森野さん。

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「ねずみ坂(別名いたち坂)」小動物が通るくらい狭い坂ということから付いたらしい。ここで都市史家の岡本さん登場。高台には大名屋敷、窪地には武家屋敷が連なっていた。

ミッドタウンもヒルズも大名屋敷だったので高台だ。谷を下ると谷底には駐車場。窪地は細かく区画された武家屋敷だったので、大規模開発は困難だった。今もまだコテコテしているのはそのせい。

路地にも江戸の痕跡が!クランク状になっているのがその証拠。

趣のある古民家発見。でも住んでる人はいないようだ。ガラスの古さが目をひく。書道家の吉田苞竹の住居だったところで、現在は遺品などを管理している。土蔵もあって地震にも耐えて残っていた。

屋根裏に上がると、「明治22年」の文字が梁に書かれていた。しかしこの屋敷ももうじき大規模開発で消える運命にある。

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窪地を後にして、六本木ヒルズにやってきた。マンションの建っているあたりは、窪地を埋め立てたもの。埋められた窪地の痕跡を探す。案内は松本泰夫さん。その痕跡は・・・階段!細い路地の階段、埋められる前はさらに下まで続いていた。6mもあったという。六本木六丁目は下町の風情が残っていた。

もちろんCG&実写版で、過去の坂のあった窪地の街を再現。

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高所恐怖症だというタモリが六本木ヒルズの屋上へ。

レインボーブリッジや東京タワーが一望に。

黒く見える公園となった部分は大名屋敷だった場所。東京は何層も何層も住み続けてきた街。時代が変わるとともに街も変貌していった。