迎賓館や高級料亭。今夜は赤坂です。
いきなり迎賓館からスタート。国賓などを招いてここで晩餐会などを行なうところ。門がとにかく高い。門衛が正面の門を重々しく開けて、石畳の道を進む。
皇居の西側にある迎賓館は、江戸時代紀州徳川家のお屋敷。
そこにネオ・バロック建築の洋風建築が明治に出来た。
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タモリにとっても初体験。芸能界にいて1・2を争うラッキーだという。
迎賓館庶務課長の平田さんがお出迎え。全国抽選で年に1回、2万人が入れるのだという。
正面から入れるのは国賓のみ。今回は横から入り、まずは手袋を渡されて、靴にはビニール袋をかぶせる。
階段の絨毯も端っこを歩くように指示されて、ジワジワと登る。シャンデリアもまぶしいが電気は省エネだ。
「朝日の間」はまさに賓客を招く応接間。16本の柱があり、窓を開けると噴水が!絶景です。
黒い木の門から外に出た。ここが報道陣が出入りする門だという。
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赤坂見附は大交差点。見附は江戸城を見張る場所。
今は高速道路が交錯する近代的な光景だ。ここから案内人が登場。
溜池は名の通り、貯水池があり、三大将軍家光はここで泳いだという。堀の一種だったのだ。溜池もいまや大交差点。歌川広重作の溜池も画面に。
外堀通りに出て、通りを横に走る道は堤防だったらしく少し坂になっている。
急に石垣が出てきた。ここは内藤家の下の石垣で「赤坂のどんどん」と呼ばれていた瀧もあったらしい。
もうひとつ別の場所に石垣が発見された。文部科学省を新しくするときに発見された。先ほどの石垣に続いているものだという。
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薬研坂、丹後坂、円通寺坂など、坂の多い町だが「赤坂」は無い。
三分坂は料金を3分増しにもらうから名が付いたという。
雷電為右衛門、9割6分2厘の勝率という驚異的な強さだった。その相撲取りが眠る寺がある。
その寺に何故か北海道の急行「らいでん」の看板がある。5枚あって2枚は大事に取ってあると住職。
雷電の墓のそばに「手玉石」があるが、110kgくらいあって、それを手玉にして鍛えたのだという。
寺には住職と雷電が「酒相撲」して住職が勝ったという逸話があり、そのときのおちょこが残されている。
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昭和34年、マイカーはまだ珍しかった頃、赤坂に出現したのがショーを売り物にするナイトクラブ。昭和を代表する銀幕のスターも常連だった「ニューラテンクォーター」、支配人の師岡さんが案内。
ナットキングコールやポール・アンカも来たのだという。今は往時の面影は無いが、タバコ売場を記憶の頼りに、今は薬局のあるあたりを見る。図面を出して、そのステージの様子を忍ぶ。ルイ・アームストロングやサラ・ボーンなどもステージに立った。
夕方6時くらいから黒塗りの車が並んで、人力車で芸者がいてという不思議な輝く空間だったという。
ニューラテンクォーターをCGで再現。
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タモリ写真館は、消火栓の看板の下にあった「米国ビザ却下のご相談はこちら」という看板。
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赤坂といえば料亭。昔は60軒くらいあったという。
お姐さんに声をかける。池上清美姐さん。
ここで伝説の芸者「万竜」さんの写真が登場。当時のスーパーアイドルだったという。
明治時代の一ツ木通りは赤坂の芸者衆の日用品や料亭の必要品で賑わった商店街。和菓子屋のおかみさんが往時の状況を語る。お風呂屋さんもいっぱいあって、芸者衆がものすごく粋だったと語る。
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赤坂みすじ通り。高級料亭体験へ。
網代天井、舞台など、あり座る場所を聞きながら女将の秋葉さんから、これからの段取りを聞く。
白塗りの育子姐さんと雪子姐さんが登場して、話を聞く。育子姐さんは熊本から出てきて、雪子姐さんは大学の建築学科を出たという変り種。
踊りは日吉踊り、歓迎の舞いだという。小唄や囃子が入って本格的。
実は去年復活を遂げたという。日本伝統のもてなしの心が復活したのだ。
(終わり)