1856年再び江戸にやって来た龍馬。千葉道場に挨拶に行った。定吉に父が亡くなったことを報告。定吉は「死に甲斐のある生き方をせよ。命は使い切るものだ。」と教えられる。

佐那にも再会するが、なんとなくよそよそしい。

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重太郎は佐那に態度を問いただすが、佐那は2年4ヶ月も待たされたことに、気持ちを抑え切れなかった。

龍馬は岡田に会った。武市半平太は江戸においても頭角を現して桃井道場の塾長になっているという。

武市が帰宅し、龍馬に「今夜会合がある。」と誘い、薩摩藩士の樺山などを紹介される。攘夷の志士達の会合であった。遅れて現われたのが長州藩士の桂小五郎。既に龍馬とは旧知であった。

武市は日本を守るためには、攘夷の意思を持つ各藩の藩士が連携し、攘夷を広めていかねばならないと主張。

しかし武市は土佐の殿様に攘夷を訴えることができない下士であった。

そのジレンマを龍馬にぶつける。

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アメリカのタウンゼント・ハリスは江戸城に文字通り土足であがり条約を迫った。天皇は「異人は嫌いである。」と発言。これが後に攘夷の者達の後ろ盾となる。

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土佐では弥太郎が獄にいた。多くの罪人たちと寝起きし会話する。その中から「商売の極意」を得ることになる。

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龍馬は千葉重太郎に呼ばれて接待を受ける。重太郎は佐那との仲を取り持とうとしたからだった。

重太郎は盛んに佐那が大人びてきれいになったと龍馬に聞かせる。

佐那が料理を運んできたのを機に、重太郎は席をはずし、二人きりにする。

佐那は積極的に「料理を坂本様に食べていただきたい。」と龍馬に詰め寄るが、龍馬ははぐらかす。

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慌てて千葉道場を去る龍馬。

同じ頃、事件が起きた。寄った土佐藩士棚村が町人にいちゃもんを付けて脅した。町人は驚いて手荷物を落として逃げる。藩士が拾ったものは舶来の時計だった。上士棚村が山本琢磨に罪を押し付ける。

山本は武市の一門だった。武市は山本に「腹を切れ!」と命じる。攘夷の藩になってもらうためには、殿に腹を切ってお詫びするというのが武市の考えだった。

龍馬はこの出来事を土佐の中屋敷に帰って聞く。龍馬は武市に面会し、「謝って許してもらえばいいじゃろ。」と忠言するが、武市は「お前は口出しするな。」と突っぱねる。

龍馬は時計を持って町人の許を訪れて、時計を返し、山本が腹を切ることになっている。訴えを取り下げてくれと土下座する。町人はこの願いを受け入れて訴えを取り下げる。

龍馬は屋敷に帰って、このことを報告し山本を解放するよう依頼するが、平井収二郎は「目障りじゃ!一門でもないくせに。」とこの申し出を拒否。

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弥太郎は獄の中で、学問で身を立てることのみ考えていたが、商売で身を立てる道があることを悟る。

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龍馬は’攘夷のためじゃ。おまんは口出しするな’という武市の言葉を反芻する。そして山本を夜の闇に乗じて連れ出し、命を救い江戸を離れるよう指示して船着場から逃がしてやる。

山本が逃げたことを報告する武市に藩の上役は「お前の責任はまぬがれんぞ。」と脅される。武市は荷物をまとめて土佐に戻ることになる。

武市は「目先のことに捉われておられんのじゃ。」と龍馬に語る。龍馬は「山本の命を軽んじたら、それでは鬼じゃ」と反論。武市は「わかったようなことを言うな」と返す。

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龍馬は千葉道場で剣の稽古に励んだ。

土佐には大きな嵐が巻き起ころうとしていた。

(つづく)

・・・この後、山本琢磨はニコライ堂の建立に尽力したのだった。日本初の司祭である。・・・