閉鎖された工場は昨年100を超えた。また日本の技術を凌ぐ国も現われた。

MADE IN JAPANは模索のときを迎えている。

東芝深谷工場。先端開発の最重要工場と位置づけている。

ここで他の追随を許さない技術を開発しようとしている。

最高級の画質で、8チャンネル全部を録画する技術を開発中。

担当グループの森正法さんは「職人の究極を出すしかない。」と語る。

テレビは今や半導体チップを埋めれば容易に高性能のものが出来る。

したがってアジア勢力に、低価格でシェアを奪われている現状がある。

それを超高機能テレビで挽回しようというもの。合計3テラバイトのHDDが取り付けられて8チャンネル分を録画できるようにする。そしてスーパー半導体を使用して8チャンネルを画面に出す。この半導体を動かすソフトウェアが大事だ。チューニングを終えて、この超高機能テレビを稼動してみるが、地上波デジタルが映らない。セルプロセッサーを動かすソフトにバグがあることがわかったが、このソフトを直すには容易ではない。

ものづくりに現場にはソフトウェアを修正する技術が求められる。

現場の問題は現場で解決してきた技術者達も、今回はソフトウェア開発者に委ねることになる。その技術者がいるのがコアテクノロジーセンター。深谷工場からの連絡に騒然となる。スーパー半導体とセルプロセッサーに必要なソフトウェアは厖大で相互の干渉もあるため非常に難しい。

本社から営業担当が工場を訪問。会議は難航する。

------------------------------------------

1940年代の深谷工場。確かな品質で故障率は欧州の5分の一。

技術者が一台一台、画質を確かめていた。松尾多喜男さんは東芝の画質を決めてきた技術者だ。「暗黙知」として現場の経験を積み上げてきた。

しかしアメリカはロケット打ち上げ技術などで、デジタル化を進め、日本は家電などで世界2位のGDPに押し上げたが、パソコンというアメリカ発のデジタル革命が、テレビにまで進出した。

アメリカでも日本メーカーと比べて品質は同じで価格の安いVIZIOブランドが席捲。アムトランという会社が中国蘇州で製造。パソコン型の製造方法で、デジタル基盤を機械が造り、自社開発の装置で品質を確保。画質の調整もプロセッサーに組み込んでいる。熟練の技術は要らないのだ。

------------------------------------------

液晶テレビの日本向け販売も始まった。32型を42800円で販売する。

日本は何を作るのか?日本で何を作るのか?日本メーカーではテレビから撤退する会社も出始めた。

ビクターJⅤC・ケンウッドの新製品は、ソフトの特許も考慮したアイディア商品。ものづくりだけでなく、複合したものをと考えなおしている。前田常務は上海を訪問し、クアンタ社に製造を委託する予定。クアンタは台湾発の中国企業で、世界の4分の一のパソコンを製造している。EMS社と特許収入を分け合おうという思惑。それもこれも新技術をクアンタ側がどう評価するかにかかっている。

前田さんも懸命の説明。手ごたえを感じて、ここで安く製造することを模索。早速提示する。価格は100ドル以下を譲らずに、ケンウッド側の取り分は4分の一にと交渉する。

この初めてのビジネスモデルは日本でさらに交渉を重ねることになった。

-------------------------------------------

超高機能テレビは快調に動き始め、見本市に出し勝負に出た。

森グループ長や、松尾主査も手ごたえを感じていた。二人は他社の動向を探るため、見て回る。かつてはライバル会社の技術に驚かされて刺激を受けてきた。今回は3Dを打ち出した社が多かった。

世界一の半導体メーカー’インテル’もついにテレビ市場に名乗りを上げた。

搭載されているのはアトム プロセッサーでwindowsを搭載している。

パソコン最強連合がインターネットテレビを打ち出してきたのだ。いずれ強力なライバルになることは確実だ。

超高機能テレビのブース。画面が出てこなくなり、頭を抱える森さん。

松尾さんが駆けつけるが、手触りの無いデジタルな製品に手をこまねく。

-------------------------------------------

JVC・ケンウッドの前田悟常務は11月に正念場を迎えた。

ついに上海から交渉に来たのだった。しかし段取りが取れずに苛立つ。EMSに理解してもらうことに懸命の説明。特許の貸し出しというビジネスモデルの説明、その後に試作品を取り出しての説明。商談は成立。新たなビジネスモデルが一歩進んだが、一抹の不安も抱えていた。台湾からいきなり来日したことに、その先を読まないとと引き締める。

-------------------------------------------

東芝深谷工場では、修正後のソフトウェアをコアテクノロジーセンターから受領し、交換する。今度は大丈夫なようだ。3000件ものやり取りを重ねてようやく安定した。

組み立てを終えた700台のテレビにソフトウェアを注入。激戦を緻密なものづくりの連携で挑む。

1ヶ月1000台の目標で、国内用と、世界に向けた次世代用も製造する構えだ。これからも国内で製造するのか、ひとつの試みが終わった。

日本が何を造るのか、日本で何を作るのか。

半世紀に渡って日本の製造を支えてきた深谷工場。今日もそこにあって模索が続く。