WNBAが6月6日に開幕した。そこに大神はいなかった。ロッカーにはOGAのネームプレートがある。何故?

今夜は「夢が叶うまで戦う」と題して女子バスケットの大神をピックアップ。

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大神はJOMOサンフラワーズ所属。14回のリーグ優勝を数える強豪チームだ。そこのポイントガードだ。ポイントガードはパスのセンスでチームのシューターを生かし、自身もシュートを打てるポジション。大神はアグレッシブなプレーでチームを鼓舞する。

ファンも多く、試合後には大勢がサインを求めて待っている。

WNBAは昨年度に出場を果たした。今回2回目の挑戦だ。

大神はもともとガードフォワードというポジションで、シュートを打つポジションだったが、WNBA挑戦するにはと

内海監督が「彼女のポイントガードとしてWNBAにチャレンジさせてやりたいというのはあった。」とPGに転向した。

しかし甘くは無かった。我を捨てて周囲を生かすのは決して簡単では無かった。2年続けて優勝を逃したのは司令塔が原因とも言われた。

しかし大神は諦めなかった。司令塔を諦めることはアメリカを諦めることだから。

いまや大神は日本を代表する司令塔。アシスト賞も2回連続受賞した。

本拠地千葉県柏市。アメリカのレギュラーシーズンが終わって、日本のリーグが始まった。大神は帰国してさらなるレベルアップを目指した。

アメリカでは強いあたりと長いリーチに悩まされ、その当りを経験し、左手も右手と同じように使えるよう努力した。

しかしアクシデント発生。日本航空戦でゴールしたに飛び込んで痛打し、左手首骨折。全治3ヶ月の重症だった。

渡米を3ヶ月後に控え、3日後にはリハビリに入った。「怪我を忘れようとしてトレーニングした。」

怪我から2ヵ月後左手の使用許可が医師から降りた。

練習試合が組まれ、実戦に取り組んだが、ボールが手につかずパスも通らない。「全然ダメ」とつぶやく。ブランクは大きかった。

渡米2日前の5月11日、医師のチェックを受ける。右手と同じようの使えるように回復。握力も戻っていた。驚異的な回復を果たしていた。

5月16日。出発の日。この日も体育館でシュート練習をしていた。内海監督も激励に来た。

チームメイトや両親が見送る中、アメリカに向かう。

5月中旬、アリゾナ州フェニックス。マーキュリーの本拠地だ。

チームはこの時期、毎年キャンプを行なう。大神を含めて7人が参加。3人が残るサバイバルキャンプだ。

今年は早くも大きな壁が立ちはだかった。エニカ・ジョンソン26歳。リーグを代表するポイントガードで既に契約を交わしていた。

エニカは余裕のコメントで大神を評価する。大神はこの強力なライバルと争うことになる。

5月26日、フォーメーションの練習が行なわれていた。タイミングが微妙に合わない。パスが通ってもシュートが入らない。ついにシューターから注文が入る。「もっと速いパスが欲しい。」と。

コーリー・ゲインズ監督も調子が上がらない大神を気遣う。

チーム専属のトレーナーが大神の異変に気づいた。パスが微妙に違う。左手のテーピングは実は骨折していた。

大神「絶対言いたくなかった。弱みをチームメイトに見せたくなかった。」

トレーニングの仕上げのプレシーズンマッチ。左右の手がうまく機能しない。6分でコートを退く。ライバルのエリカは活躍を見せる。

大神は第3Qに出場するが左手のドリブルができずにボールを奪われるなどミスが5回。

そしてついに痛みがピークに達した。

5月30日プレシーズンマッチ2回目が行なわれた。まだシュートをひとつも決めていない。

ライバルのジョンソンは先発しこの日も好調だ。パスもシュートも決めた。

大神は第1Q途中から出場し懸命にアピール。右手だけで持ち込んだシュートを決める。

しかし第3Qでパスを味方選手に出すときに、一見すると大神のミスに見えないがパスが失敗する。大神はそれを自分のミスであることを自覚「司令塔としては失敗だ。」と。

練習以外部屋から出ない日々が続き、いよいよ発表の前日。監督に申し出た「左手首の痛みがひどく、レベルが自分の思うところまでいっていない。」と。翌日には部屋を明け渡した。これが現実なのだ。

大神「ショックですね。」2度目のアメリカ挑戦が終わった。

その4日後にWNBA開幕。マーキュリーは開幕戦の勝利を挙げた。

しかしロッカーには「OGA」の名があった。招待選手の中から戦力外通告された選手名に無かった。

その理由は、手首の痛みに耐えて、プレーしていたから。

今日本に戻って再び夢を掴むための練習に励む。