真田十勇士などの物語で知られる真田一族。6武将に仕えたが、家康に追われて、上杉に助けを求めた。真田が有名になったきっかけもこの上杉家にある。
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1585年8月、春日山城に初音が訪問する。真田昌幸の娘である。
景勝に盟約を求めてきたのである。初音は人質を出すという。景勝は真田の約束を受け入れることを決める。
初音は忍びとして育てられ、天下を取ると思われる武将のもとに仕えて世を渡ってきたという。兼続はそんな初音を不憫に思う。
信州上田城が真田の本拠。次男坊の幸村が、上杉の人質として出されることになり当主の昌幸から言い渡される。真田昌幸は生き残りをかけて上杉に近づいたのである。
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兼続の屋敷に惣右衛門と与七が尋ねてきた。なんと惣右衛門が新たな妻を娶ったと、与七よりも年下の娘およしを連れてきた。与七は母上と呼ぶことが面白くない。
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そして幸村が春日山にやってきた。兼続を挑戦的な目でにらむ。
泉沢と槍の申し合いをするが、泉沢が勝った。その夜兼続の屋敷で食事を供する。幸村は負けた悔しさからか一言も発しない。そして発した言葉は「上杉の家来は食わせ者揃い。」
兼続に椀を渡して、酒をすすめる幸村に、兼続は受けてたつ。
翌朝、泉沢が槍を盗まれた!と駆け込んでくる。幸村が怪しいと睨んだ泉沢は、幸村に詰め寄るが、幸村は再度手合わせ願いたいと申し出る。
そして幸村が手段を選らばぬ戦い方で勝つ。この鼻持ちなら無い幸村を兼続の屋敷で引き取ることにした。
馬を走らせ海に出た兼続と幸村。兼続は「おぬしを信じておる。」と槍を盗んでいないことを信じるという。しかし幸村は他人を信じたことなど無い。それが真田の生き方だと告げる。幸村は「槍を盗んだのはわしでござる。」と嘯いて去る。惣右衛門にこの話を聞いてもらう兼続。
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そんな中、景勝に真田から書状が届いた。家康が動いたという。
家康は真田・上杉連合軍をつぶしにかかってきた。上田城に兵を向けたという報に、兼続は幸村に上田に帰れと伝える。それが上杉のやり方だと語って。生きていればまた越後に人質に来れば良いと。
泉沢が尋ねてきた。槍は子供が壊して、妻が修理に出していたという。謝る機会が無いかもという泉沢に兼続はきっと戻ってくると語る。
上田城は真田が仕掛けた戦法にことごとくひっかかり、死者の数で10倍の家康軍が敗退した。
幸村は援軍を出してくれた上杉のもとに再び人質として戻ることにした。
景勝と兼続は次の春の上洛を語っていた。
そこに幸村が雪降る中を戻ってきた。「直江兼続様の弟子となるべく戻ってきました。」と宣言。兼続は「好きにするが良い。」と受諾。
(つづく)