爆笑問題のために立ち上げた事務所「タイタン」の社長。今や多くの人気タレントを抱える。太田の糟糠の妻である。
レギュラー番組10本の爆笑問題、ほかに11人ものタレントを抱える「タイタン」社長44歳。橋本徹知事とは弁護士契約を結び、山中秀樹も信頼をおいて入った。
その昔は、モデルでタレントだった。太田と同期である。
事務所でパソコンに向かいながら、電話に出る。1日100件近い電話に出るという。もちろんタレントのマネージャーを集めてミーティング。戦略を話すためこの取材は拒否。
今ではタレントのみならず、テレビの企画も売り込む。この日は爆笑問題が司会をする企画をテレビ局に提案。
テレビ東京の製作部長も信頼を置く。
東京赤坂のTBSラジオ。収録に顔を出した社長。ネット配信もあるため顔を出した。「爆笑問題カーボーイ」である。ブースでの太田の力説を腕組みして見つめる。収録後は別に帰る。
太田は「天職だと思いますよ。」
田中は「面倒見が良くて、責任感が強い。」
と彼らも全幅の信頼を置く。
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時事通信ホールでお笑いライブ「タイタン祭り」が催される。ライブを一番大事にしている。この日はライブをネット配信するということで、社長も顔を出す。社長はネタには口出しを一切しない。
客席は満員。’5番6番’から始まった。舞台裏では太田社長が真剣なまなざしで見ている。「逃げちゃうようだと指摘する。」次は’長井秀和’離婚ネタで笑わせる。
爆笑問題はネタ合わせ中だった。「給料は月5万です。」と社長。舞台は村崎太郎次郎。お馴染みの芸で笑わせる。ネット配信の準備に目を配りつつ、いよいよトリの爆笑問題。大盛況のうちにライブが終わる。
打ち上げで、くつろぐ芸人に話を聞く。村崎「あの人がいるからタイタンに入った。」、長井「兄貴のような人です。」
爆笑田中も太田も「経営には口を出さない。」
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最近ではマスコミへの露出も増えている。強い女のイメージがあるが
1964年東京目黒区生まれ。股関節脱臼で動けず、遊ぶ子供たちを尻目におとなしく入院していた。そんなわけで楽しいことに目がいったという。小児病棟で亡くなった知り合いの子供たちが亡くなったことで、より一生懸命に生きようと思ったという。爆笑問題とは事務所が一緒の同期。爆笑問題の太田は、光代さんの自宅でコントの勉強で集まったときに、太田光だけは帰らずに、その日から同棲生活が始まって、翌年に結婚。
最初は順調だったが、事務所を変わって仕事が無くなり、まず収入が無くなった。働かない夫に代わって、光代さんがアルバイトに精を出して生活を支えた。しかし太田の才能、笑いのセンスを高く評価していた光代さんは離婚は考えなかった。
NHKのコンクールに出場し起死回生の優勝を遂げて、事務所も「タイタン」を立ち上げた。爆笑問題は各局のコンテストにも出て人気が高まった。単独ライブ敢行も成功し、太田光代もデキル女として認められていった。
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フラワーショップとハーブの店、太田光代さんが立ち上げたもの。自身が癒されたいからという。
川崎市の新百合ヶ丘近くに「キューピット・ハート」という3つめの店を計画。トータルな癒しの空間として、ハーブ・花・そしてトリートメント。特にバラは伊予から取り寄せたりと本格的。カウンセリングルームも設けた。
実は光代さん自身、不妊治療で体力が落ち、辛い思いをしたことで、悩みを打ち明ける場があって救われたことがきっかけとなっている。
居酒屋で仲間と誕生日パーティ。社長から「みっちゃん」に戻るときだ。
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キューピット・ハートのオープン日。花輪がたくさん届いていた。お客さんの反応は上々。ハーブティが飲めるエリアも盛況だった。少しずつ認知されていけばいいと光代さんも店に立っていた。
そんな光代さんの阿佐ヶ谷の馴染みの居酒屋「だいこん屋」、「太田光も田中も飲まないからみっちゃん一人が飲んでいる」と主人。だいこんの煮物と、ハイビスカスソースの料理、ハイビスカス割をいただく船越さん。
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都心から郊外へと走る車、光代さんが現れたのは別荘。光代さんがエッセイを書くために利用している。山に囲まれて何も無い静かな中で英気を養い一人きりでパソコンに向かう。
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この夜は、都内のレストランで待ち合わせ。相手は民主党議員レンホウさん。二人はテレビ東京の「ひょっこりひょうたん島」で共演した。プロデューサーを交えて3人で会食。レンホウさん「20年前のみっちゃんは危なっかしいイメージだった。」、光代さん「会社面白い。社長面白い。」、レンホウさん「合ってたんだね。幸せなんだよ。」と話は尽きない。
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芸能事務所社長として、癒しの空間のショップとして、多忙な光代さん。こっちも多忙な光は「夫としてはダメだな。」、光代さんは「何年かして世界一周しよう。」が夢と語る。
光代さん、「光」に「代わる」という名前が今は好きだという。