滋賀県にあるブラジル人学校。去年の年内最後の授業の日。親が勤務先を解雇された子供たちが多数いる。
親の多くは派遣社員などで会社で働く日系人。しかし解雇が相次ぎ、コミュニティーも揺らぎ、親たちはどうしたら子供たちを学校に通わせられるか悩んでいる。
こうして友人(アミーゴ)と別れなければならない子供たちを追う。
マコト・オノ君、日系ブラジル人11歳。親戚がオカネを貸してくれて久しぶりに学校に登校できることになった。
滋賀県の工場は自動車や携帯電話をつくる工場が多く、ブラジル人も多く働いている。
ラチーノ学院がブラジル人学校。マコト君の復帰にみんな大喜び。担任のレジアニ・マエジマ先生もずっと気にかけてくれていた。小学生から高校生までいる学校で、日本語が多少不自由でも大丈夫。月間4万円と高いけれど安心して通わせられると親にも好評だ。
しかしこの日も転校、もしくは学校をやめる生徒がおり、500人いた生徒も今では200人に減った。
マコト君一家は県営住宅に住んでいる。父親も母親も自動車工場で働いていたが、母親が解雇されて、収入が減り、子供たちを学校に通わせる余裕が無くなった。
マコト君は普通の日本の公立学校に通っていたが言葉の問題を克服できずに、ブラジル人学校に転校した。
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19年前に、ブラジル人など外国人労働者を積極的に受け入れ始めた日本企業も、最近の不況で方針が変わってきた。父のノルベルトさんも解雇されることになって一家の収入の途が絶たれた。日本で永住したいと考えていた一家の夢は裏切られたカタチになった。
ノルベルトさんはコミュニティーの人に相談するが、ブラジルに戻りたくても交通費が払えないので帰れないという事情を抱え、日本にいても仕事は無く途方にくれる。
マコト君のクラスも13人に減っていた。ジュニオール・サキヤマ君は大の親友だったが、マコト君が復帰したときにはいなかった。ジュニオール君は日本の学校に転校していた。日本語が出来ずに毎日特別授業をうけている。
ジュニオール君はなかなか友達もできない様子で、レジアニ先生も母親も心配していた。ジュニオール君は懸命に日本語を学習し、お母さんを助けたいという意思があり、頑張っていた。
レジアニ・マエジマ先生がある提案をした。離れ離れになったアミーゴにいつまでも友達でいようという手紙や絵をかいて送ろうというものだった。
マコト君も詩を作って、友人たちに送るようにしたが、書いているうちにだんだん不安になってきた。両親が「クビ」という言葉をよく口にするようになったという。
父のノルベルトさんは職探しを始めていたが、ポルトガル語を話せる担当者は忙しくて日に6人しか対応できない。この日は早朝から並んだが、まだ仕事が見つかっていない。
両親はマコト君にいつ解雇されたことを話そうかと思案していた。しかしマコト君は既にそれを感じ取っていた。
発表会の日、マエジマ先生は「特別ゲスト」を招いていた。それはジュニオール君だった。
発表は、まず女の子が似顔絵を、次に友達への思いを書いた手紙、そしてマコト君の順番。発表後に記念撮影をしてジュニオール君ともお別れ。
ジュニオール君も涙を拭きながら手を振る。
マコト君「ぼくたちにもいつかきっといい日が来る。」