プライベートジェットに乗るロシアの新興財閥ミハエルさん。大粒のイクラで食事。その3日前にリーマン・ブラザーズが破綻、まだこの時期にミハエルさんに危機の実感は無かった。しかしその直後、危機の嵐に巻き込まれる。海外からの資金引き上げが始まったからだ。窮地に陥った財閥たちが頼ったのは政府だ。政府はオイルマネーを握り資金を蓄えていた。そのメネーが救済に回されることになった。政府の厳しい選別が始まった。

「プーチンのリスト」と呼ばれる国に利益をもたらすであろうと選別された先が記載されている。財閥たちはこのリストに載るよう国家との関係を深めていった。世界を覆う不況の中でロシアはその「国家資本主義」を際立たせている。

社会主義とその崩壊、グローバリズムの襲来でダメージを受けたロシアが、プーチンによる国家主義で石油など資源を武器に復活をかけている。その強まる国家主義を追った。

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リーマンショックから3週間、銀行の破綻などがニュースになり、株価が30%下落。市場は機能停止に陥った。

新興財閥スリペンチク氏のもとで、金融・都市開発計画「メトロポーリア」は凍結、完成したビルもテナントが入らない。10月に幹部を集めたスリペンチク氏は社員の給与を下げるなどの方針を出した。

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去年9月、海外でのリゾート建築に乗り出すため、スリペンチク氏はアドリア海を臨むモンテネグロの地に別荘地を作り、ロシアの富豪などに販売する計画だった。氏は日本にもたびたび訪問し「不動産国際投資フォーラム」などのシンポジュームで講演。大手投資グループにファンドの設立を提案していた。

氏の個人資産も1千億円に迫る勢いだった。

1965年シベリアの地に生まれ、体制崩壊も学生時代に経験。アメリカ映画の「ウォール街」に衝撃を受け、いずれロシアも資本主義に走ると考えた。14年前に会社を設立した際は、国家に頼らないことを目標に掲げた。

フランス・カンヌのアレキサンダーの別荘も買い戻す計画を立てていた。

しかし海外からの借り入れで資産を伸ばしていたロシアの新興財閥は軒並みに資金の逆流になり、苦境に立たされた。デリパスカル氏の会社破綻の噂はその最たるもの。

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しかしビクともしないのが、ロシア政府だった。国は石油収入などを蓄えており外貨準備高が高かった。

どの会社を救済するかを選別したリストがプーチンリスト。

スリペンチク氏は国に頼らないという方針を貫くべくもがいていた。

頼みの綱は「鉱山事業」亜鉛鉱山を4年前に握っていた。予定通りなら東シベリアの丘陵地帯にある鉱山から採掘され、日本などに輸出することになっていた。ボーリングでは4%もの亜鉛が含有しており世界有数の鉱山だという。

しかし精錬など、施設・設備に莫大な費用がかかり、2010年採掘開始するにはすぐに取り掛からなければならなかった。しかし、投資を予定していたカナダの会社が撤退を表明。スリペンチク氏は苦境に立たされた。

自力での生き残りを断念せざるを得ない状況になっていた。

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プーチンの戦略は、国益に反する企業を淘汰し、強国復活を目指した。資源を抑えた新興財閥は、体制崩壊後、大きな力を付けていった。2000年、エリツィンの後継者として大統領に就任したプーチンはこういった新興財閥を国家反逆者と名指しし、ガスプロムなどの財閥に、腹心を送り込んで国家管理へと移行した。

資源などの基幹産業を国が握るという独自の国家資本主義を構築していった。

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リーマンショックから1ヶ月、プーチンは国家資金を財閥につぎ込むことを表明。企業の審査が始まった。どの企業を存続させるか、外貨を稼ぐ力や、国家に寄与するかどうかなどの判断材料とともに、国が指名する経営陣を送り込むことも盛り込まれた。リストつくりの最中、デリパスカス氏はペルーのリマにいた。デリパスカス氏も国の資金にすがったと報道された。

一方、スリペンチク氏は中央アジアの会議に出席。ネドベージェフ大統領も出席する会議で、ロシア政府がどういう企業を支援しようとしているかが興味の的だった。スリペンチク氏も考えを変えて、政府から資金を借りることも考え始めていた。鉱山開発にかかる大きな事業資金は個別企業では困難だからだ。しかし国に経営権を持っていかれ収益を取られることに悩んでいた。

この日は民間の会議に出席し、そこで国家の担当者とも会話。亜鉛鉱山の優位性を説明する。

しかし事態は悪化する一方。暖房費などの削れる経費の検討まで行っていた。

スリペンチク氏は今ではプライベートジェットもやめて、アフリカはコンゴ民主共和国を訪問。未開発の鉱山の開発権をロシアに手繰り寄せようと考えた。

まずはロシア大使館を訪問。ここで採掘権獲得にしのぎを削る各国の状況を聴取。ライバル中国がプッシュしているという。コンゴ大統領との直談判をすべく面会を求めていたが、帰国する日のわずか15分が与えられた。

カビラ大統領との会談は予定を超えて1時間半に及んだ。コンゴ進出の窓口になるという約束を取り付けた。

成果は持ち帰ることができて少し安心するスリペンチク氏。

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12月25日、295社にのぼるプーチンのリストが発表された。スリペンチク氏の会社はリストから漏れた。「採掘が始まっていたら載っただろうに」と氏は残念がる。

1月スイス・ダボスで世界経済フォーラムが開かれ、今年の演説にロシアのプーチン首相が選ばれた。そこに参加していたデリパスカス氏は国からの資金受け入れとともに、国からの役員を受け入れた。

プーチン2次リストもまもなく公表されるが、その中に入るべくスリベンチク氏はウリアート共和国の大統領に面会。2次リストの推薦者に名を連ねている大統領にアピールするためだ。

こうしたスリペンチク氏の働きは今も続く。

プーチンのロシアは独自の国家資本主義の道を突き進んでいく。

「国家と同じ方向を向き、政府と同じ道を歩むしかないのです。」とスリペンチク氏。

(第1回終了)