2008年2月1日巣鴨駅。1年前はこの巣鴨駅で路行く人にデビュー曲を歌っていた。その10ヵ月後、演歌歌手としては異例の速さで紅白歌合戦出場を決めた。

母がアメリカから晴れ舞台を見るために帰国。そこで見せた涙。

演歌歌手ジェロ27歳の知られざる素顔に迫る。

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2008年9月熊本でラジオ番組に出演。出番を待つ間にアイロンを取り出して、アイロンがけ。公開番組なのでファンの前で歌の披露。そして終わるとすぐに移動して徳島へ。

テレビ局が待ち構えてインタビュー、新聞社の記者、タウン誌の記者と取材が続く。先々の食べ物が楽しみ。この日はホッケの塩焼き。

英会話学校の講師をしていたときに「のど自慢」に出演。「夜桜お七」を歌い、’合格’の鐘を鳴らす。

祖母の多喜子さんの影響で演歌好き。日本に来てから、ジャズコンサートの前で、ヒップホップのアレンジで演歌を歌って注目されメジャーデビュー。「海雪」がデビュー曲となった。

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デビュー当時から「紅白」をターゲットにしていた。

10月にはアルバム作成に着手。キラ星のごとくの作詞者・作曲者が曲を提供。レコーディングは順調に進み、最初の日は1時間足らずで終了。その合間にもイベントの出演依頼が殺到。翌日は休みという日、曲を覚えるように言われて、「結局休みじゃないんだね。仕事・仕事・仕事!その考えがわからない。」と語る。

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ピッツバーグで4人兄弟の末っ子として生まれたジェロが歌手デビューして初めての里帰りをする。

母親の晴美さんと抱き合う。家の壁にはジェロのポスターが。

晴美さん「こんなに日本語しゃべったことないよ。」

そして夜は大学時代のダンスサークルの仲間たちが訪問してきた。

友人たちは歌手を目指していたことは知らなかった。いわく「口パクだと思った。」

毎年送られてくる紅白歌合戦のビデオ。夢中になって見ていたのはジェロだった。何度見てもまったく飽きないという。

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今回の里帰りにで74歳で亡くなった祖母の墓前に花を手向ける。ジェロのことを’チビ’といって可愛がっていたという。多喜子さんはデビューが決まる3ヶ月前に息を引き取った。

お墓の前で「ありがとう!」と泣きながら礼を言うジェロ。

日本食材を扱うスーパーに来ておつかい。祖母と母の会話は日本語だったが、ジェロ達とは英語だったという。

晴美さんは13歳まで、多喜子さんの実家に預けられていた。歌のうまい少女だったという。

晴美さん「楽しいことも悲しいこともいっぱいあった。」

辛いことを忘れさせてくれたのがカラオケだった。ジェロは自然に演歌に親しんでいた。最初に歌ったのが美空ひばり。そしてジェロは日本で歌手になる夢を膨らませた。

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ピッツバーグ大学で凱旋コンサートを行うことになった。楽しみにしていたイベントだ。ステージに立ったジェロは着物を着ない理由を述べる。そして大学時代のダンス仲間のダンスも加わり、五木ひろしの「夜空」を歌う。

観客はスタンディングオベーションで答える。

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11月オリジナルアルバムのレコーディングは佳境を迎えていた。’暮らしも心根も~’のフレーズがうまく歌えない。初めてナーバスな表情を見せた。撮影は切り上げ。

夜、レコード会社の川口さんが打ち合わせ場所に急いでいた。相手は作詞家の秋元康。「アルゼンチン逃避行」という曲に対し、「演歌なのに何故アルゼンチンなのか?」というジェロの疑問をぶつける。川口さんは秋元氏の考えを伝え、再びレコーディングに。二度と歌詞のことを聞くことはなかった。

ジェロは「疑問に思ったことは解決しておきたい。」と語る。

そのレコーディング作業にNHK紅白歌合戦への出場が正式に決まったことの連絡が入る。

早速母親に電話で伝える。「すごい、喜んでました。」「ずっと夢に見ていた紅白に出れることになったんですね。」と顔を覆う。

オリジナルアルバム作成も佳境を迎え、母親への思いを歌いたいと、中村中に曲を依頼。性同一性障害を持つ、中村さんに、ジェロは母への気持ちを打ち明けた。曲ができたが、レコーディングは時間も無くてなかなかうまくいかない。そこに中村さんが現れて、重苦しい雰囲気が一変した。

「母は誰にでもあるものだから、遠くまで届けたいよね。」と中村さん。

川口さんは最後の部分に納得がいかない。♪オイラの姿、見ててください~の部分がクリアじゃないとの指摘。

再びブースに入り、テイクする。そして納得の出来上がり。

アルバムタイトルは「約束」とされた、

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12月26日、アメリカから晴美さんと兄弟たちが来日。

晴美さんは13歳まで暮らした横浜で、小学校時代の友人富士子さんと40年ぶりに再会。

晴美さんは座間のキャンプで自殺未遂したという。晴美さんの母と祖母が来日のたびにいつも喧嘩になり、「私がいなかったらいいと思った。学校で石投げられていじめられなくなるし」と衝撃の告白。

そして、中村中の作った曲を歌うジェロの映像。

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そして12月31日、紅白歌合戦。晴れの衣装には、祖母の多喜子さんの顔がプリントされていた。

「海雪」を熱唱。母晴美さんの涙があった。

2年目、真価が問われるこの年は、浜松での700人との握手会から始まった。