1577年9月15日、長尾城を攻め落とした謙信。方や信長は安土城に入っていた。柴田勝家のもとに謙信の進軍状況が報告された。

その頃、上田庄では未だに謹慎がとけない兼続がいた。そこに真田の忍びの者初音が訪れ、上杉軍が鉄砲の弱点を知っての戦いを行い織田軍を打ち破ったと知らされる。雨で火縄銃が使えないかつ暗闇に襲撃し、手取川へ追いやって勝利した。1万3千の上杉軍が3万の織田軍をやぶったという。

ただ、その後、何の未練も無く撤去したことに初音は疑問を持ち、兼続に尋ねる。「おやかた様は’義’を重んじる。」と答える。

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安土城では、謙信が攻めてくるという噂が流れ、浮き足立っていたが、信長は平然としていた。「’義’などといって神をきどっていられるのも今のうちよ。」と。

謙信は琵琶を弾いていたが、足元がふらつく。

そしてついに、北高全祝和尚より、蟄居が解けて城に上がるよう命じられたことを兼続に告げる。

父の惣右衛門も激励に訪れ、幼き頃に与六が母にあげた菓子を形見に渡す。与七も城に上がりたいと申し出て兄弟で春日山城を目指す。

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春日山では、泉沢久秀をはじめ、馴染みの上田衆が暖かく迎えた。

景勝のもとに参じた兼続は、挨拶をして立ち上がるが、蟄居の間の話など聞かせよ!と留まるよう命じ、微笑む。

そして与七を紹介し、景勝は召抱えることを承諾。

ただし謙信は毘沙門堂に篭っており、兼続のすぐの目通りは叶わなかった。仙桃院には目通り、そこで’北斗の七星’について聞かされる。景勝のもとを2度と離れぬと誓う兼続であった。

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与七は望みが叶い大いに喜ぶ。そこに直江信綱が通りかかり、挨拶をする。お万、お船のいる直江の屋敷に呼ばれ、もてなしを受ける。お船は信綱の妻になっていた。

3月になり、再び出陣のとき画来た。謙信は景勝と景虎を呼び話をする。そこで謙信は自分が「天下を取る」つもりは無いことを告げる。

景虎は「おやかた様が天下を取れば争いは終わる。」と説得するが、謙信は「信長に利を得るより気高きことがあることを知らしめたいのじゃ。人が人であることの美しさじゃ。」と答える。

毘沙門堂に招かれた兼続は、謙信に人が人であることの美しさ、すなわち’義’が良くわからない!と率直に質問する。民が安心して暮らすためには戦わなければならないのであります。と意見を述べる。

謙信は「そなたは迷うことだらけじゃ。だからこそこの’義’を見つけることができる。やがてそなたの’義’が見えてこよう。その後は己の戦いの中に身をおき、瞑想するのじゃ。わしはそなたこそが、わしの真の意思を受け継ぐ者じゃと思うておる。」と語る。

杯を供せられて、兼続はその言葉を胸に刻む。

謙信は毘沙門堂の中で、琵琶を掻き鳴らした後に倒れる。

(つづく)