札幌市のコミュニティ放送局。みんなボランティア。

「三角山モーニンング」の放送内容からスタート。開局して10年経過。社長は杉澤祥輝さん。

パーソナリティの久住さん、放送局長の木原さんが取材された。木原さんの三か条が紹介され、この日は介護の日々について、妻和子さんを介護している夫がマイクに向かう。妻もスタジオに一緒にきていて、実際に介護しながら日記をマイクで話す。

朝7時から夜8時まで生放送!そして市民が番組を持っている。

「耳をすませば」は耳の不自由な福田さんがパーソナリティ。

家とスタジオを結んだ試みも開始。山本博子さんは2ヶ月ほど放送を休んでいたが在宅放送をすることになった。

この冬、新人のパーソナリティを募集!オーディション開始。面接はブースに入って実際にパーソナリティのように話してもらう。何人かがその意気込みを語るが、その中に生まれつき膝下の感覚が無いという20代前半の女性がいた。武部未来さんだ。電話の受付をパートタイムでやっている。その母親も画面に登場。彼女の歩く姿も取材されたが、ころぶこともしばしば。このお嬢さんがパーソナリティとミキサーなどの裏方部分もやることになり、早速操作を教わる。

杉澤さんも「何をしゃべるか楽しみですね。22年間の生き様を聞きたい。」

武部さんの家族も取材。ご両親も「普通にこだわってきた。」と話す。でも風が吹いただけで転んだという。普通の小学校にも進んだけど、やはり本人は「まだ自分を普通とは認めきっていないけど、取り返せるわけじゃないし。」

矢満田静子さん、「おばあちゃんの独り言」という番組を担当していたが、ガンで亡くなった。彼女は命の実況放送を続けた。2005年6月30日の放送が最後だった。「(離婚するなら)いつまでも両親であって欲しい。」’ふるさとの地図’という曲を残して他界した。送迎をしていた息子の賢治さん「放送も歌も残してくれた。」

2008年12月25日、武部未来さんの初めての放送日。スタジオに来るまでの間にまた転んだ。

三角山モーニング!が朝7時から2時間の生放送だ。武部未来さんの声が流れる。

聞いていた母親もちょっとウルウル。早速メールがきて、励まされる。でもすぐに曲を間違えて焦る。初々しくスタートした。